誓いのキスより重いもの
ハカリコはいった。
首を交換することは、デュラハンにとっては誓いのキスに等しいと。
キスではなく、誓いのキスに。
それは魂と魂を限りなく近づける儀式。
ゼロ距離になった魂は互いの情報を交換し――
(何、これ。……志賀路さんがみていた、景色?)
互いの記憶を覗き見る。
より具体的に言えば、互いについて感情が高ぶった記憶を。
ランダムな時系列で襲いかかる、凄まじい記憶の奔流。
『あははははははははっ、だって楽しいんだもん! 首藤ちゃんは楽しくないの!? 学校サボって! 魔界に来て! ドラゴンに首二つで追いかけられてるんだよっ!』
それはふたりの思い出もあれば、
(……あの子ってこんなにスタイルよかったんだ)
ハカリコにとってのファーストコンタクト――一方的な思い出もあり、
(ああ、クソ。相変わらず美少女だし、足も馬鹿みたいに長いし、ムカつく。……ミユキ以上に、こんなにも妬ましい自分が一番)
ネガティブな感情の発露もあった。
ハカリコがミユキについて感情を高ぶらせた記憶が全て、露わになっている。
思考と感情の副音声付きの記憶。
そこには嘘もお世辞も虚飾もなく、ただ真実があるだけ。
(どうしよう、首をつないだら私の嫉妬もバレちゃう)
そこには無論、つい先程の感情もあって。
(ああ、確かにこれはキスより恥ずかしいかも。でも、結婚式にはもってこいだ)
もっとも、あまりにひどい感情は離婚案件な気もするが。
だけど、どうしてだろうか、ハカリコのそれには不思議と嫌な気持ちは抱かなかった。
(……それどころか、ちょっと、いやかなりうれしい)
たとえ泉の女神に与えられた欠陥品のおかげでも、ハカリコが嫉妬するほど対等な存在になれたのだから。
これはこれで重たい感情だが――
(あれ、もしかしてこれ)
こっちの記憶もハカリコが見ているのでは?
(うわああああああああああああっ)
色々とヤバい、ヤバすぎる。
あんなことやこんなこと、ハカリコに対する重たすぎる感情のすべてが他ならぬ本人に――駄目だ、死んでしまう。
そんな事を考えているうちにも、新たな記憶がミユキに飛び込んできた。
『志賀路さん、好きですっ!』
それは告白だった。
ミユキがしょうもない陰口に傷つき、そして新しい首を手に入れたあの日の放課後。
ミユキが保健室でふて寝しているか、あるいは泉の女神に遭遇しているかくらいの時間。
屋上、夕焼けがふたつの影を伸ばしている。
『そっか。ありがとね。でも、ごめん』
ハカリコはニッコリと彼女に笑いかけて、あっさりと断った。
そうだ、彼女。
ハカリコは女子生徒に告白されていた。
だというのに、ハカリコの心はどこまでも凪いでいる。
彼女レベルの美少女となると、同性に告白されるくらい日常茶飯事だ。
『……あの人、誰なんですか』
『あの人?』
しかし、ハカリコの凪いだ心に、わずかなさざ波が立つ。
女子はうつむいたままに続けた。
『あの背の高い、朝一緒に歩いてた人です』
『……』
『同じマフラーを付けて、まるで恋人みたいでした』
『いや、あの子はそういうんじゃなくて――』
ハカリコの心が、凪からさざなみに移り変わる。
『――あんな人の何がいいんですかっ!』
女子が顔をあげた。
滂沱の涙を流して、夕焼けに負けないくらいに顔を真っ赤にして。
『あんな暗そうで怖そうな人の何がいいんですか! 目つきだってすごく悪いし! あれだったら私のほうが――ひっ』
ハカリコの感情が、一気に大波になる。
無論、その感情は怒り。
ミユキに抱いた嫉妬とはまた別ベクトルの負の感情に満たされる。
「あなたは首藤さんの何を知っているのかな?」
「よく知りもしない相手の陰口を叩いてさ、それで楽しいの? 私はあの子の友達なのに。振られた腹いせ? でもそんなことしたら余計に嫌われるよ?」
「首藤さんはちゃんと美人だよ。まず、スタイルが凄くいいんだ。モデル、それも海外のスーパーモデルみたいなんだよ。それに、ちゃんとしたら、ちゃんと可愛いんだよ?」
「だいたい、目付きが悪いなんて言うけどさ、あれだって鬼太郎みたいな暗い髪型のせいだとも思うんだ。前髪を出せばちゃんと可愛いんだよ。私もこないだそういったんだけど、真剣に受け取ってくれなくてさ。それってやっぱりあなた達みたいな人が首藤さんをいじめたからで――」
とか何とか言いたいのをひたすらに我慢。
ハカリコは必死に波を鎮め絞り出すように、ただこう言った。
『ごめん、私の友達の悪口、言わないでくれるかな?』
『す、すいませんっ』
女子生徒は脱兎のごとく逃げ出し、屋上にはハカリコだけが残される。
『……ふぅううう』
ひとり屋上で、深呼吸。
(よく怒らなかった、偉いぞ私)
あそこで思ったことをベラベラ喋っていたら、最悪明日には自分とミユキが付き合ってるみたいな根も葉もない噂が流れていたことだろう。
それで一番困るのは、自分ではなくきっとミユキだ。
(……それにしても、首藤さん、大丈夫かな)
ここに来る前に保健室に顔を出したが、寝ていて起きる様子はなかった。
「ぶっちゃけただのサボりだから大丈夫だよ」
なんて霧島は言っていたし、触ってみた額も平温だった。
(……もしかしたら、私関連のことでなにか言われたのかも。さっきみたいに)
しかし、だとしてだ。
どうやって励ませばいいのか、皆目検討つかない。
何を言っても逆効果になりそうで、怖い。
なにせ私は超絶美少女なのだから、見た目のフォローは大して意味がないと知っている。
ハカリコは頭を必死に回転せる。
直接何かを言うのは論外だ。
そんなことよりも、それを忘れさせるような何かが必要ではないか。
そう、ミユキが喜ぶような何かが必要だ。
……全く思い浮かばない。
(なによ、私も全然首藤さんのこと知らないじゃん)
それでもひとつ、思いつくことがあった。
(……プレゼントだ)
珍しいミユキの笑顔を思い出す。
昨日のお下がりのマフラーでさえあそこまで喜んでくれたのだから、きっと喜んでくれるに違いない。
ならば何をプレゼントする?
