悪魔のささやき ②
セオフィラスがグライアズローに到着をしたのはアルブスを飛び出すように出発してから21日も経過してからだった。クーズブルグまでの海路の途中、海が荒れに荒れて近くの漁港へ寄港せざるを得なかったのだ。
クーズブルグからの道程にもハプニングがあった。ジャンソン大橋が先の大雨の影響で一部が崩落してしまって通行できず、上流に大きく迂回していってからそこでジョルディでも渡れる水深を探さなければならなかった。
「まさかグライアズローまでこんなに時間がかかっちゃうなんて……」
「とりあえずゼノのとこに行きましょ。きっとアパルトマンよ。ゼノが不在でもエミリオはいるだろうし」
「場所、知ってる?」
「知ってるわよ。ていうか、牛どうするの。街中まで連れていけないわよ」
「連れていけないの?」
「あのね、グライアズローよ? 景観を損なうことだって厳罰に科せられることもあるの。何でそんなの知らないのかしら……。田舎者はやっぱダメね」
「……モニカの屋敷にちょっとだけジョルディを預かっててもらえない?」
「はあっ?」
「ダメ?」
「……しょうがないわね、ちょっとだけよ」
「ありがと」
案内されたモニカの家は貴族街の外れも外れにある、ささやかな――本当にささやかでジョルディが1頭入っただけでもうほとんどを占めてしまう程度の庭しかない家だった。
国内の有力な貴族についてはベアトリスに何かと教わっているが、オリオルという貴族を聞いたことはない。ということは、やはり触れられるまでもない弱小貴族なんだろうかとこの家を見てセオフィラスは思い至った。
「何か文句でもあるの?」
「……え、いや」
「言っとくけどシティハウスだからこんなもんっていうだけなんだから。王都に別邸も持っていないアドリオンとは違うってことを覚えておきなさいよ。仮にも貴族がアパルトマンで庶民と同じところに暮らしてるなんて恥もいいとこだわ。ゼノはそんなの気にもしない田舎者だから何も言わないだろうけどね」
「……とにかくゼノのところへ行こう」
ジョルディにしばしの別れを言い聞かせてからセオフィラスは、モニカの案内で急いでゼノヴィオルのいるアパルトマンへ向かった。しかしセブリーヌ通りには火事の跡が色濃く残され、撤去の始まっている様子を見て2人は呆然とした。
「か、火事……?」
「嘘でしょ、どうして……? ちょ、ちょっと待ってなさい、聞いてくるから!」
返事を待たずにモニカは駆けだして近所の住人に声をかけ話を聞き始めてしまう。貴族のお嬢様というのは何でもかんでも他人にさせるもの――というイメージがセオフィラスにはある。そうされることが自然であるし、セオフィラスとてレクサを1人では遊びに行かせたりせずに誰かに付き添ってもらうようにしている。
「ゼノをアパルトマン暮らしさせてるのと、どっこいじゃないのかな……?」
ああして庶民と話をしている姿のどこをどう切り取れば貴族であるのか、セオフィラスには見分けがつかない。グライアズローの市民は身なりが誰も彼も綺麗で、服装だけではなかなか区別をつけられないのだ。無論、以前にグライアズローへ来た時に見た貴族というのは誰も彼もめかしこんでいたから、すぐに見分けがついてしまったが街中は馬車で移動をするから市井の人々と交わることがそもそもなかった。
そんなことを考えていたら、険しい顔でモニカはセオフィラスのところへ戻ってきた。
「どうかした? ゼノは、どこにいるの?」
「……火事、ゼノのいたアパルトマンから出火したんだって。それで……火事場から救出された人の中にゼノはいなかった、って」
「え……。じゃ、じゃあ、エミリオは?」
「そもそもエミリオって住人としても知られてなかったみたいだし、それこそ知らないわよ。
夜中にいきなり火が出てきて、風が吹いていたわけでもないのにこんなにたくさん燃え広がったんだって。……こんな火事、助かりようがない……」
モニカが顔を白くさせながら言い、それから力が抜けたように地面へ座り込んでしまう。だがセオフィラスは火事で死んだという説明をにわかに聞き入れられなかった。感情的ではなく理性でそれを否定する。それだけの材料があった。
「エミリオがいたなら火事なんかで死なない」
「……あんな厭世的でニヒルなやつが何だってのよ……」
「王都にいたんなら知ってるかも知れないけど、エミリオはメリソスの悪魔だ。火事なんかで死なない」
「は、はあ? ……信じちゃなかったけど、それって舞踏会であんたが退治したって……」
「貴族なら裏でどんな陰謀があったかなんて、推測ができるんじゃない?」
