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ボリス、存分に腕を振るう

 その日の夜、ニコライはバラックの立ち並ぶ裏通りへと入って行った。

 周囲は暗く、危険な匂いが漂っている。道は時おり鼠などの小動物が横切り、立ち並ぶ小屋の中からは人の気配が感じられる。このあたりの住人は、ほとんどがまともな者ではない。履いている靴を奪うために足を切り落とす、そんな理屈がまかり通る場所でもある。

 そんな中を、ニコライは迷うことなく進んで行く。やがて、一軒の家の前で立ち止まった。そこいらから木材やレンガを拾ってきて勝手に組み立てた、という雰囲気の造りである。中からは、かすかに甘ったるい匂いがしていた。

 ニコライはちらりと家を見つめると、扉をノックする。

 少しの間を置き、扉が開いた。中から、若い男が姿を現す。


「お前、誰だ?」


 不審な表情を浮かべ、男は尋ねた。背は高いが痩せた体、青白い顔色、薄汚れた服……どう見ても、まともな暮らしを送っているようには見えない。


「あのう、娘さんのことで話があるんですよ。ちょっと入れてもらえませんか。ここじゃ、色々とありますから……」


 そう言って、ニコライはへらへら笑う。いかにも軽薄そうな態度だが、男の表情は変わった。鋭い目付きで、ニコライをじっと見つめる。


「てめえ、何しに来た?」


 男からの、あからさまな敵意の込もった言葉に、ニコライは笑顔で答える。


「あなた、ヨーグさんですよね? 娘さんのことで、お話があるんですよ。立ち話もなんですから、ちょっと入れてもらえませんかねえ?」


 その問いに答えず、ヨーグはじっとニコライを見つめた。ニコライは一見すると小柄な優男である。威圧感などは欠片ほども感じられない。

 ややあって、ヨーグの顔に安心するような色が浮かぶ。こくりと頷いた。


「いいよ。入んな」




 ニコライを招き入れると同時に、ヨーグは扉を閉める。


「おやおや、いやに用心深いんですねえ。ま、こんな所に住んでれば仕方ないですかね」


 呟くように言った後、ニコライは家の中を見回した。正直、お世辞にも綺麗とは言えない。床には正体不明のゴミクズが転がり、壁には染みが付着している。決して広くない家の中には物が散乱し、ゴミ屋敷の一歩手前といった感じだ。

 そんなガラクタがちらばる奥の部屋にて、一人の女が床に座り込んでいた。こちらも不健康そうな顔つきで、パイプをくわえている。室内は、タバコの煙が充満していた。

 いや、この煙はタバコではない……邪眼草ジャガンソウだ。乾燥させた邪眼草の煙は、パイプを用いて吸い込むと強い酩酊感をもたらす。ゴーダム以外のほとんどの場所では、禁止されているものだ。

 それを悟ったニコライは、口元を歪めた。


「あなたがサラさんですね……はじめまして、ニコライです。話は、娘さんから聞いていますよ」


 女に言った後、ニコライは悲しげに微笑んだ。

 だが、ヨーグとサラの夫婦は不快そうな表情を浮かべる。


「娘のダイアンなら、どこに行ったか分からねえんだよ。今、探してもらってるところなんだ」


 少しの間を置き、ヨーグが答えた。だが、ニコライは首を振る。


「いや、それは違うでしょ。あんたら夫婦が、あの娘を殺したんだよ」


 言ったとたん、夫婦の表情が変わる。


「何を言ってるんだ? 俺たちが、自分の娘を殺すわけねえだろうが。適当なことをぬかすと、承知しねえぞ!」


 怒鳴りつけるヨーグ。だが、ニコライは悲しげに笑うだけだった。


「あのね、俺には分かってるんだよ……ダイアン本人から聞いたからね。あんたらは、日頃からダイアンに暴力を振るって虐待してたよね。特に、あの日は二人して邪眼草を吸っててヨレヨレになってた……ちょうど、今みたいにさ」


 ニコライの言葉を聞き、今度はサラが残忍な表情を浮かべて立ち上がった。


「そんな話、誰から聞いたんだい!? いい加減なこと言うんじゃないよ!」


「だから、ダイアン本人だって言ってるじゃん……だいたい、あんたらみたいなヤク中に、いい加減だなんて言われたくないね」


 そう言って、ニコライはくすりと笑った。だが、目は笑っていない。悲しげな光を瞳に宿し、ニコライは語り続ける。


「あんたら夫婦は、邪眼草がばっちりキマった状態で、ダイアンに蹴りを入れた。腹を蹴られたダイアンは、もがき苦しみながら……その日のうちに死んじまった。困ったあんたらは、地下道にダイアンの死体を捨てた。まるで、ゴミを捨てるみたいに」


 静かな口調で、ニコライは語る。一方、ヨーグとサラは顔を見合せた。二人は、明らかに動揺している。


「その話が本当だっていう証拠は、どこにあるんだよ?」


 ヨーグが尋ねる。彼は手斧を片手に持ち、ニコライの背後に回る。さらに、もう片方の手で扉の鍵を閉めた。


「証拠? そんなもの無いね。だいたい、俺に証拠なんか必要ないんだよ。俺の目は死者の姿を見ることが出来る。俺の耳は、死者の声を聞くことが出来る。死者は、真実しか伝えないんだ……あんたらみたいなクズと違ってね」


 言いながら、ニコライは二人の顔を交互に見つめる。その表情は、ひどく暗いものだった。


「でもね、ダイアンは最後まで、あんたらを恨むようなことは言っていなかった。あの娘の最期の願いは、親友への伝言だったんだよ……あんたらを殺してくれとは頼まれてない。だから、俺はあんたらと直接会って確かめようと思ったんだよ。あんた夫婦は、ひょっとしたら善人なのかもしれない。自分たちの犯した罪に苦しんでいるのかもしれない、と思ってね」


