02
「面白い魂の匂いがすると思ったら、本当に面白いものがいるな」
八歳の誕生日から数日過ぎたある夜。
自室で寝る前のひと時に燭台の灯りでひとり読書をしていた私の前の前に現れた『それ』は、手のひらに乗るくらいの人間、いや、羽の生えた不思議な生き物がとても楽しそうな笑みを浮かべて浮かんでいた。
「・・・妖精?いや・・・」
それは絵本や前世の創作物で描かれていたような妖精のような姿をしていた。
小さな人間?
でも羽が生えている?
真黒な、蝙蝠のような艶やかな羽?
そして禍々しい気配。
「悪魔?」
「ご名答!なかなかに博識なお嬢さんじゃないか!」
悪魔だと言い当てられたにもかかわらず、それは嬉しそうに一回転するとケタケタと声をあげて笑った。
黒くて長いしっぽがふわふわと揺れている。
「なんで、悪魔が・・・!!」
この世界は魔法があるので、当然のように精霊や魔獣も存在する。
そして悪魔も。
ただし悪魔はめったなことでは人間の前に姿を現さないとされていた。
高位の魔術師の召喚や特別な場所にだけ存在する、人知の及ばぬ存在。
それが『悪魔』
「いやーなんか面白い匂いがしたから来てみたんだ。そしたら珍しい前世持ちがいたんで思わず声をかけたってわけよ」
悪魔ってもっと仰々しくて狡猾なのを想像していたが、この悪魔はかなり軽薄な雰囲気。
しかも小さいし、きっと下級悪魔なんだろう。
しかし感じる気配は決して油断していいものではない。
隙を見せないように気を引き締めて小さな悪魔に向き直る。
「・・・何の御用かしら」
「今、すっごい侮られた気がするけど、見逃してやるよ」
「!!」
「顔に書いてある。わかりやすいなぁ、お前」
「お前じゃありません、ユーディリアです」
「・・・悪魔に簡単に名前を教えるもんじゃないって習わなかったのか?」
「・・・はっ!!しまった!!」
「ほんと面白い奴!!」
ケタケタと笑う悪魔は本当に楽しそうだ。
悪魔に名前を教えるときは必ず代価と引き換えに。
そうでなければ名前をとられてしまうよ、と昔教えられたのに。
あれ?誰に教えてもらったんだったっけ?
「まぁいいや、面白いから代価は俺の名前ってことにしといてやるよ」
悪魔らしからぬ優しい提案だ。
これで油断を誘っているのかもしれないと身構えるが、悪魔は何を気にした様子もなくにやりと意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「俺はセオ、悪魔だ」
くるりと宙で一回転をしてから、まるで貴族のようにうやうやしい礼をしてみせる悪魔、セオ。
悪魔は高貴な存在だというが、サイズのせいでまるで人形芝居を見ているような気分になる。
悪魔というだけあってとても整った姿形をしているが小さい。
私がプレゼントされた人形たちよりも小さいから、なんだか可愛くさえもある。
「ええと、ありがとうセオ・・・さま?さん?」
「俺は悪魔だぜ、呼び捨てで構わない」
「はぁ・・・」
名乗りあって対等の関係になれてはいるのだろうけれど相手の目的も意図も分からない。
さっきから前世持ちだの面白い匂いだのと言われているが、いったい何がしたいのだろう?
余りにも非現実的な状況に思わず首を傾ければ、セオはまた面白そうに笑った。
「悪魔を見れば恐れおののくとか気絶するとか叫ぶとかするのが令嬢ってもんだろうに、肝が据わっているなぁ!前世持ちだからか?」
「さぁ?前世の事は知っている程度の感覚なので自分の事とはあまり思えないんですけど」
「へぇ、そんなもんかね」
興味深そうに私を見つめるセオの様子から察するに、悪魔から見ても前世の記憶があるというのは珍しいことなのかもしれない。
「それで、その、セオは私が前世持ちだから挨拶?に来たの?」
「まぁそんなとこ」
「・・・わざわざ?」
「悪魔ってのは魂に惹かれるのさ!変わった魂があったらのぞいてみたいと思うのが本能」
私が花屋や花壇を見かけたら近寄ってみたくなる心境と同じようなものなんだろうか?
