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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期4 兆候
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アルブスの春 ①


 アストラ歴444年。今年も雪融けのころになる。雪の下から新芽が伸び、少しずつ寒さが和らぐ中でだんだんと人々の活気が高まっていく。アルブスの都市計画は着々と進んでいる。

 アルブスを囲う大きな高い、分厚い防壁もようやく7割が出来上がって、その内側では無数の建造物が築かれた。壁の外には耕作地、放牧地が広げられている。厳しい寒さが終わろうとするのは寒冷な気候のアルブスでは一入ある者も多かった。


「おーにーいーさーまっ」

「お兄ちゃんって呼べって言ってるだろ……」

「お兄ちゃん、雪合戦しよ?」

「ヤコブくんと遊んできなよ……」

「ヤコブくん、今日は忙しいって」

「だからって俺も忙しくないんじゃないけど……」


 執務室でセオフィラスは仕事をしている。最近はベアトリスの手助けなしで1人で仕事をする中、本来は執事として雇っているはずのカートにその手伝いをさせていた。それ以外の力仕事になる雑事はヤコブへ任せている。

 軍事的防衛関連ではアルブス防衛隊へセオフィラスが指示をしている。当初、誰が防衛隊の代表者であるかという人事で揉めに揉めた。その結果、一番強い人間がその役割を果たすべきだろうと彼らは言い合い、3日間に渡る総当たり戦の結果、元傭兵の槍使いヤフヤーがその座に就任した。防衛隊内の人事をセオフィラスはヤフヤーに一任して、あれこれと仕事を振っていたのだが、いつからかヤフヤーは事務仕事の多さに辟易として、隊内に事務係を置いた。選ばれたのは唯一、数字に強かったヨエルだ。そのため、もっぱらセオフィラスからの言いつけを聞きにいくのはヨエルとなった。職権乱用であるがセオフィラスは自分の言いつけが通ってさえいればどうでも良かった。そういう意味ではヤフヤーよりもヨエルの方が理解も早くて、事務仕事も早かったので重宝している。


「ねーえー、お兄ちゃん~」

「今日は遊んであげられないから……」

「早く雪合戦しなきゃ、雪がなくなっちゃうー。お兄ちゃんと雪合戦したいの。初雪からずぅーっと待ってるのに、もう雪なくなっちゃうでしょ!」

「そんなこと言ったって……お兄ちゃんは仕事で忙しいの」

「エクトルとはデートするくせに」

「……あれは、それは、ほら、なかなか、エクトルはこっちへ来られないから……」

「二月に1回はきてるもん。……お兄ちゃん、あたしのことは嫌いなんだ……」

「は、はあっ? そんなこと思ってないって。ああほら、お兄ちゃんの膝の上乗っていいから――」

「そんなに子どもじゃないもん」

「……」


 機嫌を取ろうと妹を膝に乗せようとし、じろっと睨まれたセオフィラスはフリーズした。最近、少しずつ妹とのパワーバランスが崩れつつある実感を得ている。無言で睨まれると、何をどうしても機嫌を取ったり、気を逸らしたりするのが難しく思われてしまう。もう少し小さいころは、ちょっと構えばきゃっきゃと笑ってはしゃいでいたはずなのに、それと同じ感覚で接しようとすると反感を買ってしまう。だから弱ってしまう。


 軽く額を押さえてセオフィラスが手を止めたところで、執務室にカートが入ってきた。


「失礼します。セオフィラス様、ヤコブさんが武器庫の点検で少し意見を聞きたいと」

「カート、雪合戦してあげて。レクサと」

「えっ?」

「あ、お兄ちゃん!?」

「俺、武器庫見てくるから。じゃあ」


 レクサの相手をカートに押しつけてセオフィラスは早足に執務室を出ていった。アドリオン邸の一画に自警団が有事に使うための武器庫がある。

 ついつい後回しにしてしまっていたが、いざ武器を手にしてそれが使い物にならないのでは意味がないから、といつか中身を全て出して整理整頓、補修をしようと思っていた。こちらは防衛隊ではなく自警団が使うものであるため、この日の点検をヤコブに任せていた。


「ヤコブくん、調子はどう?」

「ああ、坊ちゃん。いやね、手前側にあったもんは、ま、ちょっと手入れをすれば使えそうじゃあったんですが……。その他、大多数が……ま、見ての通りってもんでして」


 武器庫には名ばかり自警団とともに、何人か、防衛隊の面々も暇つぶしの見学がてらにやって来ていた。ヤコブは困り顔で腕を組んでいた。彼の前にはぼろぼろに錆びついた無数の武器が並べられている。セオフィラスがしゃがんでそれを手にすると、それだけで赤錆が手についた。


「これが奥に眠ってたの?」

「ええ……。こんな錆びついたもん、一体どうしたもんかと思いまして。捨てます?」

「こんなに錆びてると……何か使い道あるかな……? とりあえずどこかに雑でいいからまとめておいて」

「おーい、これもうまとめちゃっていいから運び出せるように何か乗せといて。あーとー、坊ちゃん、武器庫の壁、穴空いてたりでもう、直しといた方が良さそうでしたよ」

「そっか……。あんまり武器庫の中って入ったことないけど……うーん、ぼろっぼろだね」

「ですよねえ……」


 ヤコブとともに中の武器が運び出されている建物の中を歩く。今は窓が開けられていて多少は明るいものの、それでも薄暗くて埃っぽかった。錆びた武器類を運び出した時に落ちたのか、床にも掃除しないといけなさそうだ。武器は壁に立てかけたり、いくつかの段になっているだけの広い棚へ適当に積み重ねて置いているだけでもあった。


