あなたと合体したい?
「昔の人はいいました。……『化け物には化け物をぶつけんだよ!』、と。図らずとも我々はそれを成し遂げてしまったわけだ」
黄金と暗黒の星々が凄まじい速度でぶつかり合ってる――そんなふうにしか見えないほどに、離れた距離。
ぶつかる度に轟音が鳴り響き、風景が蜃気楼めいてぐにゃりと歪む。……まるでこの世の終わりのようだ。
それをもたらしているのは、紛れもなく自分たちの体のパーツだったもの。
……ああ、わけがわからなすぎる。
霧島はどこか楽しげにそれを鑑賞しながら、やっぱり楽しげにそんなことを言った。
《……わけだ、じゃないですよ! なんでそんなに余裕綽々なんですか!》
「そういうキミは随分と余裕がないみたいだね。せっかく記憶を取り戻したというのに」
《全部思い出したから慌ててるんです!》
記憶喪失になったことも、鴻巣のことも、ろくでなしナンパ吸血鬼のことも。
そして何より、この現状がほかならぬ自分たちのせいであることも。
全部が全部、今のミユキには思い出せた。
「本当ならば首がやられたら胴体も灰になるんだろうけど、どうやら魂のリンクが光線を食らったときに外れたみたいだね。志賀路ちゃんも然り。まさしく怪我の功名だ」
「……ひとまず助かったのはいいですけども、これ、どっちがやられてもろくなことにならないんじゃ」
「どっちも倒れてくれたら一番だけど、そう上手くはいかないよねえ」
「そんな緊張感のない」
「まあ、私たちがなにかしなくても自衛隊が何とかするんじゃない? ……まあ、その前に最悪全てが黄金になるかも知れないけど。あるいは、名状しがたい何かに?」
《……私たちがしでかしたことです、私たちでなんとかしたい》
「……私も首藤さんと同じ」
「なんて殊勝なこと言ってるけど、ふたりともニヤニヤが隠しきれてないよ? 全く、人のこと言えないじゃないか」
《「ななななな、何のことですかっ」》
「図星じゃないか。全く、仲がいいことで。安心したまえ、ここにはそれを咎めるほど常識的なやつはいないよ」
ああ、ふたりともニヤニヤが止まらなかった。
慌てれるふりをしているだけで、責任感があるふりをしているだけで、本当は胸の高鳴りが止まらない。
実に不謹慎極まりない連中である。
《……だって仕方ないでしょう、こんなメチャクチャな非日常、そうそう味わえるものじゃないですもんっ!》
開き直る。
そうだ、ここには誰も咎めるものなどいないのだから。
《ちょっと前までは美少女らしく振る舞おうと必死だったけども、今はそんな事する意味がないですし! だって美少女じゃないから!》
まるで被膜がひとつ剥がれたかのように、やけに頭がスッキリしていた。
視界は灰色なのに、今までとは比べ物にならないほどに鮮明に見える、
新しい顔に相応しくあろうとして、品行方正が過ぎていたのだ。
本物の首藤ミユキは、この世の終わりみたいな状況で不謹慎にはしゃぎまわるアホだ。
……飛んでるときは人格が変わる? そんなわけ無いだろう、あれはミユキの隠された本性だ。
「私は美少女だけどドキドキするよ! ……こんなの、首藤さんと魔界でドラゴンに追いかけ回されたとき以来」
そうだ、全くのそのとおり。
あのとき味わった非日常の興奮が、あるいはそれ以上のものが、ミユキたちに襲いかかっていた。
「今回はドラゴンどころじゃない、全く正体不明の化け物がぶつかり合ってる。異常も異常、非日常も非日常だ。……だけど私には、それを何とかする策がある」
「奇遇ですね、私もです」
《あはははは、私も》
そうだ、この非日常の興奮は、脳裏に浮かんだ解決方法がゆえ。
絶望はない。
万事休すでもない。
私たちだけが世界を救えるかも知れない――そんな興奮が、三人を動かしていた。
