15
薬作りにも慣れ、カンテンの生産が村の特産となった頃、私はようやく薬店のオープンに向けて動き出した。
長く閉めていたので店は少し荒れていたが、手を入れればすぐに開店できそうだ。
店の管理はルイザに任せることにした。
親と食堂を営んでいただけあって、ルイザは計算もできるし、簡単な読み書きも問題ない。
双子たちは最近ようやく絵本を自分で読めるようになってきた程度だが、ルイザを手伝いたい一心で計算も覚えようとしている。
すぐに頼もしい戦力となるだろう。
薬店のオープンを明日に控え、はしゃぐ子供たちがようやく寝静まった夜。
なんとなく眠れずに、庭先に出て星空を見上げる。
夜風が頬に心地いい。
村にやってきてから毎日が忙しく、昔の自分に想いを馳せる暇がなかった。
前世で灰色の人生を送っていた記憶と、貴族令嬢として大切にされて過ごした日々。
そして、そのすべてを混ぜたような、魔女としての生活。
不思議なものだ。
生きる事が苦痛だった前世や少し息苦しかった貴族生活とは違い、今はただ毎日が輝いている。
「ふふ」
魔女になってよかった、と不謹慎ながらに思う。
「じゃあ、俺と契約しろよ」
「わっ!!」
目の前に現れたのは久しぶり過ぎるセオだ。相変わらず唐突過ぎる登場に思わずのけぞる。
「全然呼ばないからきてやったぞ」
態度も相変わらずで、なんだか笑ってしまう。
「本当に元気そうだな」
「ええ、毎日充実してるわ」
「迫害されて世界に絶望して破壊してやりたいとか思わないのか」
「残念ながら幸せに過ごしております」
「つまんねぇの!!」
セオがぐるりと一回転する。小さな体がくるくると動く様子が何故か懐かしい。
「しかし変なところに住んでるな。この気配、妖精か?」
「パルのこと?大伯母さまが屋敷に定着させた屋敷妖精よ」
「へぇ。お前の身内だけあって面白い事考えるな」
悪魔から見てもパルと言う存在は珍しいらしい。
そのうち、どんなきっかけで屋敷妖精になったのか聞いてみよう。
「・・・そういえば、ここの敷地には屋敷妖精の許可がないと入れないはずなのに」
「俺は高位の悪魔だぜ。妖精ごときに弾かれるような真似はしない」
「ええー庭だから見逃してもらってるだけじゃないの?ねぇパル?」
『いいえ、その方には私の結界魔法は有効ではないようです』
「パル?」
『格差がありすぎます』
何故だか少し苦しそうなパルの言葉づかいに、セオが高位の悪魔であることはあながちウソではないのかもと考える。
「セオ、うちの妖精が苦しそうなんだけど」
「俺の魔力が強すぎるんだろ。つうか、コイツが弱ってるのか」
「え?」
セオが屋敷をじっと見つめて目を細める。
「詳しい仕組みは俺には良くわからねぇが、この屋敷と妖精は主人とリンクして魔力を共有するようになってる。主不在なら魔力は枯れていく一方だろう?」
「主不在って・・・」
そういえば、いまだにパルは私ではなく先代を主と呼び続けているし、大伯母さまの部屋を使わせてくれる気配もない。
「パル、大丈夫なの?」
『・・・・主様が残してくれた魔力はまだ少しあります』
「少ししかないってことじゃない!!」
まさか屋敷妖精が消滅の危機だなんて考えてもいなかった。
『私は妖精であり屋敷の一部であり、主様の使い魔です。新しい屋敷の主が現れるまでの管理者として残されました』
「待ってパル!私だってあなたがいないと困るわ!私の魔力をあげるから消えないで!!」
『私自身に新しい主を選ぶ方法はありません。主様が消えた時に私も消える運命だったのです』
明日には先代が残した薬店をようやく再開できるというのに、こんな事実を知ることになるなんて。
