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ショウゲン、襲撃される

 監獄都市との異名を持つゴーダムでも、静かな場所はある。トライブという組織が統治している地域は、暴力による平和が築かれていた。

 もっとも、トライブによる支配は極めて緩やかなものだ。基本的に住民たちの好きなようにやらせており、何かトラブルが起きた時にのみ下の兵隊たちが出動する……その程度のものである。とはいえ、トライブに逆らおうものなら簡単に消されてしまうのだが。




 そのトライブが統治している一角に、レンガ造りの大きな建物があった。一階はレストランになっており、二階は宿屋である。今はちょうど昼下がりであり、客足の途切れる時間帯であった。


 やがて建物の扉が開き、一人の男が出てきた。 年齢は三十歳になるかならないか……黒い髪は肩まで伸びており、瞳も黒いが肌の色は白い。さほど背は高くないが、鍛えられたしなやかな体つきをしているのは服の上からでも見てとれる。その腰には、サーベルのような奇妙なデザインの刀をぶら下げていた。

 男は立ち止まり、周囲を見回した。とたんに、その眉間に皺が寄る。その右手が、腰の刀へと伸びていった。

 直後、またしても扉が開いた。今度は美しい女が出てくる。こちらは二十代くらいか。長い赤毛と毛皮の上着が特徴的である。

 その女は、艶のある目付きで男を見上げた。


「お待たせして、すみません。では、帰りましょうか――」


「待て」


 言いながら、男はちらりと通りの先を見る。彼の視線の先には、一人の中年男がいた。ボロボロの服、汚い顔、かさぶたや腫瘍だらけの皮膚……恐らくは、ゴーダムの地下に蠢く乞食だろう。ただし、その手にはナイフを持っている。刃渡りは十センチほどだろうか。錆びてはいるが、人を殺すには充分に事足りる。

 その乞食はナイフを持ったまま、じっと男を見つめている。その目には、普通ではない光が宿っていた。

 次の瞬間、女は動こうとする。が、男は彼女の肩を掴んだ。


「ライザ、ちょっと待て」


 そう言って、男は乞食を睨んだ。


「私は、トライブのショウゲンだ。私に何か用か?」


 落ち着いた声だ。この異様な状況に、全く動揺していないらしい。

 だが、乞食の方も迷いがなかった。ナイフを振り上げ、ショウゲンと名乗った男に襲いかかる。

 その時、ショウゲンの手が動いた。腰の刀が抜かれる。

 と同時に、刃が一閃――

 ぼとり、という鈍い音がした。直後、乞食の右腕が地に落ちる。


「う、うわあぁぁ!」


 一瞬遅れて、乞食が悲鳴を上げる。彼の片腕が、ナイフを握ったまま切り落とされていたのだ。地面は、あっという間に血に染まっていく……。

 ショウゲンの方は、あくまで冷静だった。刀の切っ先を、乞食の喉元にピタリと当てる。


「このままだと、お前は出血多量で死ぬ。助けて欲しければ――」


 言葉の途中、ショウゲンは振り向いた。

 いつの間に現れたのか、若い男がこちらに走って来ている。その手には、刃物を握っていた。

 だが、若者は目的を果たせなかった。ライザが若者の前に立つ。と同時に、音もなくスッと動いた。

 若者は血走った目で、ライザにナイフを振り上げる。だが、その動きが止まった。

 次の瞬間、若者の喉がパックリと開いた。そこから、大量の血が吹き出す――

 若者は、自分に何が起きたか分かっていないようだった。何か訴えようとでも思ったのか、懸命に口を開く。しかし、声は出ない。ただ、パクパクと口が動くだけだ。その様は、腹話術の人形のようであった。

 だが、ショウゲンは舌打ちする。


「ライザ、すぐに皆を呼べ! 街の連中に命じて、この二人を治療院へと連れて行かせろ!」




 その様子を、望遠鏡で眺めている者がいた。身長は二メートルを超え、肩幅は広くがっちりした体格である。黒いマントで全身を覆い、フードを被っているため顔は見えない。もっとも、こんな巨漢の女がいるとは思えないが。

 黒マント姿の巨漢は、高い搭の上から、ショウゲンの動向をじっと見つめていた。


 ・・・


 日が沈み、闇があたりを支配する時間帯……店の扉が開いた。

 椅子に座っていたニコライが顔を上げると、そこには一人の女が立っていた。黒い革のコートを着て黒い革のパンツを履いている。背は高く、百六十センチのニコライを見下ろすであろう高身長だ。体型は痩せすぎず太りすぎず、肉感的な体つきである。肩までの長さの髪はきれいな亜麻色であり、肌は透き通るように白い。通りですれ違えば、ほとんどの男が振り向いてしまう美貌の持ち主だ。

