化け物には化け物をぶつけるんだよ!
それは、凄まじい美少女であった。
ハカリコやミユキなど、比較の対象にさえなりえない存在。
もはや人の粋を超えた美しさの少女が、頭から天使のように白い翼を生やし、学校の上空に君臨していた。
午後の太陽を背にした彼女の神々しさは、天使を超えて女神めいて。
見た目としては、あくまでハカリコそっくりな顔に手足の長くスタイルの良い体がくっついているだけ。
しかしそれでもなお、グランドどころか校舎の人間がほぼ全員、彼女から視線を外すことが出来なかった。
その所以は、つい先程までは常に封じられていた瞳。
ついに開かれたその色合いは、深い深い琥珀。
それに見つめられた衆生は皆、さながら琥珀に閉じ込められ悠久の時を過ごす羽虫のごとく停止してしまう。それこそ、たとえ数十m離れていようとも。
「……え、大丈夫かい、みんな?」
ただし、単眼保健医たる霧島を除いて。
光が晴れて何者かが窓ガラスを突き破って逃げたのを追ってグラウンドに来てみたら、これである。右腕は保健室で留守番中。
両脇のミユキとハカリコは微動だにせず、ただ空の少女を見つめている。
(多分あれ、首藤ちゃんと志賀路ちゃんの予備パーツがくっついたやつだよね)
すなわち、体のすべてを泉の女神謹製のそれで構成しているということ。
だからこそ、こんな異常事態が起きている。
(でもって、異常事態がこれだけで終わるわけが――)
「……まあ、ないよね」
あるわけがない。
少女の背後に、何やら球体が構築され始めた。
彼女を見下ろすような位置、それはまたたく間に完成する。
「……んだよ、あれ」
それは、巨大な単眼。
彼女の瞳と同じ琥珀色の巨大な単眼が浮かび上がっていた。
「――危ないっ」
そしてそれは、音もなく閃く。
異様な殺気に、反射的に霧島は両脇のふたりを掴みながら伏せた。
直後、空飛ぶ単眼から、一筋の光条が伸びた。
「――起きろ、起きるんだっ」
「ごべっ」
容赦ない殴打の衝撃に、ミユキの意識は覚醒した。
「キミもだ、首藤ちゃんっ!」
「ごばっ」
さらに一撃、ハカリコの綺麗な顔に綺麗なパンチが放たれる。
首が吹き飛ばないように頭を抑えてやるものだから、衝撃が分散せず余計に重い一撃。
「いっ、いきなり何するんですかっ――」
なんて抗議が消し飛ぶほどに、背後に広がる景色は異常であった。
「「……ななななななな、なにこれ」」
「さあ、私も説明して欲しいくらいだよ」
いつもミユキたちが通っている校舎。
それは多少面積が広い以外、ごく普通のコンクリート製の建物であった。
……であった。
だが、目の前に広がるそれは、どう見てもごく普通でもなければ、コンクリート製でもない。
「「……黄金、だ」」
そう、それは黄金であった。
ミユキたちにとっての日常の象徴であるはずの学び舎が、非日常的な姿になっている。
具体的には、全部ピカピカの黄金になっていた。
余すことなく、金閣寺なんて全然金閣寺じゃないくらいに、全部が全部黄金に。
「「いやおかしいでしょっ」」
単眼や吸血鬼やドラゴンや魔界が存在する世界観でも、これは流石におかしい。
「……ああ、おかしいね。多分、あの空にいるやつがデカイ目から出した光線? でやったんだと思う。一体時価総額いくらなんだろうね」
そう言って霧島が指差す先には、空飛ぶ美少女と単眼が先程から一歩(?)も動かずに佇んでいるのが見えた。
「「って、何あれっ!?」」
単眼や(略)。
「あ、見て大丈夫なんだ。殴ってよかった。……まああれは、泉の女神の力が多分暴走したものだよ、多分。だから黄金化光線なんて出せる。あれで金の斧を作ってたんだろうね」
