表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
幼少期1 在りし日のアドリオン
7/279

最初の喪失 ③



 時が止まったかのように静まり返っていた。

 その緊張感をピリと肌に感じながらセオフィラスは、大好きな父をいじめていた白い髭のデブっちょ男(ユーグランド)を睨みつける。


 沈黙を破ったのはミナスだった。

 這いつくばるようにしながらセオフィラスの方へ急ぎ、それから頭をユーグランドに向ける。両手をついたまま、膝をついたままに額を絨毯にこすりつけるようにした。



「ど、どうか、この不敬をお許しください、ユーグランド卿! 愚息はまだ6歳でして、物事というものがよく分かってはいないのです! セオフィラス、お前も頭を下げなさい!」

「なんで!?」

「いいから下げるんだ! どうか……どうかっ、ユーグランド卿、罰が必要であるならば父であるわたしが愚息に代わって甘んじてお受けいたしますゆえ! どのようなご命令でも……! ですから、どうかっ!」

「おとうさんやめてよ! そんなことしないで!」


 這いつくばる父の肩を掴んでセオフィラスはやめるように訴えるが、その姿勢は固持された。

 やがてユーグランドが一歩、二歩と大股で父子に近づいて冷厳なる瞳で地方領主と、その息子を見下ろす。



「面を上げよ、アドリオン卿」

「っ……」

「おとうさん……」

「勇敢な子息ではないか。見苦しい父を見兼ねて、あのような口ぶり。実に父想い。感動をしたぞ」


 言葉と裏腹にユーグランドの瞳は凍てついたままである。

 冷や汗を垂らしながらミナスは相手の顔色をうかがう。



「だが……不敬は不敬。

 我が言葉は、偉大なる王と同等でもある。

 いかなる者であろうとも、我らが王への不敬は許されるものではない」

「どうか、どうか、息子だけは……!」


 必死な父の声をセオフィラスは聞いていたくなかった。

 しかし足がその場に縫いつけられたかのように動けないし、逃げ出そうという気にもなれない。ただこの幼い少年にできるのは高圧的な男を睨みつけることだけだった。



「寛大なる処置を下してやろうではないか」

「ま、まことでございますか……? いかなることであろうとも、この身命に賭して必ずや――」

「アドリオンより1000人の兵を出させよ。その指揮を貴公が執れ。我が指揮下でな」


 思いがけない言葉にミナスは言葉を失う。

 アドリオンの人口は正確に把握されているわけではないが、おおよそ3000人程度である。領内に点在する全ての村を合わせて。その約半数が男性だ。そこから1000人もの人員を取り上げれば生活は成り立たなくなる上、ミナスが命を落とせばアドリオンの領主は幼いセオフィラスが務めるか、新たに別の誰かがやってきて治めなければならなくなる。


 前者にしろ、後者にしろ、今の平和なアドリオンに混乱がもたらされるのは間違いがないことだ。


「な……そ、それは、しかし……」

「3日だけやる。それまでに1000人を集めよ。4日目に発つ。

 まさか――まさか、だが、この寛大な措置に対して首を横には振るまいな?