「……ヤコブくん、大工さん呼んできてここ直してもらおう」

「丸ごとですか?」

「うーん、あんまり予算をかけたくないから建て直しよりはリフォームかな。槍なら槍、剣なら剣って分けて整頓できるようにしてもらってさ。棚とかも作ってもらいたいし、壁にも槍を立てかけられるようにしてもらってさ」

「おー、なるほど」

「大工さんに見てもらって、できるだけ安く、でももう二度とリフォームとか余計なお金が出ないようにやってもらって」

「分っ……かりました。ま、とりあえず掃除して綺麗にしてからやっときますわ」

「お願い、ヤコブくん」


 武器庫を出るとヤコブは自警団の面々に指示を出していく。その姿を見ながらセオフィラスは外へ出たついでに牛舎へと向かった。


「あ、セオ様!」

「お仕事いいの?」

「また遊び来たの? ジョルディに小突かれても知らないぞ?」


 アルブスの子ども達はかつて、空いた土地で遊び回っていた。だが都市開発が進むにつれてそういう空き地も少なくなっていき、いつしかアドリオン邸の庭にまで子ども達は遊びにきている。一度はどうしたものかと使用人に尋ねられたこともあったセオフィラスだが、悪さをしなければ構わないとかつて言ったことがある。

 その結果、ジョルディがセオフィラスとカタリナの心だけではなく、アルブスの子ども達まで虜にした。見た目こそいかつく逞しいが、子どもを5人乗せても爆走するパワフルさもあり、それでいてこれまでジョルディが直接的に怪我をさせたという実績もなく、誰もに可愛がられていた。


「セオ様、ジョルディに乗っていい?」

「乗せてっ!」

「しょうがないなあ……。ほら、鞍取って」


 ジョルディとゆっくり戯れられるのは朝のわずかな時間だけになっているが、子ども達を無碍にするのもできずにセオフィラスはジョルディに鞍をつけて牛舎の外へ出す。子ども達が入れ替わり立ち代わりジョルディに跨り、ジョルディは気ままに歩き回る。

 ちょっと気晴らしにジョルディとのんびりするつもりだった予定が挫かれて、セオフィラスは仕方なしに子ども達へ付き合った。


「セオフィラス様っ……す、少し、よろしいですか?」


 しばらくするとカートがやって来て疲れた顔で声をかけてくる。子ども達に惜しまれながらジョルディを牛舎に戻してから鞍を外し、セオフィラスは井戸に歩いていく。ジョルディと触れ合った後は少しでも臭いをどうにかしないとカタリナに言われてしまうためだ。


「どうしたの? レクサ、機嫌直った?」

「アトス殿が代わりを買って出てくれまして……数発、雪玉をぶつけられた程度でどうにか」

「頭に雪残ってる」

「えっ」

「それで?」

「ああ、そうでした。タルモ様がいらっしゃっています」

「またかぁ……。すぐ行くよ」


 水浴びをしてからセオフィラスは屋敷の応接間に入った。そこにタルモがいつものように従者を引き連れて待っていた。


「こんにちは。……今日はどのようなご用件で?」

「……近々、あなたの誕生日があると耳に挟みまして。よろしければ聖名に連なる1人として祝福――」

「けっこうです」

「……っ」

「それより、伽藍の住み心地はどうですか? アドリオンで、多分、一番、豪華で贅沢な建物らしいですけど」

「伽藍とは精霊への祈りを捧げるためのもの。住居としての贅は凝らしていませんが」

「へえー……。でも贅沢は認めるんですね。そういうのは俗悪的って言うんじゃないんですか? あ、お茶とか飲みますか? カート、お茶――」

「けっこうです」

「そうですか」

「っ……」


 初対面のころから一貫してセオフィラスはずっとつれない態度を取り続けていた。それでいてグラッドストーン侵攻の折に森へ避難したことについてはセオフィラスから何も口にしていない。それがタルモは不満だった。何も恩を着せられるようなことを言われず、見返りも要求されず、それは彼女にとって侮辱も同然だった。さっさと借りは清算し、その上でアドリオンの領民へ教えを広めたいのにセオフィラスへの借りを返せずにいる。


「ではアドリオン卿、個人的にあなたのお誕生日をお祝い――」

「けっこうです」

「っ……出直しますわ」


 不機嫌なままタルモは帰っていき、セオフィラスはため息を漏らした。


「ちょっと冷たいんじゃないですか?」

「精教会には心を許すな、って先生が……」

「けれどメリットもありますよね。莫大な財産も持っていますし、お金を借りられたら――」

「それ最悪のパターンになるから……。金を貸した代わりに、どんどん財政に口を突っ込んできて乗っ取られるよ」

「そう、なんですか?」

「……そんな感じになるんだって言われてる、らしいよ。だから関わらないのがいいの」

「その割には伽藍の建設を許可していましたよね?」

「口出しされなきゃ、普通にやりたいことをしてる人達だ」

「お祝いを断ったのは?」

「仲良くなったら素っ気なくするのも心が痛むから。それより、仕事に戻ろう。昨日頼んでおいた計算ってもう終わったかな」

「はい。それでしたら――」


 セオフィラス・アドリオンはじきに14歳となる。

 努めて敬語を使う初々しさはなりを潜めて、自然体で人と接しながらどこか堂々とした風格が現れ始めていた。

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