「それってもしかしてすごく危ないんじゃ」
「ああ、中にいた人間もどうなってるかわかんない。だからさっさと逃げよう。いつ二発目が撃たれるかわからないし」
「いやでも、他の人達固まって上見たままじゃないですか! 助けないと!」
「随分良い子ちゃんだね、首藤ちゃん。やっぱりその女神謹製脳みそのせいかな。おかしいと思ってたんだ、あんなにいきなり明るくなるなんて」
「ですよね、やっぱり最近の首藤さんは絶対変でした! 顔が良くなったくらいで性格が良くなるわけがないっ!」
「ひどいっ!」
相も変わらず緊張感皆無の会話。
しかしそれは、上からの圧力で無理矢理に中断させられた。
「「「――ひいっ!?」」」
見やれば、琥珀の瞳がこちらを明確に見つめている。
ああ、どう見てもロックオンされているではないか。
「ああもう、騒ぎすぎたのが悪いんです! 人の性格を弄り倒してまあ!」
「どうでもいいから逃げるよ!」
「あっ、ちょっ待っ」
我先に逃げんと駆け出す三人、しかしハカリコは今現在運動神経が死んでいる。
派手にすっ転び、今まで耐えてきたマフラーもついに解けて、ゴロゴロと首が転がった。
《ああもう!》
仕方無しにミユキの胴体が頭を拾い上あげる。
同時、空飛ぶ単眼が閃く。
射線上には、ミユキとハカリコ。
このままではふたりの未来は輝いている。
「掴まれっ」
霧島の伸ばした手を何とか掴むと、意外なほどに強い力に引っ張られた。
次の瞬間、大人を数人飲み込むほどの光条が放たれる。
ミユキたちすれすれの場所に、ハカリコの体を巻き込みながら。
「……私の体」
「いやいや、右腕取れてたし絶対使い物にならないよ」
光条が晴れると、グラウンドの一角が黄金と化していた。
無論、ハカリコの体もポンペイ遺跡めいて黄金の形で倒れている。
「あれでも、学校丸々黄金化した割には範囲が狭いね。溜めがいるのかな。最初のは虎視眈々と魔力を溜めてたとかで」
「……頭の回転早いですよね、霧島先生。いっつもその場ではどうでもいいことに気づく」
「いいや、どうでもよくないよ。これで逃げてればとりあえず大丈夫なことが証明された」
「ああ、それもそう――」
「――ひいいっ、なななな、何あれっ」
ハカリコの言葉を遮って、ミユキの悲鳴が響く。
震える指先が差すのは、ハカリコの体だった黄金、だったもの。
「おえええええっ」
「……志賀路ちゃん、気を確かに」
あまりにショッキングな絵面に、ハカリコが吐き気をもよおす。
幸いなことに胃がないので何も出ないが。
「……さっきからずっと言ってるけど、何なのこれ」
皆が目を逸らすそれは、とても黄金ではなかった。
ある意味では、黄金の真逆。
《ギアアアアアアアアアアッ!!》
黄金がドロドロと溶け出して、人型のヘドロが現れていた。
厳密には、頭部と右腕を欠損した、異形の化け物。
鼻をつんざくようなひどい匂いを放ちながら、ソンビめいてゆらゆらと佇んでいる。
「……そうか、泉から生まれたものを再び泉に入れたらこうなるんだね。想定外の使用にバグったのかな? あるいは過度な美が反転したのかな? ……ふむ、いずれにせよ興味深い」
「「感心してる場合じゃないっ!」」
《ギイイアアアアアアッ!》
「「「ひいいいいいっ」」」
ふたりのツッコミに呼応するかのように、異形がこちらに駆け出した。
その鈍重そうな見た目とは裏腹に、その速度は凄まじく。
矢も盾もたまらずミユキたちは逃げ出した。
「何やってんの首藤ちゃんっ!」
しかし突然ミユキの動きが止まる。