 そうすれば飛ぶのは貴公の首だけでは済まぬぞ。分かっておろう?」


 ユーグランドはひれ伏したままに顔を青くして固まるミナスの横へ立ち、ずっと敵視の眼差しを向けているセオフィラスに目を向けた。


「名前は何と言う、アドリオンの息子よ?」

「……セオフィラス」

「セオフィラス・アドリオンか。覚えておいてやろう。

 そしてわたしはユーグランドだ。貴様も覚えておけ。

 いつか、身に染みるだろう。貴様の父がどれほどに愚かで、それを上回るほどに愚かしかった自分をな」



 言い捨てるとユーグランドは応接間を出ていった。

 セオフィラスはすぐ、父のそばで膝をついて顔を覗き込む。


「おとうさん……」

「……セオフィラス……お前は……お前はっ……」

「…………」


 何か言いかけたミナスは、力なく首を左右に振ってから幼い息子を両腕に抱き締めた。


「おとうさん?」

「いや、仕方のないことだ……。

 大丈夫だ、生きて帰れば全て済むだけの話……」


 自分に言い聞かせるかのようにミナスは言い、息子をやさしく放した。

 そうしてから小さな両肩を掴んで目を合わせる。


「いいか、セオフィラス。

 決してお前の父は、お前を恨みはしない。よく勇気を振り絞った。

 わたしがもし、この運命を恨むのであれば……それは力のない己のみだろう。

 何もお前に非はない、何もお前に恥じることはない。

 だから覚えておくんだ、セオフィラス。

 強くあれ。心も体も強くあれ。

 それが父の全ての望みだ」



 それからすぐ、ミナスは領内の村へ駿馬を使って伝達をさせた。

 15歳以上、60歳までの健康な男は全て3日の内にアルブス村へ来るようにと。


 その間にミナスは書斎へこもって一心不乱にペンを走らせ続けた。

 家族に一通ずつの手紙を書き、屋敷の使用人全てに対する手紙を書き、それから交流のある貴族の何人かへも手紙を書いた。



 アストラ歴436年の夏。

 ミナス・アドリオンは領内から集めた1239人を連れて、ユーグランドの率いる行軍に加わる。


 同年、秋。

 クラウゼンとオーバエルの国境地帯における戦が終わる。

 夥しい数の死者を出しながら、どちらの勝利ともつかぬままに終わる泥沼の戦であった。

 それから間もなくミナス・アドリオン戦死の訃報が届き、引き連れられていった1239名は二度と故郷へ帰ることはなかった。




 前領主の葬儀とは違い、ミナスの葬儀に領民の多くは参列しなかった。

 いきなり強引な命令で説明もないままに働き盛りの男が全て連れて行かれたことで、領民のほとんどがミナスを恨み、憎しみさえ抱いたためだ。アルブス村ではミナスの人柄がよく知られていたが、それでも事情の知らぬ民からすれば信じがたい悪人という評判であった。


 残された子ども達は、どうして父がいなくなったかなど分からなかった。

 葬儀の間も悲しみに暮れることはなく、いつ父が帰ってくるのかと問いかけるほどだった。



 ただセオフィラスは、ずっと父の最期の言葉を覚えていた。

 その言葉の意味を理解するには至らなかったが、ずっと覚えていた。


 遠回しに自分のせいだとも思えた。だが、死というものはピンとはこなかった。それを理解するには幼すぎた。



 アストラ歴437年。冬。

 喪が明けたアドリオン家には、そしてアドリオン領には重大な決断が迫っていた。


 アドリオン領主を長男であるセオフィラスが継ぐべきか。

 あるいは、ミナスを最期にアドリオンという家を潰すべきか。


 その決断は残された妻オルガに委ねられることになった。



 最愛の夫を失ったオルガはセオフィラスを部屋に呼んで尋ねる。


「セオ、お父様のことをあなたは愛していますか?」


 セオフィラスは答える。


「うん」


 夫を失ってからというもの、オルガはさらに体調を悪くしていた。

 ベッドを立つことさえ珍しいほどで、その時も顔は青ざめて、やつれていた。


「お父様はとても立派な領主として、そしてあなたの父親として最期を迎えられました。

 あなたも……お父様のような立派な領主になりたいと思いますか?」


 もうすぐ7歳の誕生日を迎える子どもに、その質問は重すぎた。

 だが、オルガは決めていた。このセオフィラスの意思を尊重しようと。アドリオンへ嫁いだ自分の最期の仕事であると悟っていた。


「おとーさんみたいに?」

「ええ。お父様のように」

「……うん」

「とっても辛くて、苦しい道になります。それでも?」

「うん」

「嫌になってもやめられないのよ? あなたの言葉ひとつで、ゼノやレクサだけじゃなくて、アドリオンに住む全ての人が……大変な目に遭ってしまうかも知れなくても?」

「うん」


 問いかけられていることの重みを、やはりセオフィラスは正しく理解できてはいなかった。

 だが、この質問が何かとても大切なものだというのは分かっていた。だから真剣に彼は頷いて見せた。



「分かりました……。

 あなたを誇りに思います。

 アドリオンの領主は、あなたよ。

 お母様も精一杯がんばりますから、あなたもがんばってね」


 そう言った母のほほえみにセオフィラスは何故だか嫌な感じを抱いた。


「ねえおかあさん」

「なあに、セオ?」

「……おとうさんは……ぼくのせいで、いないの?」


 ひしひしと感じていたものを初めてセオフィラスは言葉にして尋ねた。

 オルガは答えずに黙って息子を抱き寄せた。答えは口にせず、彼女はこぼれてくる涙を見せぬようにずっと息子を抱き締めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