「……じゃあ、ゼノはどこにいるのよ?」
「分かんない……。でも、方法はある」
持ってきていた木製の指輪をセオフィラスは荷物の中から取り出した。アルブスではソニアを媒介として他の指輪を持つ者と会話することができる。だが今ならば、エミリオが生きていさえするならば製作者であるエミリオが応えてくれるのではないかと考えられた。
「何その手彫りの玩具みたいなやつ……?」
「エミリオ、応えて。グライアズローまで来た。ゼノはどこにいるか教えて。……エミリオ」
モニカの不審なものを見る眼差しを気にせず、セオフィラスは指輪に呼びかける。しかし、何も反応がない。
「エミリオっ、今、アパルトマンの前だ。頼むから応えて……」
「ねえってば。いきなり何を祈ってるのよ? しかも祈ってる相手、エミリオって……メリソスの悪魔って自分で言ってたじゃない。悪魔に何を祈って――」
『学園においで、セオ。モニカもいるんなら、それも丁度いい』
「エミリオっ!?」
「え、今の声、この指輪っ? 何これ、すごっ?」
「ちょっと、学園ってどういうこと? 学園にいるのっ!?」
また呼びかけたが、もう返事はなかった。
顔を見合わせてからモニカが頷いて小走りで学園に向かって急ぎ始める。セオフィラスもそれに続いた。
学園は街の一角を占める巨大な建造物である。敷地は壁で覆われていて、街中にさらに学園という街が存在しているかのような広さであった。その大きな正門をくぐれば、中にはティーンの若者達が筆記具やら羊皮紙の束やらを持ち歩いて行き交っている。
「これが学園……。すっごい、こんなに子どもがいるなんて」
「あんたも子どもでしょ」
「それはそうだけど……これだけたくさんいたら、どれだけ畑を広げられるか。気候とか土壌、作物にもよるだろうけど収穫量が……」
「発想がズレてんじゃない?」
「……と、とにかくゼノを探さなきゃ。どこにいるんだろ」
「ゼノヴィオルがいるところなら……多分、あそこかしら」
心当たりのあるようなモニカを急かしてセオフィラスは敷地内にあったひと際高い尖塔に向かった。螺旋状の長い階段を一思いに駆けあがっていき、途中でモニカは息を切らしてしまった。先を急ぎたかったセオフィラスはモニカをやや強引に抱きかかえて、さらに階段を駆け上がっていく。いきなり抱え上げられてモニカは暴れかけたが叩かれようが悪態をつかれようがセオフィラスは全力で駆けあがっていった。
そしてとうとう、頂上の部屋へ押し入るようにドアを開ける。
1つだけある窓が開いて強い風が吹き込んでいた。風がセオフィラスの髪を揺らす。窓から差し込む光を受けながら椅子に座ってエミリオが本を読んでいた。
「エミリオ……っ……ゼノは!?」
「やあ、セオ。久しぶり、背が伸びたね。……うん、でも僕の想像よりはまだ大人になってない。見た目だけは」
「降ろしなさいってば!」
「あ、ごめ――」
「ゼノはどこにいるのよ、エミリオ!?」
「ゼノ、ゼノって……きみらは本当に彼が好きだね」
ふふ、とエミリオが笑うとモニカは顔を赤くする。
「あ、あんたねえっ!? 何からかって――」
「ここはよく見えると思ってね。ほら、そこの窓から見てごらん」
「何を見るんだよ……?」
促されてセオフィラスが窓から身を乗り出す。尖塔からはグライアズローを一望できた。眼下の学園には大勢の学生がいる。学園のどこを見渡してもおかしなものが見えない。モニカもセオフィラスを鬱陶しそうに肩で押しながら窓から外を見た。
「もうちょっと顔を上げるんだ」
「だから一体、何を見ろって――」
「セオフィラス、あそこっ!」
「えっ?」
エミリオを振り返りかけてモニカが何かを発見したように指差した。
それは学園の外――貴族街の一等地である。王城にもほど近い、豪奢な屋敷がいきなり爆発したように燃え上がったのだ。
「火事……?」
「今日はゼノが自分から行ったんだよ。ユーグランドっておじさんのところへ」
「え?」
「まだ覚醒したばかりだし、不安定そのものだけれどその分だけタガが外れてる。だから危うい分だけ強い力を使える。良かったね、セオフィラス。……きみも憎いんだろう、ユーグランドって。ゼノが殺してくれるよ?」
「っ……何を、した。ゼノに何したんだ、エミリオ!?」
「彼を苦しめ続けてきたのはきみさ、セオ。――ほら、行っておいでよ。あそこにゼノはいるよ」
セオフィラスが、窓から外へ飛び出した。
モニカが目を剥きながら落ちるセオフィラスを見る。しかし剣を尖塔の外壁に突き立ててブレーキをかけ、そのまま地面へきちんと着地してしまった。




