聖名タルモ、襲来 ①
「今日、ここに開催される武闘大会はアドリオンの大いなる発展の、ひとつの発露の舞台です。
先代の死は力が及ばなかったからこそ、起こってしまった悲しみです。だからわたしは、強いアドリオンを目指し、そのためにこの武闘大会を催しました。力は全てではありませんが、力がなくしては守るべきものも守れません。そして力は正しいことに振るわれるべきであると信じています。
集った数多の腕自慢の中から、本当に強い力を持ち、正しい心を持った者がいるかどうか。
これが今のわたしの最大の関心ごとでありますし、また領主であるわたし自身がこの力を見せることで全ての領民に強いアドリオンの象徴を見てもらえればと思っています。
退屈な挨拶はこの辺にして、第1回、アドリオン大武闘大会を開催します」
セオフィラスの挨拶で舞台上に集められていた腕自慢達から雄たけびが、その舞台を取り囲むように設けられた高い位置の観戦席からは喝采がそれぞれに上がった。壇上を降りたセオフィラスはそのまま、観戦席下に設けた貴賓席へ戻る。
「聞こえましたか、先生?」
「全然、ここからじゃ聞こえませんでしたわ」
「ですよね……」
「しかし、セオフィラス。ここからが本番ですわよ」
貴賓席にはベアトリス、レクサ、それにガラシモスがいる。
戻ってきたセオフィラスは出番の前に淹れてもらっていたお茶を飲んでからベアトリスに視線を向けた。
「本番って、どういうことですか?」
「開いておしまいではなく、開催中こそが多忙を極めるというものですわ。きちんと対処しなくては、どうしようもないぐっだぐだで終わって、大失敗ということになりますわよ」
「……はい。気をつけます」
返事をしたところでいきなり、バンっと扉が開いてカートが駆けこんでくる。
「セオフィラス様っ!」
「カート、部屋へ入る時には――」
「すみません、ガラシモスさん! でも、あのっ」
「何、カート?」
「ま、迷子です! どうすればいいですか!?」
切羽詰まったカートの言葉が迷子というもので、その場全員の肩の力が抜けた。
「あ、あの……」
「きっと家族も探してるだろうから、目につきやすいところでその子と一緒に待ってれば? 出入口とか。あ、でもカートがそれやったら別の仕事できなくなるから、誰かに頼んでよ」
「は、はい、分かりました……」
カートが慌てたように出ていって、セオフィラスがベアトリスを見る。
「分かったかしら? よく訓練された人間というのは、貴重な道具ですわ。それを増やすことも、あなたがやらなければならないことです」
「分かりました……」
「幸い、この催しで人は集まってきたのですから。よく目を光らせておきなさい」
「はい」
「それと」
「まだあるんですか……?」
「あなたも、また無茶な企画をぶち上げたようですが……危険のないように気をつけなさい。変な怪我をして起き上がれなくなったりしては困りますわよ」
「分かってるって……」
「口の利き方」
「はい、分かっています!」
返事をすると肩を落としてしょげてから、セオフィラスはお茶を飲み切って貴賓室を出ていった。
武闘大会の参加者は総勢122人。7回戦も行われる。
アドリオン領内からも、外部からも人が集まっていた。少しでも多く金を儲けなければならないというセオフィラスの考えで、1日に1回戦ずつしか行われない。だから初日の今日は、もっとも多くの試合数が消化される。
シード枠は完全な運任せのクジで決められているので、トーナメントでどんな偏りがあるかは誰にも分からない。セオフィラスは観戦席の中央最前列へ陣取り、その膝へレクサが座った。
「どっちが勝つ、お兄ちゃん?」
「うーん、どっちだろ? 体が大きいから、右の人かな?」
「でも左の人、顔が強そう!」
「髭もじゃだ。俺も大人になったら髭生やそうかな?」
「えー? お兄ちゃん、お鬚はダメ」
「何で?」
「こうやった時、もじゃもじゃしてたらヤダもん」
頬を摺り寄せてきたレクサに笑ってセオフィラスは妹を抱きしめた。
その様子を観戦席の人達が見ては仲の良い兄妹をほほえましく眺める。と、そこへ近づいていく旅装の人影があった。まだ、その背丈は小さい。
「……」
じゃれ合うようにして笑い合う兄妹を見て、彼は足を止める。
と、その彼の少し後ろにいた少年がため息を漏らした。
「その気がないなら帰るよ」
「……うん。ごめん」
雑踏へ紛れるようにして2人はその場を去っていく。
「遠目にでも、顔を見られたなら良かったんじゃないのかい?」
「……ダメだね、来るんじゃなかったよ」
「どうして?」