そんなの、ひとつしかないじゃないか。
『ヘアピンだ』
前髪が邪魔ならば、ヘアピンで止めてしまえばいい。
きっと似合う。
もう二度と、暗くて怖いなんて言わせやしない。
首藤ミユキは本当はスタイルがよくて美人でおまけに可愛いのだと、みんなに見せつけてやろうじゃないか。
(どんなのが似合うかな)
なんてことを考えながら、ハカリコはスマホを開いた。
そこで記憶が移り変わる。
やはり夕焼け。
しかし場所が違う。
よく見慣れた場所、すなわちミユキの自室だった。
つまり、先程の記憶よりさらに前日のこと。
ベッドには寝息を立てるミユキがいて、ハカリコはそれを覗き込んでいた。
そこにある感情は、どこかいたずらっぽく。
『……ちょっとごめんね』
なんてつぶやきながら、その手はミユキの前髪に触れ、それを上げた。
ハカリコは己の横にまで移動すると、おもむろにスマホを取り出す。
そしてそのまま、
『やっぱりちゃんと可愛いよ、首藤さん?』
カシャリとツーショットを撮影した。
そこには、満面の笑みのハカリコと前髪を上げたミユキの寝顔が映っていて。
どうしてだろう、自分の目ではなくハカリコの目を通して見たからだろうか。
(……あれ、私、ちゃんと可愛い?)
スマホ越しに見た自分の姿は、ありえないことにそう見えた。
《……ッ》
気がつけば、景色は学校前の坂に戻っていた。
視界は色づいて、こころなしかいつもより鮮明な気もする。
……ハカリコの眼球を借りて、世界を見ているのだ。
「……あの、大丈夫? 首藤さん」
上から、ハカリコの心配そうな声がかかる。
《うん、大丈夫》
「本当に? だって、見たんだよね?」
《うん、ばっちり見たよ、色々。でもそれは、お互い様だよね? 私の恥ずかしい気持ちも全部見たでしょ》
「……ま、まあ」
言っておいて何だが、自分も恥ずかしかった。
顔が熱くなる感覚と、心臓が高鳴る感覚が、同時にふたりを襲う。
《それよりほら、早くしないと》
幸いなことに、泉の女神の化身は未だにやってきていない。
どうやら記憶を覗き見している間、現実の時間はさほど経っていないようであった。
「そうだね。……でもさ、今更だけど本当にこんなことで異界の扉が開くのかな」
《……あはははは、本当に今更だね》
現場にい続けた霧島ならばまだしも、学校から離れてだいぶ経つ。
非日常特有のテンションが冷めてしまえば、それくらいの疑問は浮かぶのは致し方ないだろう。
《でも、やっぱり正しいと思うよ。志賀路さんの気持ちも本当に強かったし。だから本気で願えば、きっと異界の扉は開く》
「……本気で願えば、ね」
ああ、本気で願えば。
だけど、本気で願うことは難しい。
特に、首藤ミユキのようなコンプレックスの塊には。
きっとそれは、ミユキの頭の中を覗いたハカリコも重々承知で。
もう絶対にありえないと頭では理解できていても、万が一の可能性が、泉の女神の寄越した首を捨てることを無意識下で拒む。
愚かなことだが、あるいはこれこそが扉が開かなかった原因かも知れない。
《……でもさ、今の私なら、本気で願える気がするんだ》
そうだ、今の自分ならば、あんなもの要らないと断言できる。
一度育まれた自己肯定感は高まらない。
本来ならば一生涯付き合い続けるはずのコンプレックスに、ヒビが入っている。
《だって、志賀路さんがいるから》
重たい台詞が、口から勝手に出ている。
だけど躊躇わない。
どうせもう心の中は覗かれたんだから。
「……そっか」
ならばあとは簡単だ。
あとはただ、叫ぶだけ。
不思議なことに、ふたりとも互いが何を言おうとしているか手にとるようにわかる。
そうだ、すっかり忘れていた。
あるいは目を逸らしていた。
これから先、頭が、体がなかったら困るではないか。
私たちは、理想の代替品を願っていたではないか。
《「泉の女神、余計なお世話だ! あんなもん要らない! 私たちの」》
《首を》「体を」
《「返せっ!」》
その叫びに呼応するように、異界の扉は開いた。