森の悪意 ⑥
「えへへへ……」
「うふふ……」
手を繋ぎながらはにかみ合う少年少女にソニアはいまだ半目の、生暖かい眼差しを向けている。本人達の預かり知らぬところで成立した許嫁がうまくいくなんてことがあるのかと、それはもう感心に浸って観察さえしているといった心境である。
「あつあつのところ、あんまり悪いとは思わないけど……これからどうするの?」
「そっ、ソニアさん……」
「あ、あつあつなんて、そんなじゃないし……!」
冷やかしの声をかければ2人はパッと離れたが、ソニアにはどうして声をかけられるまで羞恥心の欠片も感じられていなかったのかという疑問が湧いてしまう。
「と、とにかく……ええと、ソニアが、森の中心地に行けって言ったんじゃん。来て、どうにかなったの?」
「……もうこの森から、力は感じない。多分、今なら誰でも簡単に物理的距離さえ踏破できるのであれば森を突っ切ることができる」
「……あ、そう。……って、それはダメ!」
「何故?」
「この森の向こうは敵国だから! 森が誰も通させないから安全なんだって!」
「でも帰れなくなる」
「あっ……。でも、ええと……」
頭をかいたセオフィラスはふと、ずっと握っていた剣に気を取られた。
すでにして声は聞こえず、どんな声だったかも不思議とおぼろげになっていたが、不思議とこの剣ならばできるんじゃないかという気がしてしまったのだ。
「……この森は変わらず、人を迷わせて、入ってきたところに返す」
「セオフィラス様……?」
「だけど俺達だけは別。この森を思うままに行き来できる」
剣に念じるようにしてセオフィラスが言うと、呼応するようにして柄にはめこまれていた白い宝玉が僅かに光を発した。
「これで平気」
「何故、そう言い切れるの?」
「この剣が何となく……教えてくれたから。これでもう抜けられる。それに、ソニア。森は俺の庭だから」
「うわ、うっざいドヤ顔……」
「うざいって何だよっ!?」
「ふふっ、では本当にセオフィラスが言った通りか、確かめましょうっ? ねっ、セオフィラス様?」
「……うん」
抜き身のまま剣を片手にぶら下げて歩くセオフィラスをソニアはじっと観察する。見ているのはセオフィラスの背中でも、仲良く繋がれた手と手でもなく、剣であった。
通常の剣よりはやや長い。
柄も手を守って余りある長さ。
まっすぐ伸びた白く美しい刃と、その付け根に輝く白い宝玉。
剣身には左右比対称な、木の根を思わせる、無数に枝別れた紋様が彫り込まれている。
ソニアは武器の目利きなどできない。しかしそれが単なる剣ではないというのは分かることであったし、あの剣こそが森に影響を及ぼしていた悪意の力の源であるとは明白だった。
(この森にはあの剣が隠されていたからこそ、人を寄せつけようとしなかった? あの剣を人の手に渡らせないために……。よほどの力があの剣に隠されているのだとすれば、何かしら記録はあるかも? 今度調べてみてもいいかも知れない……)
そんなことを考えていたソニアは、不意にセオフィラスの足が止まったのを見て顔を上げた。
「ほら、俺の言った通りになった」
得意そうなしたり顔でセオフィラスが言った先に、地面に座り込んでいたアトスの姿があった。その後ろにはヤコブや、駆り出されてずっと待たされたアルブス自警団の姿もある。いつの間にやら朝日が昇り、ソニアが顔を上げると眩しい陽光に瞳の奥を貫かれた。
「どう、ソニア?」
「ドヤ顔うざい」
「だからぁっ――」
言い返そうとしたセオフィラスは背後に殺気を感じ取って振り返ったが、それより早く脳天を貫くような激しい衝撃と痛みが奔った。
「痛ぃぃっ!!?」
「セオくん、きみは色々とお約束を破りましたね?」
拳骨を落としたアトスはそれでもにこやかな笑顔を絶やしてはいない。頭を押さえてうずくまったセオフィラスとアトスの間に、サッとエクトルが割って入る。
「セオフィラス様をお外へ連れ出したのも、森を探検しましょうと言ったのもわたくしですわ。ですから、お叱りを受けるのはわたくしが筋です!」
「……ほほう」
「エクトル、ダメ……。師匠の拳骨は、ほんっ……………とに痛すぎるから……」
「けれどわたくしが受けるべきものですわっ」
「……よろしい。ではエクトルさん、しっかりと奥歯を噛んでくださいね」
「はいっ……!」
「エクトル!?」
「良い覚悟です。参りますよ――」
セオフィラスが止めようとするのも間に合わず、アトスが握り拳を落とした。しかしエクトルの頭に当たったのは、軽く、軽く、落ちただけの拳骨とは呼べない拳頭であった。
「え……?」
「師匠っ?」
「さ、帰りましょうか。お疲れだったでしょう? それに、セオくん。何です、その剣は? 格好いいものをどこで手に入れたんですか?」
「森ん中に滝があって……そこでもらっちゃいました。いいでしょっ? へへへっ……」
「ほうほう。あとでわたしの持っている剣と見比べますか?」
「師匠の剣っ? 見たい! です!」
「まあ、それはベアトリスさんのお説教の後になるのでしょうが……」
「あっ……完璧に忘れてたのに……」
「お姉様に謝らなくてはなりませんね……」
「うん……」
しょぼくれたセオフィラスとエクトルにアトスがほほえんで、2人の頭を交互に撫でた。それから屋敷へ続く道を振り返れば、朝日の下を一頭の雄牛が――ジョルディがのそのそと歩いてくる。
「ジョルディ! お迎えにきたのか? お前は賢いやつだなあ」
「まあ、とってもお利口さんですのね。ジョルディ、生草を食みにきたのでしょう? 差し上げますわよ」
2人がこぞって近くに生えていた草をちぎって、やって来たジョルディの口元へ差し出す。若き気高き雄牛ジョルディはじっと見据えてから、大人しくそれを彼らの手から食べ、艶やかな毛を撫でられる。
「ジョルディ〜」
「かわいいですわね、ジョルディは」
「でしょ? でもでも、こいつはすっごい格好いいんだよ。それに力持ちだから。乗って帰ろう。ジョルディ、悪いけど生草はまた今度な? 今、食べられる分だけな?」
「モォォォッ」
「え、ヤなの? ……じゃあ、帰りながらいっぱい食べていいから。それでいいだろ?」
「モォォォッ」
「お前のペースでいいから。な。エクトル、手を」
「はいっ、セオフィラス様」
「おやおや、少し見ない間に、随分と仲睦まじくなったようですね」
「モォォォッ」
ゆっくり、ゆっくり、まさしく牛歩の帰路をセオフィラスとエクトルは仲良くともにジョルディの背で過ごした。
「何かあったんですか、2人に?」
「許嫁同士がうまくいきそうな実例……」
「おお、なるほど。それはそれは、大変よろしいことですね」
「蜜でも吐きそうな気分……」
おえええ、と大袈裟に嘔吐するマネをしたソニアにアトスは苦笑し、座ったまま眠りこけていたヤコブを揺すって起こした。