 そこで、ニコライはため息を吐いた。歪んだ笑みを浮かべて言い添える。


「俺は甘かったね。あんたらには、罪を悔いるという人間らしい気持ちは欠片もないんだな。あんたら本物のクズだ。あんたらの腐った心は、世界中のどんな化け物より醜いよ」


「だから何だよ。悪いがな、お前を帰すわけにはいかねえ。どうやって知ったかは知らねえがな、死んでもらうぜ」


 ヨーグが低い声で言った時――

 突然、扉が引き剥がされた。まるで布切れでも飛ばすように、木製の扉が飛んでいったのだ。

 そこから、のっそり入って来たのは……恐ろしく巨大な男であった。傷だらけの筆舌に尽くしがたい醜い顔、広い肩幅、異様に分厚い胸板……おとぎ話から抜け出して来たような怪人が、そこに立っていた。

 言うまでもなく、昼間に店番をしていたボリスである。


「俺は暴力は嫌いだから、後のことはボリスに任せるよ。あの世で、ダイアンに詫びるんだね」


 ニコライが言った直後、ボリスは巨体に似合わぬ速さで彼の前に移動する。ヨーグの前に立ちはだかり、彼を見下ろした。

 すると、ヨーグは奇声を発したのだ。ボリスに対する恐怖ゆえか、あるいは遅れて効いてきた邪眼草のためか……先ほどまでの雰囲気が一変し、耳障りな声を上げながら手斧を振り上げる。

 ヨーグは唾を撒き散らしながら、ボリスに手斧で切りつけた。手斧は確かに、ボリスの胸のあたりに打ち込まれた。

 だが、ボリスは微動だにしない。むしろ、打ち込んだヨーグの方が衝撃を受けているようだった。表情をこわばらせ、動きが止まっている。

 ボリスの方は平然とした態度で、ちらりとヨーグを見下ろした。取るに足らない虫けらを見るような目付きである。直後、その腹に拳を叩き込んだ――


「ぶぐうぅぅ!」


 悲鳴とも呻き声ともつかない音を洩らしながら、ヨーグは膝を着き崩れ落ちた。床の上で血を吐きながら、ピクピク痙攣している……。


「私の見立てでは、胃と肝臓が破裂したものと思われます。あなたは数時間後には確実に死亡しますが、それまで激痛は続きます。それこそ、地獄のような苦しみを味わうことでしょう」


 ボリスの声もまた、静かなものである。その目には、冷たい光が宿っていた。


「う、うわあぁぁ!」


 突然、サラが吠える。邪眼草の効果ゆえか、あるいは亭主を殺された怒りゆえか、狂ったような表情を浮かべて突進してきた。手にした包丁を、ボリスめがけ突き出す――

 包丁は刺さらなかった。ボリスは、何事もなかったかのように彼女を見下ろしている。

 それでも、サラは止まらなかった。口からよだれを垂らし、獣のような叫び声を上げながら、彼女はなおも包丁を突き刺そうと試みる。

 しかし、ボリスは表情を変えなかった。痛みすら感じていないらしい。

 やがて、彼の手が包丁を掴んだ。

 刃の部分を掴み、一瞬でへし折る。


「申し訳ないですがね、こんな刃物では、私の皮膚を貫き通すことは出来ないのですよ」


 言いながら、ボリスは二つに折れた包丁を無造作に投げ捨てた。

 直後、またしても拳が叩き込まれる――

 巨大な拳が、彼女の腹にめり込む。サラは腹を押さえ、うめき声と共に床に崩れ落ちた。


「あなたは……胃と肝臓、さらに肋骨も数本折れました。折れた肋骨が他の内臓も傷つけたため、あと一時間も経たないうちに死ぬでしょう。まあ激痛は続きますから、その前にショック死するかもしれませんが」


 自分の知ったことではない……といった雰囲気で、サラに語りかけるボリス。その口調は落ち着いており、高い知性を感じさせる。怪物じみた見た目や怪力ぶりとは、完全に真逆であった。


「終わった? じゃ、そろそろ帰ろうか」


 言ったのはニコライだ。彼はすたすたと立ち去りかけたが、何を思ったか立ち止まる。

 振り向くと、死にかけている夫婦に冷たい視線を向けた。


「あの世で、ダイアンに詫びるんだね。もっとも、あの娘はあんたらの顔も見たくないだろうけどさ」




 夜の街を、二人は並んで歩く。ただでさえ、ゴーダムは物騒な街だ。夜になると危険も倍増するのだが、何せボリスがそばに付いている。手を出そうなどというバカ者は、まずいない。


「今回のようなケースは、力の加減が難しいんですよ。一撃で殺す方が、よっぽど簡単なんですがね」


 歩きながら、ボリスは言った。嫌味ともとれる言葉に、ニコライは思わず苦笑する。


「そう言うなよ。さっさと帰って、アバドンシチュー食べよう」


「分かりました。今朝から煮込んでいましたから、ちょうどいい頃合いですね」


 そう答えたボリスだが、思いついたように付け加える。


「そういえば、先日ふと思ったのですが……仮に人造人間である私が死んだとしたら、一体どうなるんでしょうね?」


「えっ?」


 怪訝な表情を浮かべ、ニコライは立ち止まった。


「もし、人造人間の私が死んだとしたら、魂はどうなるんでしょうね? そもそも、私に魂はあるのでしょうか?」


 尋ねるボリスの顔は、真剣そのものである。その目は、真っ直ぐニコライを見つめていた。

 だがニコライは、フッと笑みを浮かべる。


「それは、死んでみれば分かるよ。それ以前に、お前は殺されたって死なないけどね。確実に、俺よりは長生きするよ」







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