ローレンス・アドリオン ④
「カートは4回戦も突破ですか。まさかヤコブよりも勝ち残れてしまうとは思っていませんでしたが、一体、どこで剣術を習ったのです?」
1日の仕事を終え、床へつく前にガラシモスは1杯だけの酒を飲む。盃にそれを揺らしながら、日誌を書く執事見習いの少年と会話をするのはここ最近の日課になりつつある。カートはマジメな少年だった。
「幼いころ、父に手ほどきを受けた兄の練習相手として……。兄達の全員に玩具扱いされるのが嫌で、教わったことは何もありませんが1人で稽古を続けました」
「それは苦労なされましたな。執事に腕っぷしは不要と思っていますが……ないよりは、あった方が良いかも知れません。しかし坊ちゃんは非常に腕が立つ御方ですから、頼られるにはまだまだ努力が必要ですな」
「はい。……とこでガラシモスさん、あの、ヤコブさんを下したローレンス様というのは、ガラシモスさんと何か特別な事情があるのですか? 先ほど、ローレンス様が親しげな笑みを向けたように見えたのですが」
「……ええ。しかし今は、口をつぐむことといたします。それがあの方の望みのようですので」
羽根ペンを置いてからカートが自分のためにと用意されたベッドへ腰かけた。ガラシモスがようやく酒を飲み終えて盃を置く。
「しかし、いいのでしょうか? まだセオフィラス様も、お客様もお話をしているのに僕らが先に休んでしまっても」
「もう休んで良いとのことですから。主のご命令に従うことといたしましょう」
「それじゃあローレンスさんはルールの都合で、盾だけを使ってるだけで本当の装備は……これら、なんですね? 見てもいいですか?」
「怪我をするな。余計な血は吸わせたくないんだ」
「はい」
談話室では夜も遅いにも関わらずまだ話が尽きずにいる。セオフィラスの質問は多岐に渡りながらローレンスにぶつけられ、今度は彼の武具に関するものになっていた。
「ロングソードに、短剣……。黒い鎧……。かっこいいですね」
「いいか、セオフィラス。武器を選ぶ時に大事なもんは手に馴染むか、てめえの戦い方に馴染むかってもんだ」
「そうなんですか……」
「お前はいつもあんな棒切れを振り回してるのか?」
「そうですね。普段は。……あ、でもこの前、自分の剣を拾ったんです。拾ったというか、抜いたというか、見つけたというか……」
「ん?」
「ちょっと待っててください、すぐ持ってきますから」
談話室から駆け出していってドアも閉めないセオフィラスにローレンスは嘆息してから盃の中の酒を揺らした。肴に出されていたモグラドリのソテーをつまんで待っているとしばらくし、セオフィラスが戻ってくる。手にしているのは惑いの森から持ってきた白い剣である。抜き身のままにそれをテーブルへ置くとセオフィラスが得意そうな笑みを浮かべた。
「森の奥に入っちゃったことがあって、その時に見つけたんです」
「森の奥? グラッドストーンとの国境になっている、あの森か?」
「はい。大変な目に遭ったけど、どうにか帰ってこられて。で、これがあったんです。だから俺のものに」
ニッと笑ってセオフィラスが説明してからローレンスが剣に手を伸ばした。だが柄を握る前にその手を止めて引いてしまう。
「……あの森は、特別だっただろう?」
「はい、特別でした。……一緒に森を探検したドルイドの女の子がいて、その娘はこれが隠されていたから森に惑わしの術が施されてたんじゃないかって言ってたんです。これを誰かが、誰にも渡したくなかったから……って」
「それは違うだろうな」
ソニアから聞いていた推測をセオフィラスが説明したがすぐにローレンスは否定してきた。少年は何か知っているのかと顔を上げる。
「……これは代々、アドリオンの領主に口伝されてきた話だが、きっとお前の親父は聞いてなかっただろうな。お前のじい様は俺を領主にするつもりでいたからな」
「口伝……。何か言い伝えがあるんですか?」
「……よく覚えてねえが」
「ええええ……? 覚えててください」
「まあ要約すると、だ。あー、えーと……」
思い出そうとしているローレンスにセオフィラスは少し不安を抱きながら言葉を待つ。