 もっとも、彼女の顔色は良くなかった。目つきも鋭く、表情は冷たい。下手に声などかけられないような、威圧的な雰囲気が漂っている。


「やあ、ミーナさん。ボリスなら奥の部屋にいるよ。さあさあ」


 そう言うと、ニコライは立ち上がり奥の扉を指し示す。だが、ミーナと呼ばれた女は彼のことを見ようともしない。そのまま、奥の部屋へと入って行った。

 ニコライは苦笑し、溜め息を吐く。


「やれやれ……彼女は、いつになったら賢くなるんだろうね」




 ミーナが扉を開けた先は、白い壁に覆われた部屋だ。さほど広くはないが、店と同じく天井は高い。部屋の中央には木製のテーブルがあり、これまた木製の椅子が向かい合う形で二脚セットされている。

 その椅子の片方には、ボリスが座っていた。


「ミーナさん、どうぞお掛けください」


 優しい口調で、ボリスは椅子を指し示した。恐らくは、にこやかな表情を浮かべているつもりなのだろう。だが、彼の顔はひどく醜い。粘土でこしらえた顔を、ナイフでぐちゃぐちゃに切り刻んだようである。どんな表情を浮かべていようが、ほとんどの人間は恐怖しか感じないだろう。

 一方、ミーナは露骨に不快そうな表情を浮かべている。横柄な態度で椅子に座り、ボリスを正面から睨みつける。彼を怖がっているような素振りはない。


「調子はどうですか?」


 ボリスが尋ねる。


「いいわけないでしょうが……さっさと薬ちょうだいよ」


 答えるミーナの口調は、ボリスとは真逆のものである。苛ついているのか、足を小刻みに揺すっていた。

 ボリスの表情に、僅かながら変化が生じた。


「あなた、酒を……いや邪眼草を吸ってますね?」


「だから何?」


 その言葉を聞いた瞬間、ボリスは顔を歪めた。


「分かってるんですか!? あなたは、プロナクスを飲むことによってかろうじて吸血欲を押さえていられるんですよ! なのに邪眼草など吸えばどうなるか――」


「別に、邪眼草を吸うなとは言ってないじゃん」


 ふざけた口調のミーナに、ボリスの巨体がわなわな震え出した。


「そんなことは、いちいち説明するまでもないと思ったから言わなかっただけですよ……あなたはプロナクスにより、かろうじて正気を保っているんです。一日一錠プロナクスを飲まなければ、あなたは吸血鬼の本能に支配され、人間を襲うことになるんですよ」


 ボリスは、体を震わせながら語った。その顔は歪んでおり、必死で冷静になろうと努力しているのが、端から見ても分かるほどだった。

 にもかかわらず、ミーナの方はうんざりしたような様子だ。


「その話は、今までに何度も聞かされたから……もう聞きあきたよ――」


「だったら、邪眼草を吸うのが危険なことも理解できますよね? 酒や邪眼草は人間を酩酊状態に陥らせ、自制心を失わせます。プロナクスの効果も失われる恐れがあるんですよ」


「んなもん、平気平気。邪眼草でいい気分になってりゃ、人間の血を吸いたいなんて思わないから」


 そう言うと、ミーナはあくびをした。


「ねえ、さっさと薬だしてくんないかな? そろそろ帰りたいんだけど」


 そこで言葉を止め、ミーナは挑むような表情でボリスを見つめた。


「それとも何? 言うことを聞かないから、薬は出さないとでも? いいよ、好きにすれば? あたしは構わないから……飲まなくたって、別に困るわけじゃないし」


 ミーナの言葉に、ボリスは拳を握りしめた。その巨大な体は震えている。内に蠢く怒りを、必死で押さえようとしているかのように。

 やがて、ボリスはふうと息を吐き出した。後ろにある棚から小瓶を取り出し、テーブルに置く。中には、小さな黒い錠剤が入っていた。


「三十錠あります。一日一錠飲めば、人間に対する吸血衝動は押さえられるはずです……ただし、酒や邪眼草などを――」


「はいはい、分かった。ありがとさん」


 片手を上げて制すると、ミーナは小瓶をポケットに入れた。向きを変え、扉へと歩いて行く。

 その時、ボリスが振り絞るような声を発した。


「あなたは、誰もが羨む美貌の持ち主だ。プロナクスさえあれば、人間として生きられるんです……私とは違うんですよ」


 彼の言葉に、ミーナは立ち止まる。振り向いた顔には、人食い鬼ですら怯ませるような激しい表情が浮かんでいた。


「人間? どこが人間なんだよ……日の光を浴びることも出来ず、美味しい食べ物を味わうことも出来ず、いい男と付き合うことも出来ず、ひたすら闇に潜んでなきゃならない……これが、人間の生活かい?」


