ボリス、大いに悩む
店の扉が開いた。
本を読んでいたボリスは顔を上げ、来客が何者であるか確かめる。外は、既に暗くなっている。こんな時間帯に、この店に来る者など限られている。買い物に出ていたニコライが帰ってきたか、あるいはミーナか。
「来たよ」
素っ気ない言葉と共に、ミーナが入って来た。相も変わらず、不機嫌そうな表情をボリスに向けている。
ボリスは軽く会釈し、立ち上がった。奥の扉を開け、別室へと歩いていく。ミーナも後に続いた。
椅子に座ると同時に、ミーナは仏頂面で足をテーブルの上に乗せた。
「ねえ、あたしも暇じゃないんだよ。堅苦しい前置きは抜きにしてさあ、とっとと薬出してくんない?」
ミーナの言葉に、ボリスの表情が歪んだ。少しの間を置き、口を開く。
「先日、あなたが数人のバンパイアを殺したという話を聞きました。その話に、間違いはないですか?」
今度は、ミーナの表情が歪む番だった。舌打ちし、不快そうに目を細める。
「あの、お喋り犬が……ったく、余計なことばかり言いやがって」
「では、その話は本当なんですね」
ボリスの語気が強くなった。だが、ミーナも怯まない。
「だったら、どうだって言うんだい? あんたに、何か迷惑でもかけたってのかい?」
「バンパイアを甘く見ない方がいいですよ。こんなことを続けていれば、いずれあなたの存在に気づきます。そうなったら、連中は全力であなたを潰しに来るでしょう」
「潰す? 上等だよ。来やがったら、返り討ちにするだけだよ。んなもんが怖かったら、最初からやったりしないから」
そう言うと、ミーナは挑むような目つきでボリスを見つめた。
「それとも、力ずくで止めるかい?」
ボリスは表情を強張らせながらも、薬の入った小瓶をテーブルに乗せる。
「プロナクスです。いつも通り、三十錠入っています。一日に一錠ずつ飲めば――」
「はいはい分かった分かった。じゃ、ありがとさん」
ミーナは立ち上がり、小瓶を引ったくるようにして取り上げる。向きを変え、扉の方に歩き出した。
その背中に、ボリスは悲痛な思いをぶつける。
「あなたは、美しい人だ。私とは違う。あなたは、人として生きられるんですよ。何のためにバンパイアを狩るんですか?」
すると、ミーナの動きが止まった。
「あんたには、分からないだろうよ……分かって欲しいとも思わない。あの光景を、あたしは今も覚えてる。忘れることなんか、出来やしない」
「では、あなたはバンパイアを根絶やしにするまで殺し続ける気ですか? 仮に、それが叶ったとして、その先はどうするんですか? あなたの人生に何が残る――」
「あたしの人生? 笑わせんじゃないよ。あたしはバンパイアなんだよ、人間じゃないんだ。あたしに、人生なんかない」
吐き捨てるような口調で言うと、ミーナは部屋を出て行った。
「よう、帰ったぜ」
声と共に、ニコライが店内へと入って来る。だが、ボリスは難しい表情のまま下を向いていた。ただでさえ厳つい顔が、よりいっそう恐ろしくなっている。気の弱い者なら、見ただけで悲鳴を上げて逃げ出すだろう。
ニコライは、ため息を吐いた。
「ボリス、ちょっとは肩の力を抜けよな。まあ、今回はそうも言っていられないかも知れないけどな」
その言葉に、ボリスは顔を上げた。
「どういう意味です?」
「ここだけの話だがな、トライブとバンパイアは密約を結んでいるんだよ」
「はい!?」
ボリスは、思わず立ち上がっていた。そもそもトライブの仕事とは、町の治安を守ることである。そのトライブが、町の平和を乱す存在であるバンパイアと密約を結んでいるとは。
「まあ、これは暗黙の了解なんだけどな。実際、トライブの縄張りではバンパイアは出ていない。奴らが出るのは、ユーラックやアマゾネスの縄張りだけだからな」
「そんなことが、許されるのですか?」