「あの森には特別な力がある。そしてそれは大いなる闇をいつか切り開くための力だ。だがそれを都合悪く思うやつがいる。だから森には二重の術がかけられた。一方は悪しき闇から力を遠ざける術。そしてもう一方が、その力に触れさせまいとする闇の術だ。だからあの森は踏破することができない。誰にも手出しのできない力がある」
「……二重の、術」
「って、聞いてたんだがな。案外、いけるもんだったか。だがそうなれば、森を抜けてグラッドストーンが攻めてくる可能性もある」
「それは大丈夫……だと思ってます。この剣を手に入れた時に、森の惑わしの力って言うのかな? あれが剣を介して自分で使えるようになった……気がしたんです。だからまだ、惑わしの力は活きてるって思えるんです」
「……そうか」
神妙にローレンスが頷いて剣を見つめる。アルブスに生まれた人間は森の奥には踏み入るなと必ず教わるのだ。だからセオフィラスの話はにわかに信じがたいのだが、そんなつまらない嘘をつく子どもにも見えない。
「……実戦で使ったことはないんですけれど」
「悪いことじゃねえだろう。それと昼のお前さんの催しだがな」
「はい?」
「武器を1つだけってのはちとつまらねえと思うんだが。どういう意図なんだ?」
「……んー、投石とか、弓矢っていうのは1対1の戦いを見せるって意味ではちょっと違うかなって思ったんです」
「本物の戦いは何でもありだ」
「でも本物を見せる必要はありません」
あっさりと言い返したセオフィラスにローレンスが含みのある笑みを浮かべながら身を乗り出した。その姿勢にセオフィラスはまた口を開く。
「人が大勢見てるのに、人が壊れるような光景を見せなくたっていいと考えます。アドリオンは田舎だけど野蛮人の集まりじゃない。この催しは単に皆で集まって騒げればいいんです。……個人的にはお金を稼ぐ必要もありますけど」
「だが武器をいくつも使うことが、必ずしもが人が壊れるということに繋がりはしないんじゃないか?」
「え?」
「お前は年齢不相応に強い。大人だろうが相手できると太鼓判を押してやる。だがお前はその年で、すでにして悪魔になりかけてるぜ」
「は……?」
ローレンスに言われて思い出したのは、ソニアの予言だ。
「飛び道具を使うことが何故、相手が倒れるでは済まずに壊れるなんて表現にした。ルールの上ではギブアップか、明らかな戦闘不能が勝敗の決着にしてるはずだろう? 自分で敷いたルールのはずだ」
「……それは、そうですけど」
「つまりお前はな。自分に歯止めがかからなくなると思い込んでるんだ。てめえが飛び道具を使うからなのか、相手に一方的に使われた結果そうなるかは俺は知らねえが、要するに加減が利かなくなっちまうとてめえで思ってるんだろう?」
「……」
「普通の発想じゃあねえよ。ごくごくまれに、到底、人間じゃあねえような化け物じみた力を持った野郎を見ることがあるが、ああいう連中は総じて飢えている。てめえの実力を発揮できるような相手との殺し合いにな。てめえの血が流れ、傷ついて、死ぬかどうかっていうような命のやりとりに飢えてる。そういう連中を、悪魔だなんて揶揄することがあるんだ。……いいか、セオフィラス」
「はい?」
「一度、その道に踏み込んだら戻れなくなっちまうぞ」
真剣なローレンスの表情から発せられた忠告にセオフィラスは困惑したような顔のまま一度こくりと頷いた。それからローレンスはソファーを立つと自分の荷物をひとまとめにしてしまう。
「客間で寝かしてもらう。ガキはもう寝る時間だ」
「はい。おやすみなさい。……色々な話を聞かせてくださって、ありがとうございます」
「ああ。それじゃあな」
1人で談話室に残ったセオフィラスは天井を仰ぐようにしてソファーに座った姿勢から体を倒した。ローレンスの言った悪魔と揶揄される人間が、セオフィラスには自分の師のように思えてしまった。その考えは脳裏にこびりついたように離れたり、消えてくれたりはせず、じっと黙したままに考え込んでしまう。
テーブルへ置いた剣へ目を向け、その刃を眺める。
「師匠が俺を鍛えてくれる理由は……お父さんに、頼まれたからだから、こんなこと忘れちゃえばいいのに」
言い聞かせながら、ふと想像する。
アトスと対峙して互いの剣を振るい合う光景だ。
しかし両者同時に剣を振るったはずだったのに首が飛んだのは自分の方だった。何度そのシーンを想像しても結果は変わらず、胸がひどくもやついたような気がした。