皆が皆、この異常な状況でありながら笑顔を絶やさない。
ミユキたちの先祖――遥か昔に異種族と出会い子を成した人間は、あるいは魔族は、一体どんな神経をしていたのだろうか。
どう考えても、イカれている。
デュラハンと、飛頭蛮と、単眼と子作りする人間はどう考えてもおかしい。逆も然り。
そんなイカれた人たちはきっと、異種族との接触という非日常に大いに興奮し、自重することなく行動を起こしたのだろう。
それこそ、今の三人のように。
ゆえに三人寄れば文殊の知恵作戦、開始であった。
黄金と暗黒。
全く正反対、しかし全く同じものを源泉とする存在。
泉の女神が生み出したバグたち。
琥珀の少女は上空にて佇み。
異形は地面に叩きつけられていた。
双方ともにあちこちを損傷し深手を負っているが、しかし明確な違いがふたつ。
ひとつ、琥珀の少女はいかに汚穢に犯されてもなお美しく、異形はこの世に生を受けてから一度たりとも美しくなどない。
ひとつ、琥珀の少女は女神のごとき翼を未だに羽ばたかせているが、しかし異形の悪魔の如き翼はすでに折れ、微動だにしなかった。
勝敗は今にも、決しそうである。
この戦いに善悪などあるはずもないが、しかし沈む夕日を背にした琥珀の少女はあまりにも神々しく、さながら正義の女神のごとくであった。
異形の敗因は実にシンプル。
彼には右腕がない。
ゆえに攻防ともに琥珀の少女に一歩も二歩も及ばなかった、それだけの話。
《―――!》
それでも、異形は立ち上がる。
誰ひとり彼を祝福しなくとも、しぶとく、ただ生きるために。
そして彼は最後の力を振り絞り、それを形作った。
それは、巨大な暗黒の単眼。
少女が背にしているそれと、全く色違いのそれ。
異形が命を燃やし、その瞳孔が暗く輝いた。
《―――――ッ!!!》
《高エネルギー反応ヲ検知、迎撃》
耳を絶する咆哮と冷たい声。
暗黒と黄金の光条。
しかして両者ともに全力。
相反する力が、かつてないほどの力でぶつかりあった。
《……目標ノ沈黙ヲ確認》
暗黒と黄金の闇が晴れ、琥珀の瞳は異形だったものを捉えた。
それは、物言わぬヘドロの池。
降下して近づいてみるが、目の前のそれはやはりピクリともしなかった。
しかし、琥珀の少女もタダではすまない。
先程までは何とか空を羽ばたいていた翼が、微動だにしない。
いいや、それだけじゃない。
黄金の光条を放った単眼がひび割れ、ついには砕け散った。
《……深刻ナダメージヲ確認。休息ヲ要求》
「悪いが、休んでる場合じゃあないよ」
そんな彼女に近づく、ひとつの影。
どちらかといえば異形側、単眼保健医の霧島がそこには立っていた。
「いくらなんでも失礼だな、異形側って。私から言わせればキミたち双眼のほうがよっぽど異形なんだけど」
異形側である彼女が伴うのは、銀色のスクーター。通勤のお供であり、長年連れ添った愛車だ。
「だからなんとなーく話を合わせてたけど、私から言わせりゃ美少女もクソもないんだよね、みんな」
そして愛車に紐で括り付けられているのは、ヘドロで形作られた異形の右腕。
校舎が黄金化したときに保健室に置きっぱなしだった、ハカリコのそれ。
『どちらが勝っても、あの腕は価値を持つんだよ。だってさ、自分の腕か、あるいは宿敵の腕だよ? 自分のなら取り返したいし、宿敵のなら大事を取って破壊しておきたい』
「そうだよね、泉の女神の化身さん?」
《――待テッ!》
少女の言葉を無視して、霧島はゴーグルを付けるとスクーターで走り出した。
加速、加速、加速、あっという間に時速八〇㎞以上でグラウンドを横断する。
ボロボロの彼女は、宿敵の欠片を滅ぼさんとそれを追いかけるが、異形相手に発揮していたはずの速さは影も形もなかった。
