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ラーカス、報いを受ける

「まったく、あのバカが死んだせいであたしの仕事が増えちまったじゃないか」


 ハリーはぶつぶつ言いながら、苛立たしそうに事務所の掃除をしていた。彼女は、十年近くラーカスの下で働いている。これまでにも、様々な悪事に加担してきた。ラーカスも、ハリーのことは信頼している。何せ、無人の事務所を任されているくらいだ。


「さて、そろそろ帰るとするかね」


 誰もいない事務所でひとり呟くと、ハリーは帰る仕度を始める。

 その時だった。突然ドアが開き、奇妙な者が事務所に入って来た。背がすらりと高い、黒い革の服を着た若い女だ。髪は黒く、肌は雪のように白い。ハリーを見る目には、冷酷な光が宿っている。


「こんな時間に、何しに来たんだい!? ここがラーカスの事務所だと知ってんのかい!」


 怒鳴るハリー。だが口調とは裏腹に、彼女は怯えていた。目の前にいる者は、明らかに常人ではない。ハリーも、この監獄都市で生き延びてきた女である。危険な者とそうでない者の見分けくらいはつく。

 ここにいる女は、危険だ……ハリーは、本能的に後ずさっていた。

 その時、女の表情が変化した。美しい顔に、妖艶な笑みが浮かぶ。


「ここは、金貸しなんだろ? ちょっと貸してもらいに来たんだよ」


「はあ? だったら明るいうちに来な! もう店閉めるんだよ――」


 ハリーは、最後まで言い終えることが出来なかった。まばたきするくらいの、ほんの僅かな間……女は、その一瞬に間合いを詰めていた。

 直後、女はハリーの首に触れる。その指には、獣のような鋭い鉤爪が生えていた……先ほどまでは、なかったはずのもの。

 鉤爪は、ハリーの首に刺さっていた。チクリという痛みだ。針が刺さった程度の、ケガとも呼べないほどの傷である。

 しかし、その傷はハリーの体内に毒を流し込む。人間の体を麻痺させ、内臓の機能をストップさせる毒を……ハリーは、その場に崩れ落ちた。


「あたしゃ、明るいうちは外に出られないんだよ。あと、あたしは血を見るのが嫌いでね。とどめは刺さないよ。悪いけど、苦しみながら死んでもらうよ」




 その頃、ラーカスはアラックを引き連れ、裏通りを歩いていた。下っ端として使っていたサムが死んで以来、少額の取り立てにも自分が動かなければならなくなった。これは、はっきり言って面倒くさい。


「そろそろ、新しい奴を雇わにゃならんな。いちいち俺が動いていたのでは、効率が悪くて仕方ない」


 ぶつぶつ言いながら歩くラーカス。周囲にはひとけがなく、空には月が浮かんでいる。この辺りには街灯も設置されていないため、月明かりとラーカスの手にしたランタンだけが頼りだ。

 そんな彼らの前に、巨大な男が姿を現した。


「お前、誰だ?」


 ラーカスは、うっとおしそうに尋ねた。たまに、こういう馬鹿がいる。小金を扱っているという噂を耳にした食い詰め者に、何度か襲われたことがあった。無論、アラックがことごとく返り討ちにしてきたが。

 また、身のほど知らずのバカが現れたのか……そんなことを思いながら、ラーカスは男をしげしげと眺めた。身長は二メートルほど、肩幅は広くガッチリしている。胸板も分厚く、手のひらもいかつい。並の人間が相手なら、その大きさだけで圧倒できるはずだ。黒いマントを着てフードを頭からすっぽり被っているため顔は見えないが、体つきと同じくゴツい顔をしているのではないか。

 もっとも、三メートル近い巨体のアラックに比べれば小男でしかないが。


「俺に何か用か?」


 ラーカスは尋ねたが、男は無言のままだ。どうやら、話し合う気はないらしい。ならば、アラックに任せるとしよう。


「おい、捻り潰せ」


 言いながら、アラックの方を向く。だが、そこに予想外のものを見た。

 オーガーのいかつい顔に、奇妙な表情が浮かんでいる――




 アラックの前に、これまで見たこともない者がいる。体は自分よりも小さい。だか、その肉体からは彼が今まで嗅いだことのない匂いがしている。


 強い、のか?


 久しく忘れていた感覚。この街に連れて来られて、どのくらい経ったかは分からない。だが、こんな者に出会ったのは初めてだ。


「何をやってるんだ。さっさと殺せ」


 ラーカスの声に促され、アラックはそいつをじっくり見つめた。体は人間にしては大きいが、自分よりは小さい。獣のような鉤爪も、巨大な角も生えていない。


 あいつには、武器がない。

 しかも、俺より小さい。


 このアラックは、オーガー族にしては賢い。だが、その賢さが仇となることもある。彼は、自身の野性を信じることが出来なかった。代わりに、僅かな知性の判断に頼ってしまったのだ。

 アラックは吠え、突進していく。さらに巨大な拳で、男を思いきり殴った。

 大抵の人間を撲殺できるはずの、強力な一撃だ。だが、男は避けもせず真正面から受け止める――

 次の瞬間、アラックは後ずさる。おかしい。自分の攻撃が、何のダメージも与えていない。いつもなら、この一撃で吹っ飛んでいくはずなのに。


「何やってる! さっさと殺せ!」


 ラーカスの罵声が聞こえた。その言葉にせき立てられるかのように、アラックは攻撃を再開する。拳を振り上げ、男を殴った。何度も何度も殴った。目の前の敵を叩き潰すべく、死に物狂で攻撃を加える――