「郷愁が募る。もう、二度と……来ちゃいけない。帰れる日までは」
「そう」
「……きみは、会っていかなくていいの?」
「大丈夫さ。僕らは離れていたって、大地を通じて互いの存在を感じあえる」
「無駄足をさせてごめんね。……エミリオ」
ジョルディロードを歩きながら2人は言葉を交わし、一方の少年が背後を向いた。ジョルディロードの先に鎮座する屋敷を見ると、今すぐに駆けこんでいきたい衝動も生まれてしまう。
「ぐずぐずするなら、気持ちのまま従えばいいじゃないか」
「……ダメだよ、それは」
「どうしてだい? きみは被害者だろう?」
「そうじゃなくて。ぐずぐずする子は嫌いだって、先生が言ってたからね」
「それなら前を向きなよ」
「うん。そうだね」
「やれやれ、いつになったら泣き虫を卒業するんだい、ゼノヴィオル?」
「……泣いてないよ」
「ふふ、まあ、僕は子どもの味方さ。きみがそうしてる内はやさしくしてあげるよ」
フードを被っているゼノヴィオルの首へ腕を回して抱き寄せながら、エミリオが囁くように言った。
「――ん、この気配は、魔力持ちか?」
2人がすれ違ったのは、同じような白い装束を纏った7人程度の集団だった。6人に囲まれるようにして歩いていた男がそう口を開くと、エミリオがゼノヴィオルを押しのけるようにして素早く身を翻して構えた。白装束の集団も全員がエミリオとゼノヴィオルを向いている。
「魔力に魅入られるのは邪悪な性根の者だ。悪さをする前に、滅しておいた方がいいやも知れんな」
「年増のババアが何を決めつけてくれてるのかな?」
1人だけ装飾も多い、その人間は女だった。まだ20台前後という年頃だが、エミリオからすればすでにババアという扱いで彼女は不愉快そうに眉をひそめた。
「貴様、タルモ様に何という口を!」
「誅罰を下してやる!」
「え、エミリオっ、危ないから早く……」
「ねえ。偉そうな恰好して、偉そうなこと言ってるけど、何様のつもりなんだい?」
「エミリオ!」
7人に因縁をつけるように言うエミリオを、ゼノヴィオルが引っ張って止めようとする。タルモ様と呼ばれた女が、取り巻きを押しのけるようにしてエミリオの前へ進み出て睨み下ろす。
「口の減らぬ悪童か。仕置きが必要やも知れぬのう?」
「やれるものならやってみれば? オバサン」
「上等ではないか、クソガキめが」
「エミリオ!」
「た、タルモ様っ!?」
2人の体から何かが溢れ出すのを感じてゼノヴィオルがエミリオを慌てて後ろへ引っ張る。同じようにタルモも取り巻きに止められて2人の間に距離ができた。
「このような場所で、あなた様のお力を披露するわけにはいきません!」
「ええい、黙れ、黙らんか!」
「エミリオ、目立っちゃダメだって言ったじゃない!」
「嫌いなんだよ、こういうジジババの類がさ。だから、邪魔しないでくれる、ゼノヴィオル?」
「っ――エミリオ!?」
掴んで止めていたエミリオの実体がもやのように消えてゼノヴィオルの手をすり抜けた。影の粒子がタルモへ襲い掛かりながらエミリオの姿を形作っていく。
「邪魔だ、どけ!」
取り巻きをタルモが一喝して押しのけると、襲い掛かってきたエミリオへ手をかざした。瞬間、光の壁が彼女の前へ立ちはだかって激しく炸裂する。何かが横を突き抜けていったのを感じてゼノヴィオルが振り返るとエミリオが尻餅をついてタルモを睨みつけていた。
「天の一式、霊力――?」
「面白いね。初めて見たよ、霊力の持ち主は」
「俗悪な魔力持ちとは違ってな。天の一式の使い手は希少なのだよ」
「へえ? でも、その程度なら何も怖くな――」
「エミリオ、行くよっ!」
「逃がすと思っているのか? 魔性の者を!」
タルモがまた手を向けると、そこに光が集まり出す。エミリオを狙って放たれた光の塊は、しかし、横から振るわれたゼノヴィオルの短剣が弾き飛ばした。
「何?」
「ふぅ、ふうっ……。天の一式は、人の一式に弱い。まだやるなら、僕が……」
「……ふ、ふふ、いいではないか。ならば諸共に!」
「ちっ、行くよ、ゼノ!」
「え、あっ――」
ゼノヴィオルへ駆け寄ったエミリオがマントを翻す。そのマントを再びタルモの放った光弾が貫いたが、すでにそこに2人の姿はなくなっていた。
「……逃げ足の早い連中め」
「タルモ様、お怪我はっ?」
「ない。……ふん、余計な時間を食ってしまったわ。疾く領主とやらのところへ向かう」
「はっ」
再び7人は歩き出す。
彼らの揃いの白い装束は精霊信仰教会のものである。
そしてタルモは、その精霊信仰教会でも一握りの祈術士と呼ばれる特別な立場の人間であった。