ハカリコを掴んだ胴体も、空を飛ぶ首も、致命的にまで静止する。
(……どこだ、ここ)
気がつけば、ミユキはなぜかグランドにいた。
つい先程までは教室で授業を受けていたと言うのに。
……記憶喪失だ。
それも、自分の症状を自覚するよりも遥かに前までごっそりと削られている。
「――って、なにこれえええええっ」
背後に迫る異形に、胴体は腰を抜かし、首は失神とともに墜落する。
「ああ、クソ、よりによってこのタイミングかよ!」
先を走っていた霧島が翻り、白衣を異形に向かって投げ飛ばした。
白衣が黒衣を通り越して泥衣になっていく刹那、霧島は軽々とミユキを抱える。
ついで落ちた首を拾おうとして、
《ギアあああああおうっ!》
白衣だったものを溶かしながらミユキたちに襲いかかった。
「駄目だ、間に合わないっ」
《えっ、ちょっ、私の顔がぁああああああっ!》
霧島が踵を返す。
ミユキの胴体は、離れていく首に手を伸ばした。
しかし手のひらは虚空を切るばかりで。
せっかく手に入れた美しい顔は、
《ギアアア?》
よりにもよって異形の手のひらに掴まれていた。
……ああ、何もかも終わりだ。
ミユキがそう思った次の瞬間、それは降ってきた。
己の首もろとも異形を包み込む黄金の光条。
ミユキはそれを放った神々しい何かを魂の瞳で見上げて、すべてを思い出した。
《――――――!!!!》
黄金の光条が晴れる。
同時、ミユキたちの耳を、言語化不可能な大音量が犯した。
いいや、耳だけではない、心まで犯されているかのような、冒涜的な音。
「……どうやら、悪化したみたいだね」
まだまだヘドロなど可愛いものだった。
大便と吐瀉物と垢を三日三晩に詰めたような、最低最悪な臭い。
全身から黒々しい瘴気のようなものが溢れ出て上手く視認できないが、たまに表面から触手のようなものが幾つも蠢く。それだけでも、ミユキたちは吐き気をもよおした。
直視し続けたら、間違いなく廃人になるような、そんな代物。
……この世のルールそのものを犯すような、冒涜的な化け物だった。
それに対し、空の彼女は、琥珀の少女は初めて言葉を発する。
《……排除する》
宣戦布告。
次の瞬間、単眼を伴い高高度からの蹴りが異形を蹴り飛ばしていた。
《――ッ!》
遥か吹き飛ぶ異形は、黄金の校舎に叩きつけられる。
背後の黄金はヘドロめいて溶け出し、少女の右足もまた同じ状態になっていた。
そうだ、この異形は触れることさえも出来ない、瘴気の塊。
《修復ヲ開始》
しかし、次の瞬間にはその両足は逆再生のように元に戻った。
一方、異形は腹に大穴を開けて、動くこともままならない。
……状況は誰が見ても少女に大きく傾いていた。
《……》
しかしそれでもなお、異形は上空の少女を睨みつける。
そしてそのまま、おもむろに手のひらを広げた。
そこにあるのは、ヘドロの球体――ミユキの首だったもの。
《――まさか、あれっ!》
ミユキは本能的に、あの異形の思惑を悟る。
予想通り。
本来ならば頭があるであろう箇所にそれを置くと、触手がぐちゃりと飲み込んでいった。
《――――――ッ!!》
そして次の瞬間、先程以上に不愉快な咆哮が一帯を震わせる。
同じく異形と同化したそれが、頭からコウモリめいた巨大な翼を生やす。
いいや、それだけではない、腹に開いた大穴も完全に修復される。
瞬く間に異形は少女と同じ高さまで飛翔し、
《―――――ッ!》《排除ッ!》
凄まじい轟音とともに黄金と暗黒がぶつかりあった。
なぜ始まったのか、なぜ戦うのか、そもそもこれは何なのか、誰も知らない戦いが――魔界大戦が始まる。