短い間だったが、時には話し相手になってくれた存在が居なくなるかもしれないと知って、私は自分が魔女だと告げられた時以来の絶望を感じた。
「ったく、しょうがねぇなぁ」
セオが仕方なさそうに頭をかく。
「俺が無理矢理侵入したから余計に魔力を使わせたんだろ」
「セオのせいってこと!?」
「・・・遅かれ早かれこいつは消滅する運命だったんだ。逆に俺が来てよかったと思うぜ」
「どういう事よ!」
「こういう事だよ」
セオが聞き取れない言葉で何かを呟く。
それが悪魔の呪文だと気が付くと、セオの周りに赤黒いオーラが現れた。
「お前のも寄越せ」
セオの手が伸びて、私の髪をひと房奪っていく。
「ちょ、乙女の髪を!」
「触媒には髪がちょうどいいんだよ」
私から奪った髪に絡めるように魔力を練りこんでいくセオ。
その禍々しくも素早い手さばきに思わず見とれてしまう。
出来上がった髪の毛からできた小さな人型には私とセオの魔力が混ざり合っている。
「おい。妖精、この中に入れ」
「『え』」
私とパルの声が綺麗にハモる。
「どうせ消えかけてるんだ。最後の魔力を使って屋敷から離れて、この人型に入れ。そうすれば消滅しないで済む」
『し、しかし私は主様の屋敷を守る役目が』
「べつにそこにしがみついてなくても守れるだろうが。消えるよりいいだろうが」
『でも』
「妖精ってのは決まりだ役目だうるせぇのが多いな。いいから来い!」
『ああっ!』
セオが腕を振るうと玄関で淡く輝いていた緑の光が人型に引き寄せられて吸い込まれていく。
「パル!!」
私が慌てている間にどんどんと事が進んでしまい、手を出す暇も口を挟む暇もなかった。
緑の光はパルの本体なのだろう。
人型全体が緑に光り、ふわふわとした丸い塊になる。
浮かび上がったそれは行き場を求めて私とセオの周りをぐるぐる回った後、ゆっくりと私の肩に落ちてきた。
「パル?」
私の呼びかけに応えるように丸い塊が震えて、卵のようにパカリと割れた。
「ぷはっ!!」
中から現れたのは小さな小さな女の子。
緑の髪に緑の目をした手のひらサイズの妖精。
「うわぁぁぁぁ可愛いいいいい!」
「・・・ユディ、様・・・」
くりっとした瞳で見つめられると、何でもしてあげたくなる庇護欲が沸き起こる。
セオは得意げだ。
「俺の魔力とお前の魔力を捏ねて作った本体があるから屋敷の外にも連れ出せるし、魔力も安定するだろ」
「すごい。はじめてセオに感心した」
「お?契約する気になったか」
「それはしない」
「主様たち喧嘩しないで」
「たち?」
「セオ様とユディ様。どっちも主様」
私とセオの魔力がベースになっている本体だから、今のパルにとっては私たち二人が主と認識されてしまったらしい。
「・・・どうしてくれるのよ」
「さぁ?しらね」
感心したと思ったとたんにこれだ。しかしパルを助けてくれたことには素直に感謝しておく。
「ありがとうね」
やっぱりお礼を言われるのは苦手なのか、セオなんだか困ったように顔をしかめている。
「でも私たちの魔力からできただなんて、まるで子供みたい」
小さなパルを優しく撫でながら思いついた事を口にすると、な!とセオが慌てたような声を上げる。数秒遅れて、自分がかなり恥ずかしい事を言った事に気が付き、違うのよ!と叫んでいた。何故だかとても耳が熱い。
「ユディ様?」
パルは私たちが慌てているのが不思議なのだろうか可愛らしく首を傾げている。
「セオとパルは同じくらい小さくて親子みたいだけど、ほら、私は人間だからサイズがほら!」
もうわけがわからない言い訳を口にする私に、セオはむっと唇を尖らせた。
