ジェイク、本能のままに動く
ニコライの隣には、奇妙な男が立っている。中肉中背で、しまりのない顔つきの青年だ。ぼさぼさの黒髪といい、食べこぼしの付いたシャツといい、どう見ても大物ではない。地下を蠢く乞食と、さして代わりないように見える。
そんな二人の前には、レンガ造りの建物がある。鉄の扉と門番、さらに殺風景な外観……まるで牢獄のような外観だ。
しかし、ここはゴーダムでも指折りの店なのである。
「ようダチ公、ここが銀龍亭か? ずいぶん洒落た名前つけてんだな」
言いながら、若者はニコライを肘でつついた。これから二人で、ゴーダムの一大勢力であるトライブ主催の食事会に行くというのに、緊張感はまるきり感じられない。
もっとも、このジェイクを緊張させられるような者など、この世界に存在するのかは不明だが。
店に入ると、二人は給仕の青年により奥の特別室に通された。頑丈そうな扉を開け、部屋の中に入っていく。
目の前のテーブルには、パンやスープなどを乗せた皿が置かれている。さらに横には、ワインの瓶と空のグラスもある。
そして同じテーブルには、街の大物がずらりと顔を揃えていた。その数、ざっと十人ほど。全員、明らかに尋常でない雰囲気を漂わせている。さらに部屋の隅には、ビリーが立っていた。どうやら皆、ニコライたちの到着を待っていたらしい。
ニコライは、慌てて椅子に座る。二人がテーブルにつくと同時に、ショウゲンが立ち上がった。
「皆さん、本日は急な呼び出しにもかかわらず、来てくれてありがとう。私は、深く感謝している」
喋りながら、ショウゲンは皆の顔をじっくりと見回す。
その時、いきなり声を発した者がいた。
「おいショウゲンさんよお、俺らも暇じゃねえんだ。堅苦しい挨拶は抜きにして、さっさと用件に入ってくれねえかな」
その声に、部屋の隅に立っていたビリーが不快そうな表情を浮かべる。だが、声の主は怯む様子がない。じっとショウゲンを睨んでいる。
この男はシド。ユーラックという新興組織のリーダーであるグレンの弟だ。不健康そうに痩せた体つきと病的に白い肌だが、目には凶暴そうな光を宿している。腰のベルトからは数本のナイフをぶら下げており、両方の耳たぶには釘を突き刺している。この監獄都市でも、滅多にお目にかかれないであろうセンスの持ち主だ。
しかし、ショウゲンは表情ひとつ変えない。
「なるほど。では単刀直入に言おう。先日、私は何者かに命を狙われた」
そのとたん、部屋の空気が変わった。それまでバラバラだった一同の視線が、一斉にショウゲンへと向けられる。
「へえ、そんなことがあったのかい」
とぼけた口調で言ったのはグレンだ。シドの兄であり、ユーラックのリーダーでもある。肩までの髪と浅黒い肌、筋肉質のしなやかな体つきだ。暴力的な雰囲気を漂わせているが、その瞳からは知性が感じられる。
この男が率いているユーラックとは、街の下層民に属する若者たちを集めた組織だ。トライブほどのまとまりや権力は無い。それでも所属しているメンバーは多く、他の組織との小競り合いは日常茶飯事である。さすがに、トライブの縄張りに入って来てまで、いざこざを起こしたりはしないが。
また、ユーラックのモットーは「自由」であり、トライブのように厳しい掟があるわけでもない。組織力は他と比べて今一つだが、若く向こう見ずな者が多いだけに、何をしでかすか分からない怖さがある。
「で、何? あたしたちの中に犯人がいるとでも言いたいの?」
そう言ったのはクインだ。見た目は三十代半ば、肉感的な肢体と妖艶な雰囲気を合わせ持つ美女だ。ただし、彼女はゴーダムの売春婦たちを仕切る『アマゾネス』のリーダーでもある。またアマゾネスは、街の物流の半分を扱ってもいる。クインを甘く見る馬鹿はいない。
「いや、そういうわけではない。私に暗殺者を送るような、周りが見えていない阿呆がここにいるとは思えないからな」
ショウゲンの言葉に、室内の空気はさらに変化した。皆が彼を見つめるが、そこには様々な感情が込められている。驚愕、怒り、憎しみ、嫉妬……。
だが、そんな空気をものともしない男がいた。
「なあダチ公、これ食っていい? 俺、腹減っちまったよ」
大きな声で言いながら、ニコライをつついた者がいる。ジェイクだ。彼は、物欲しげな顔で料理の乗った皿を指指す。
「えっ? あ、うん、いいよ」
顔を引き攣らせながら、ニコライは頷いた。その場にいる全員の、冷たい視線を感じながら。
もっともジェイクは、そんな視線など気にも留めていない。皿に乗っているパンを、美味しそうに食べる。
「このパン美味いな。俺たちが普段食べてるパンと、全然違うじゃねえか。やっぱ高級店だなあ」
いかにも楽しそうに言いながら、ジェイクはパンを食べた。直後にスープの皿を両手で持ち、ズビズビ音を立てながら一気に飲み干す。子供のような無邪気さだ。もっとも、横にいるニコライの額には汗がにじんでいたが。
「はー、美味かった。なあダチ公、食わないの?」
食べ終わったかと思いきや、今度はニコライに矛先を向けてきたジェイク。ニコライは目を白黒させた。
「い、いや、あの――」
「食わないなら、もらっていい? このパン、フィオナにも食わしてやりたいんだよ。なあ、お願いだよう」