「で、早速なんだけど俺と契約しない?」
「はぁ!?」
我ながら貴族令嬢にあるまじき素っ頓狂な声を上げてしまったと思う。
対するセオも驚いたのか目を丸くしている。
「そんなに驚くなよ」
「いや、驚くわよ!絶対驚くところでしょ!!」
悪魔と契約なんてそんな!高位の魔術師とか魔女とか魔物とかが出てくる冒険譚でしか知らないような話じゃない!平凡な人生とは真逆まっしぐらも真っ逆さまよ!
「嫌、絶対に嫌よ!全力でお断りさせていただくわ!」
思わず立ち上がるとガタンと音を立てて椅子が倒れた。
「なんだよ、そんなに嫌がるなよ」
「嫌に決まっているじゃない!悪魔と!契約なんて!絶対普通じゃない!!」
「前世の記憶があるってだけでも普通じゃないだろ?悪魔と契約したって面白いじゃないか」
「面白くない!!」
思い切り叫ぶと、セオはつまらなそうに肩をすくめる。
「絶対俺と契約したほうが得だと思うんだけど」
「何が得なのよ」
「そりゃ、永遠の若さとか?巨万の富とか?どんな相手でも夢中にさせる魅了の魔法とか?」
「いらない」
「は?」
「そんなのいらない」
そんな、絶対に普通じゃないものなんていらない。
私の望みは平凡で穏やかな人生よ。
悪魔と契約して悪魔のように生きるなんてまっぴらごめんよ。
「王様だって喉から手が出る程欲しがるもんだぜ?いらないのかよ」
「いらない」
「・・・本当に面白いな」
先程までのニヤニヤとした笑いでも驚いた顔でもなく、少しだけ神妙そうな悪魔の表情に不安になる。
もしかして怒らせてしまったのかもしれない。
いくら名前を名乗りあって対等な関係として話をしているとはいえ、相手は悪魔。
本気になられたら私なんて消して飛ぶような存在だろう。
「・・・えっと」
言葉を選んでいると、扉の向こうがなんだか騒がしい。
「お嬢様!何事ですか!!」
慌てた様子の侍女の声。物音や私の尋常ならざる声に気が付いたのだろう。
まずい。
悪魔と会話している所なんて見られたら、それこそ平凡真っ逆さまだ。
顔を青くした私をじっと見ていたセオは、フーンと鼻を鳴らしてくるりと一回転した。
「まぁいいや、今日のところは交渉決裂ってことで!また来るわ」
「いや!来なくていいから!!」
私の返事を待つこともなく、セオは表れた時と同じように唐突に姿を消した。まるでそこに初めからいなかったように。
「お嬢様!ご無事ですか!」
タイミングを見計らったように侍女が扉を開け寝室に飛び込んでくる。
椅子を倒して呆然と立ち尽くす私に、慌てて駆け寄ってくる侍女の顔色は悪い。
事実を告げても頭がおかしくなったと思われるだけだと考え、私はとりあえずの言い訳をまくしたてる。
「その、変な音がして、それで部屋の隅を見たら・・・その、ネズミが・・・」
「ネズミ!!まぁぁぁ!!」
侍女の顔にさっと怒りの色が射す。ネズミといえば食料を荒らしドレスを食い破る悪質な害獣だ。
貴族の屋敷では盗賊以上に忌み嫌われて駆除されるべき存在とされている。
先日、料理人がネズミが出て困るから猫を飼う飼わないの話をしていたのを思い出して本当に良かった。
翌日、私の部屋を中心にネズミ退治の包囲網が敷かれ、我が家からネズミが姿を消したのは言うまでもない。