 静かな口調ではあるが、その奥に秘められた感情は凄まじいものだった。ボリスは、じっと彼女を見つめる。


「悩んだ時は、いつでも来てください。私で良ければ、話し相手になります」


「フン、あんたのその面見てると悩みがさらに大きくなるだけだよ。じゃあね」


 そう言って、ミーナは荒々しい態度で扉を開ける。不快そうに、足音を立てながら出ていった。




 部屋に独り残されたボリスは、椅子に腰かけた。ため息を吐いた時、ニコライが入って来る。


「あいつは、もう手に負えないかもしれないな」


「どういう意味です?」


 聞き返すボリスに、ニコライは冷たい視線を向ける……普段の彼とは、完全に真逆であった。


「ミーナが見境いなく人間を襲うようになったら、俺があいつを殺す。分かってるな」


 その言葉に、ボリスは虚ろな目で天井を見上げた。


「ひょっとしたら……彼女も、それを望んでいるのかもしれませんね」


「何を望もうが、それはミーナの自由だよ。けどね、ここはいろんな種族が共存している場所さ。見境なく人間を襲うようなら、殺さなきゃならないよ。彼女自身のためにもね」


 そう言った時、扉をノックする音が聞こえてきた。ニコライは顔をしかめる。もう、店を閉める時間なのだが、何者が来たのだろうか。


「まったく、誰だろうね……まさか、死者が来たわけじゃないよな」


 ブツブツ言いながら、ニコライは店に戻る。

 しかし、そこには意外な人物がいた。


「ビリー……あのさ、もう閉店の時間なんだけど。何しに来たの?」


 困惑した様子のニコライ。彼の前には、すらりとした体型の若者が立っている。黒い服を着て、腰からは細身の刀をぶら下げていた。

 一見すると、何の迫力もない優男である。だが彼の名はビリー、トライブの幹部である。馬鹿にする者がいれば、腰の刀で切り刻まれることになる。


「時間も遅いので、単刀直入に言いましょう。急な話で申し訳ないですが、明日の昼に会食の場を設けました。ショウゲンさんが、あなたにも来て欲しいと言っております」


 ビリーはにこりともせず、真剣な表情で言った。だが、ニコライの方は首を傾げた。


「……なんか、えらく急な話だね?」


「仕方ないのですよ。実は今日の昼間、ショウゲンさんが襲われました」


「えっ……」


 さすがのニコライも絶句した。ショウゲンとは、三十歳の若さでトライブのリーダーになったキレ者である。

 トライブにしても、掟の厳しさと構成員の冷酷さとで現在の地位を築いてきた組織だ。そのトライブのリーダーが襲撃されたとあっては、確実にただではすまない。


「もちろん、襲撃者は返り討ちにしました。ショウゲンさんには傷ひとつありません。しかし襲撃者の方は、本部に運ばれる途中で亡くなりました」


 余計な感情を交えず、ビリーは淡々とした口調で語る。だが、その奥に秘められたものは激しい。このビリーという青年は、ショウゲンを崇拝しているのだ。

 ビリーは腕も立つし、荒事もこなせる。その反面、優しい性格の持ち主であり、綺麗な顔立ちと紳士的な振る舞いにより女からの人気は高い。ニコライも彼を嫌いではないが、ショウゲンに対する気持ちには、付いていけないものを感じているのも確かだ。

 もっとも、ショウゲンはゴーダムの支配層に属している。呼び出しとあらば、顔を出さないわけには行かない。


「分かった。行くよ」


「ありがとうございます。では、また明日」


 そっと頭を下げ、ビリーは出て行く。トライブの幹部には珍しく、彼は単独行動を好む男なのだ。今日も、手下をひとりも連れていない。これは自分に対する圧倒的な自身の現れだろう。

 もっとも、ニコライから見れば無用心でしかないが……。


「明日、トライブのショウゲンさんと会食ですね。では、私も行きます」


 声をかけてきたボリスに、ニコライは首を横に振って見せた。


「いや、お前は残れ。店は開けとかなきゃならない。店番を頼む」


 その言葉に、ボリスは血相を変える。


「ちょっと待ってください! 連中の中に、ひとりで飛び込むつもりですか!?」


「いいや、あいにく俺はビリーと違って臆病だからね。ひとりじゃ行かないよ。ジェイクを連れてく」


「ジェイク!? あいつが行くと血を見ますよ――」


「大丈夫だよ。いざとなったら、俺だけ逃げてくるから」







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