こんなセリフを吐きながら、仔犬のような目でこちらを見つめるジェイク。そんなふうに言われては、駄目だとは言えない。ましてや、空気を読めなどと言えるはずもない。ニコライは、顔の半分を引き攣らせながら頷いた。
「あ、ああ、いいよ」
「やったあ」
ジェイクは、嬉しそうにパンをポケットに詰め込む。その時、怒りの声を上げた者がいた。
「おいコラ、いい加減にしろ」
声の主は、ユーラックのシドだ。ナイフを手に、ぎらついた目でニコライたちを睨んでいる。
ニコライは、思わず顔を歪めた。シドという男は、とにかく凶暴なことで知られている。今までにも、つまらないいざこざで何人もの人間を殺していた。トライブとユーラックの小競り合いは今では鎮静化しているが、ゼロになったわけではない。その数少ない争いの原因のほとんどを、シドが作っているというのが、もっぱらの噂だ。ニコライも、シドと顔を合わせるのは今日が初めてだが、その評判は耳にしている。言うまでもなく、悪い評判がほとんどだ。
やはり、ジェイクを連れて来たのは失敗だったか……などと思いつつ、ニコライは頭を下げる。
「すみませんね、うちの連れは食いしん坊なんですよ」
だが、シドは彼のことなど見ていない。その目は、ショウゲンを捉えていた。
「ショウゲンさんよう、わざわざ俺たちを呼び出した理由は何なんだ? 命を狙われた、なんて下らねえ話を聞かせるためか? それとも、この乞食の食いっぷりを見せるためか?」
言いながら、シドはジェイクを指差す。ただし、その目はショウゲンに向けられていた。
ショウゲンの目が、すっと細くなる。
「私が何を言わんとしているか、お前には理解できないのか? トライブを統べる私が狙われた……これは、新しい勢力の出現かもしれないのだぞ。次は、ユーラックが狙われるかもしれん」
「それがどうしたんだよ? どこの何者だろうが、ケンカ売ってきたなら潰す、それがユーラックのやり方だ。それとも、あんたらトライブのやり方は違うのか? まさか、命を狙われてるからガードしてくれ、とでもいいたいのかよ」
言った後、シドは笑い出した。ヒャッヒャッヒャッヒャ……という下品な声が響き渡る。ショウゲンの脇に控えていたビリーは、憤怒の表情でシドを睨んだ。手は、腰に下げた刀の柄を掴んでいる。
その動きを見て、シドの表情も変わった。ナイフを抜き、ビリーを睨みつける。
「てめえ、何だその目は! 殺すぞコラ!」
吠えながら、テーブルにナイフを突き刺したシド。だが、直後に彼の手首を掴んだ者がいる。
「まあまあ、そんなに怒るなよ。仲良く食おうぜ」
そう言うと、ジェイクはシドのナイフを奪い取る……止める間も与えない素早い動きだ。
「てめえ! 何しやがる!」
シドは怒鳴り、ジェイクに掴みかかろうとした。が、その動きが止まる。
ジェイクは突然、テーブルを左手で叩いた。さらに反対側の手で、シドから奪ったナイフを振り上げる。
直後、ナイフを振り下ろした――
ジェイクの左手の甲に、ナイフが突き刺さる。刃は彼の手を貫通し、テーブルをも傷つける。当然、手からは血が流れた……。
だが、ジェイクは止まらない。ナイフを振り上げ、何度も己の手を突き刺す――
「イヤッホウ! ヒャー!」
奇声を発しながら、己の手を突き刺すジェイク……凶暴なシドも、完全に呑まれていた。
やがてジェイクは、左手をシドの前に突き出す。ナイフで何度も刺され、穴が空いている……。
だが、ジェイクは楽しげな表情だ。シドに向かい、ニヤリと笑った。
「ウエーイ!」
ジェイクが叫ぶ。と同時に、彼の手の傷が癒えていった。穴がみるみるうちに塞がっていき、皮が張っていく。数秒の後、傷は完全に治っていた………血の痕は残っているが、傷は消えていた。
周りの者たちは、この理解不能な行動と怪物レベルの再生能力に圧倒されていた……だが、当のジェイクは涼しい表情だ。シドにナイフを返し、ポンポンと肩を叩く。
「これで機嫌直してくれよ。楽しくやろうぜ」
ジェイクが言った直後、クックックック……という声が聞こえてきた。
声の主は、シドの兄グレンである。楽しげな表情でクスクス笑いながら、テーブルの上に何かを置く……何かのつまった、林檎ほどの大きさの袋だ。
「ウチのバカが迷惑かけたな。この金で、許してくれや」
ショウゲンに言った後、グレンは無言のままシドの首根っこを掴んだ。半ば強引に引きずって行く……と、ジェイクの前で立ち止まった。
「あんた、最高にクールだな。また会おうぜ」
ニヤリと笑いかけ、グレンとシドは去って行った。
その後、奇妙な空気の中で集会はお開きになった。場の雰囲気は、もはや会食のそれではない。主だった者たちは、形だけの挨拶をして去っていく。ニコライとジェイクの二人も、帰り道をのんびり歩いていた。
「なあダチ公、また呼んでくれよ。あの店、すげえ美味かったぜ。今度は、フィオナも連れて来ていいかい?」
楽しそうに尋ねるジェイク。彼は、あちこちのポケットにパンを詰め込み、さらに皆の残していった肉料理を袋に包んでぶら下げている。さすがのショウゲンたちも、呆れ顔で彼の行動を見ていた。
ニコライもまた、苦笑しつつ首を振る。
「いや、そりゃ無理だよ」
「そっかぁ、残念だなあ」