それでも、全速力のスクーターを補足し続ける程度の速さはあるのだが。
「ひゃっはああああああっ! 思ったより頑張ってくれたねえ、アレ! ここで一発で追いつかれてたら間違いなく詰みだったんだけど!」
それでもなお霧島が囮を買って出たのは、単純に脳みそがハイになっていたから。
きっとご先祖様が双眼と交わったときもこんなんだったんだろう。
脳内麻薬をドバドバと出しながら、ひたすらに駆ける。
急なカーブだろうが減速皆無、ドライビングテクニックもクソもなくただ乱暴に、オールウェイズ事故寸前に。
そのまま、霧島と琥珀の少女は学校前の坂を凄まじい速度で下っていった。
恐ろしいことに、徐々にだが彼我の距離は縮まっている。
だが、それでも構わない。
あと数秒で、目的地につく。
『そうやって私がスクーターと右腕でそいつをおびき出す。あとはキミたちの仕事だ』
ミユキとハカリコがちゃんと成功していれば、だが。
「信じてるぜ、愛する生徒たちぃいいいいいい!!!」
絶叫とともに、霧島はアクセルをベタ踏み。
ついに、目的地へ到達した。
ミユキとハカリコは繋がり合っていた。
変な意味ではない。
文字通り、ハカリコの美しい顔と、ミユキの美しい胴体が繋がり合っていた。
なぜこうなったのか、ことは十数分前まで遡る。
「泉のある異界を開くためには、ふたつの条件が必要みたいだ。ひとつ、魔界にごく最近行ったことがあること。……そしてもうひとつ、『自分の持ち物を要らない』と願うこと。あとは、学校前の坂道でそれをやればいいだけ」
ミユキたちの立案した作戦は実にシンプル。
泉から湧き出た化け物ならば、泉に返してやればいい。
ならば泉の異界の扉を開く条件は?
首藤ミユキは、今の顔を捨ててハカリコに並ぶ美少女になりたいと願った。
志賀路ハカリコは、今の体を捨ててミユキに並ぶ美少女になりたいと願った。
ふたつのサンプルから導き出される答えはシンプル。
ただ祈ればいい。
『あんなものいらないから、さっさと引き取ってくれ』、と。
《なーんだ、それだけか》
「簡単だね」
あんなもの、いらないに決まっている。
それだけで何とかなるなら、拍子抜けするほどに簡単だ。
「……」《……》
だというのに、だというのに、だ。
学校前の坂道、いくら祈っても異界の扉は開く気配はなかった。
「おかしいですよね、私のときはあんなに簡単に開いたのに」
『……ふむ、もしかしたら、あの化け物二体の持ち主が曖昧だからじゃないかな』
ミユキがスマホを持ち、もう片方の手で持ったハカリコの頭に当てる、割とシュールな絵面。学校にて待機中の霧島は、ノイズまみれの回線越しに言う。
《「持ち主?」》
『そう、持ち主。志賀路ちゃんの首と首藤ちゃんの胴体の間の子。言うなればアレはふたりの子供なんだよ。だから、どっちのものなんて断言できないよね』
《「こ、子供て」》
いろいろな意味で嫌だ。
『もしも泉の女神がそんな些末なことにこだわって動かないならば――』
《「ならば?」》
『――合体しちゃいなよ』
「《ががががががが、合体!?》」
仲良く素っ頓狂な声を上げるミユキたち。
ミユキの灰色の視界にさえ明らかなほどに、顔を紅潮させるハカリコ。きっとミユキも顔があったら同じ色合いになっていただろう。
『……変な意味じゃないから。そうじゃなくて、志賀路ちゃんの頭と首藤ちゃんの胴体をガッチャンコすればいいんじゃないか、って意味』
《なんだ、そういうことか》
「私はそんな斜め上の誤解をしたわけじゃなくて――」
凄まじい爆音が、ハカリコの声をかき消した。
音源は学校のグラウンドとスマートフォン、すなわち化け物二体によるものだ。
見やればもうもうと煙が上がっており、現地は阿鼻叫喚に違いない。