「大きさの事を言ってるのか?これはお前への影響を考えて作ってる仮の姿だ。俺を誰だと思ってる」
怒った口調で何かを早くに唱えると、小さかったセオの周りが黒い霧に包まれる。
そして私よりも頭一つ大きな人影がセオがいたはずの場所に立っていた。
「セオ?」
随分と間抜けな声が出てしまう。呆然と見上げるそこには、小さなセオと同じ黒い髪に赤い瞳をした、長身の青年がいた。手のひらサイズの時は人形のように可愛いと思っていたのに、人並みのサイズになるとここまで整った造形は畏怖さえ感じさせるものがある。
「これでも俺がチビだと?」
身体が大きくなったせいか、可愛く思えていた声も低くてまるで別人みたいだ。詰め寄ってくる顔は怒っているのか険しい。
「まって、まって!!」
バクバクと心臓がうるさい。こんな美形でいい男になるなんて聞いていないし考えてもいなかった。さすが悪魔というところなのだろう。ひきつけられるような魅力に急に胸が苦しくなる。
いつも周りを飛び交っていた可愛い悪魔なんかじゃなく、本当に悪魔だったのだと再度思い知らされて、自分のうかつさが情けなくなった。
「なんだ?この姿が好きなのか?じゃあ、もっと早く見せとくべきだったな」
「す、好きとかじゃなくて!!びっくりしただけ!!」
そう、驚いただけだ。まさか人間サイズになれるなんてと驚いただけだ。その姿があまりに美形でびっくりしただけだ。自分に言い聞かせるようにして叫ぶ私に、セオはさっきまで怒っていたのが嘘みたいに楽しそうな顔をして詰め寄ってくる。
「そうか?お前の心臓はそうはいってないみたいだけど」
長い指が私の胸元を指さす。
「ひ、ひとの心臓の音を聞かないでよ!!」
「俺は悪魔だ。耳がいいのは仕方ないだろう?」
「うう」
急に立場が逆転してしまったのが悔しい。せめて赤くなった顔を見られないように背中を向けるが、セオはすぐに私の前に回り込んで顔を覗き込もうとする。
「いい反応するじゃないか。俺と契約する気になったか?」
「なりません!!」
強く叫べば、セオは何故か少し悲しそうな顔をする。
「俺と契約すれば、怪我も病気も関係なくなる。俺が死ぬまでお前も生きるんだ。なあ、俺のモノになれよ」
まるで愛を囁かれているような告白じみた言葉に胸の奥が苦しくなった。悪魔って本当に怖い。こうやって人の弱いところをうまく刺激するんだから。
「や、やだ!!」
子供のように叫んでセオにもう一度背を向ける。このまま迫られたらうっかり契約しますと口を滑らせそうで、私は目を閉じて絶対に顔をみないぞ、という意思表示をした。私の腕の中でパルが困ったよう暴れている気がしたが、今は我慢してもらおう。
「ふうん……まあ、いい。ここまで待ったんだ、今日のところは俺が折れてやるよ」
楽しそうな声に腹が立つ。ふわりと私の鼻先を柔らかい何かがくすぐった気がして、うっかり薄目を開けてしまう。
「っ!」
目の前には吸い込まれそうな綺麗な赤い瞳。黒髪が風に揺れて、私のまつ毛を柔らかく撫でる。
かたちのいい薄い唇が、私の鼻先に優しく触れていた。
尖った犬歯が僅かに柔らかな皮膚を撫でて、すぐに離れていく。
「な、何!!」
「味見みたいなもんだ」
「馬鹿っ!!」
叫んで叩いてやろうと腕を振り上げるが、セオはひらりとそれを躱して楽しそうな声を上げた。
「じゃあまた来るぞ」
「もうくるな!!」
私のいう事なんて聞くはずのないセオはふわりと笑ってそのまま闇夜に姿を消してしまった。
「主様?」
私の肩に乗ったパルはきょとんと可愛い顔をして私の真っ赤になった頬を労わるように撫でてくれていた。