 だが、アラックは気づいていなかった。自分の主人であるはずのラーカスが、その場から姿を消していたのだ。


 やがて、アラックの動きが止まった。もう体が動かない。呼吸すら困難だ。成長した牡牛ですら撲殺できるほど、激しく殴り続けた。

 にもかかわらず、目の前にいる男は平然と立っている――


「あなたは、仕える人間を間違えました。もっとマシな人間に仕えていれば、あなたの力は別の方向に活きたはずです。本当に、残念ですよ」


 そんな言葉が聞こえてきた。だが、アラックには何も答えられなかった。今の彼は、呼吸するのがやっとの有様である。言い返すことは出来ない。まして、その後に彼を襲う災厄を避けることなど不可能だった。

 直後、相手が拳を振るった。これまで経験したことのない、あまりにも強烈な一撃。アラックの首はへし折れ、頭蓋骨は陥没した。彼は痛みすら感じる間もなく、一瞬で死んだ。




 ラーカスは、必死で走った。彼は、腕の方はからきしだ。しかし、危険に対する感覚は鋭い。先ほどの闘いは、アラックが負ける……そう判断した彼は、一目散に逃げることを選んだ。アラックという忠実なる用心棒を失うのは痛い。だが、命と金さえあれば代わりはいくらでも見つけられる。

 そんな計算をしながら、ラーカスは必死で走った。が、前方にひとりの若者の姿が見えた。ラーカスは、慌てて立ち止まる。


「やあ、ラーカスさん。そんなに急ぐことないじゃん。まあ、ゆっくりしなよ」


 言いながら、若者はニッコリ微笑む。ラーカスは顔をしかめ、まじまじと若者を見つめた。見たところ、体の小さな優男である。武器らしき物は持っていない。こんな若者なら、簡単に殺せるだろう。

 

「そこをどけ。でないと殺す」


 ラーカスは短剣を抜き、つかつかと歩いていった。その時、若者はため息を吐く。


「だからあ、ゆっくりしていきなって言ってんのに。何で、そうやって生き急ぐのかなあ」


 言った直後、若者の手に奇妙な物が握られていた。黒い鉄のような何か。筒のような形をしており、穴は真っすぐこちらを向いている。

 ラーカスが現世で最期に見たものは、その筒から轟音とともに発射された鉛玉であった。鉛玉はラーカスの眉間を貫き、痛みを感じる前に彼は死んだ。


「そんなに急いで、地獄に行くことないじゃん」  


 ・・・


「トライブとユーラックの小競り合いは、今は小康状態ですね。ひと昔前は、毎日のように下っ端のチンピラ共が殺し合いをしてましたが……ちょっと前に、ショウゲンがユーラックのアジトに乗り込んで、リーダーのグレンとサシで話し合ったんですよ。だから、当分は平和でしょう。ただ、ユーラックのシドは異様に血の気が多いですから。何かあれば、真っ先に動くでしょう」




 ゴーダムの路地裏にて、二人の男が声をひそめて立ち話をしていた。ひとりは、痩せた中年男である。ボサボサの長い髪は、ここ半年以上は洗っていないのではないかと思われるような有様だ。無精髭が顔の半分を覆い、着ているものもボロボロである。ゴーダムの地下道をうごめく乞食にしか見えない。

 もうひとりは、身長二メートルはあろうかという大男だった。肩幅は広く、胸板も分厚い。黒いマントが全身を覆い、頭からフードを被って顔を隠し、乞食を見下ろしている。


「他に、有力な組織はないのか?」


「そうですね……アマゾネスってのもありますが、奴らは根っからの商売人です。トライブとユーラックが戦争になったら、アマゾネスが止めに入るでしょうね。ボスのクインにとっては、両方の組織が睨みあってる状態の方が儲かりますからね」

 

 乞食は、ひひひと笑った。だが、大男は無言のままだ。乞食は、きまり悪そうに言葉を続ける。


「他は、これといってめぼしい連中はいませんね。地下の連中はヤバいのが多いですが、あいつらはまとまりがありませんし、地上に出てくる気もないです。まあ、トライブとユーラックが戦争になれば、この街は完全に無法地帯となるでしょうね。どっちが勝っても、弱体化するのは間違いないですから」


「今だって、無法地帯みたいなもんだろうが」


 大男の言葉に、乞食は笑いながら首を振る。

 

「いやいや、ひと昔前は本当にひどかったんですよ。チンピラ共が徒党を組んで、毎日のように殺し合ってましたから。トライブとユーラックがチンピラ共を吸収していったから、俺たちも安心して出歩けるんですよ。まあ、当時と変わらないヤバい場所も結構ありますけどね」


「なるほどな、よく分かった」


 そう言うと、大男は金貨を一枚渡した。乞食は、下卑た笑顔で受け取る。


「いや、すみませんね。ところで、旦那の声なんですがね、どっかで聞いた覚えがあるな……と思ってたんですが、やっと分かりましたよ。あいつにそっくりですね」


「あいつ? 誰だ?」


「あの、渡し屋の店にいる店番やってるデカブツです。こいつがまた、化け物みたいな顔してるんですけど、妙にスカした喋り方するんですよ。あいつと旦那の声はそっくりですね――」


 その時、大男の手が伸び乞食の頭を掴む。

 直後、乞食の頭は握り潰された。スイカのようにグシャッと音をたて、周囲には脳や血や体液が撒き散らされる。一瞬遅れて、乞食の体から力が抜けた。

 大男は、死体をゴミくずのように放り投げる。そのまま、何事もなかったかのように去って行った。


「余計なことを思い出さなければ、もっと長生きできたものを……哀れな奴だ」



 





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