怒りの表情を浮かべるボリスに、ニコライは苦笑しつつ答える。
「仕方ないだろうが。トライブの奴らだって、バンパイアに好き放題させるわけにはいかねえ。かといって、バンパイアと正面きって戦争するわけにもいかねえ。となれば、よその縄張りでやってもらうしかないだろ」
「それで、街の治安を守っていると言えるのですか?」
「だから、仕方ないんだよ。連中だって、余計な血は流したくないしな。だいたい、トライブの存在意義について議論してる場合じゃないんだよ。ミーナがこのままバンパイアを狩り続けていけば、下手するとトライブとバンパイアの両方を敵に回すことにもなりかねない」
その言葉を聞き、ボリスは顔を歪めて下を向いた。
少しの間を置き、口を開く。
「もし、トライブとバンパイア族とがミーナさんの存在を知り、捜し始めたとしたら、あなたはどうするのです?」
「悪いけど、俺はミーナを引き渡すよ。あいつひとりのために、トライブと戦争するわけにはいかないからな」
即答したニコライを、ボリスは悲壮な表情を浮かべて見つめる。
「あなたは、本当に変わりましたね。昔のあなたなら、そんなことは言わなかったはずだ」
その時、ニコライの口元が歪んだ。
「仕方ないだろうが。人間ってのは、いつまでも昔のままじゃいられないんだよ」
・・・
翌日の夕方。
ゴーダムの路地裏では、少年たちが集まっている。彼らは輪になって、ひとりの小柄な少年を取り囲んでいる。
その小柄な少年は、ジムだった。
「このクソチビが! 調子乗るんじゃねえ!」
罵声とともに、少年の蹴りが飛んでくる。ジムはうずくまり、身を縮こませて耐えるだけだ。
「おら! 何とか言ってみろ!」
さらに、爪先が食い込んでくる。ジムは顔を歪めながらも、ひたすら耐えた。だが、相手の攻撃は止まらない。殴られ、蹴られ、ジムの顔と体は血まみれになっていった。
しばらくして、ジムはどうにか立ち上がった。少年たちは既に立ち去っており、周囲を見回しても誰もいない。
ジムは、地面に唾を吐いた。口の中は血まみれで、前歯も折られたらしい。唾と一緒に、血と砕けた歯も地面にこびりついていた。
虚ろな表情で、ジムはそれを見下ろした。次の瞬間、涙がこぼれ落ちる。
なぜ、自分がこんな目に遭わなくてはならないのだ。
体が小さく、腕力に劣るということは罪なのか。
(チカラガ、ホシイカ?)
突然、どこからともなく聞こえてきた声。ジムは、慌てて周囲を見回す。だが、誰もいない。
気のせいか、とジムは思った。既に陽は沈み、辺りは暗くなりかけている。早く家に帰らないと、イジメっ子よりも恐ろしい連中が現れるかも知れない。このゴーダムでは、暗くなってから外出したら命がいくつあっても足りないのだ。
(チカラガ、ホシイカ?)
またしても、声が聞こえてきた。ジムは立ち止まり、辺りを見回す。しかし、誰もいない。
(チカラガ、ホシイカ? ワレヲウケイレレバ、オマエニチカラヲサズケテヤル。ダレニモマケナイ、チカラヲナ)
今度は、はっきりと聞こえてきた。これは、魔法なのだろうか。ジムは、口を開いた。
「だ、誰?」
(ダレデモイイ。チカラガホシイナラ、ワレヲウケイレヨ。ウケイレル、トサエイエバイイ。ソウスレバ、オマエハチカラヲテニイレラレル)
「えっ……」
ジムは困惑した。いったい、この声は何者だろうか。得体の知れない何かが、自分に語りかけている。
関われば、危険ではないのか……そんな気はする。だが、受け入れると言うだけでいいのなら問題あるまい。本当に力を手に入れられるのならありがたい。仮に嘘だとしても、今の状況はこれ以上悪くはならないだろう。
そう、これ以上悪くなることなどありえないのだ。今は、人生において最悪の時なのだから。
「言うだけでいいの? なら、言うよ。受け入れる」
(ショウチシタ)