だと言うのに、他ならぬ現地組の霧島はやはり能天気に言ってのける。
『――あ、状況が動きそう。なんでもいいから早くしてね』
《「えっ、ちょっ」》
通信はそこで途絶えた。
「もしもーし、もしもーし!」
《……よくわからないけど、やってみる?》
何にせよ、いくら坂道を睨んだところで異界の扉は開きそうにない。
少しばかり照れくさいが、ガッチャンコだけで何とかなるならば安いものだ。
「……う、うん」
しかしハカリコはというと、未だに顔を赤く染めたまま気のない返事をするだけだった。
《もしかして嫌?》
「い、いや、そんなことないけども」
なんて言いながらも、目はばっちりと逸らされている。
《……そうだよね、嫌だよね》
そうだ、すっかり忘れていた。
自分は顔が良くなってはしゃいでいただけで、その本質はただの陰キャなことを。
《ここ数日は顔が良かったから、みんな相手をしてくれただけだもんね。それがない今の私なんて――》
「違うからっ!」
久々のウジウジモードに入ったミユキを、ハカリコが一喝した。
《……》
こんなにも強い語気のハカリコ、初めて見る。
きっと、首があったら目を丸くしているところだ。
「ご、ごめん。でも、本当に違うから。……ただ」
《ただ?》
「……どうせバレるし、最初に言っておいたほうがいいよね」
急にしおらしくなったハカリコは、少しばかりの逡巡のあと、ひとりごちてから続けた。
ささやくような、小さな声で。
「私たち、つまりデュラハンの間では首を交換するって言うのは、かなり重要な意味を持つの。……たとえばその、結婚式での誓いのキスみたいな」
《きききききき、きすぅうううっ!?》
徐々に小さくなるハカリコの声と対称的に、ミユキは思わず絶叫した。
「あ、あくまで近い例えなだけだから! それにデュラハン同士の場合だし! そもそも女の子同士だからっ! 多分ノーカン!」
《自分で言っておいてそれは変でしょ! そんな事言われたら私もやりづらくなるわ!》
「それは首藤さんが勝手に勘違いするから仕方なくだし! ……本当はキスより恥ずかしいことだし」
《ちょっ、なにそれエロっ》
「エロくないしっ、そういうんじゃなくて――」
《「……ッ!?」》
まるでミサイルでも落下したかの如き轟音が響き渡る。
緊張感皆無の言い合いはしかし、それによって無理矢理に中断された。
シチュエーション的には先程と近似しているが、しかし遥かに巨大な音。
思わずハカリコの首を胸に抱きしめて、尻餅をつきながら縮こまる。
《何、これ》
灰色の視界に映る学校上空は、そこだけ別世界の様相を呈していた。
暗黒と黄金が入り混じる終末めいた空を見つめながら、ふたりは感じ取っていた。
胸に去来する、ほのかな喪失感。
「……もしかしてこれ」
空が晴れていく。
暗黒と黄金が逆再生めいて戻っていき、夕焼けが現れた。
《勝負、ついた?》
その喪失感が知らせるのは、間違いなくそれ。
おそらくは、異形が消滅したのだろう。
一度でも繋がったことのある縁が、それを知らせている。
「……もう時間がないみたいだね。しょうがない、やろう。説明してる時間もないし」
《う、うん》
ミユキは立ち上がり、改めて両手にハカリコの首を掴む。
小さな顔、柔らかいほっぺた、羞恥か、それとも緊張ゆえか、とても熱い。
ミユキもまた、そんなハカリコに影響されてか心臓が早鐘を打っている。
《……せーのでやるからね? せーの、で》
《「せーのっ」》
ガッチャンコ。
震える手で、ふたりは合体した。
「嫌いにならないでね」
その瞬間、ハカリコは小さな声でつぶやいたが、ミユキは気づかない。
しかしそれは、頭――否、魂に流れ込んでくる景色の前にかき消されていた。