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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期2 エクトル・クラウゼン
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セオとエクトル ②



「――では、ここまで。やればできるじゃないですか。

 わたしが一度もきみを捕まえられなかったのはこれが初めてですね、セオくん」


 爽やかな顔でアトスはそう誉めるが、セオフィラスは全身汗だくな上にゼイゼイと息を荒げて地面で大の字に転がっている。逃げまくること数時間――ようやくアトスからおしまいの言葉をもらえて修行が終わったところだ。


「ん……? おや、お迎えが来てくれたようですね」

「ああ……ジョルディ、お前、1人で来たのか……。そんなに俺に懐いてくれるなんて――」

「モォォッ!」

「……はいはい生草大好きな、お前は……」


 寝返りを打ってからのそのそ歩いてきたジョルディにセオフィラスは手を伸ばしたが、触るなとばかりに鳴いてからジョルディは草を食み始める。ため息をつきながらセオフィラスは足を崩して座り、手でむしった草をジョルディの口元へ近づけた。一瞥してからセオフィラスの手から生草を食べる。


「……セオフィラス様」

「……あ。ご、ごめん! 急にあんなこと!」

「いえ、何だか……とっても、楽しかったですわ」


 にっこりと笑ったエクトルにセオフィラスはまた弱り、曖昧な笑みを返す。アトスは何も言わずに帰っていった。


「けれど……やっぱり、ちょっともう眠くなってしまいまして」

「そ、そうだよな……。俺のせいで寝ずに、こんな時間まで。ジョルディ、後でまた連れてきてやるから一旦帰るぞ。ほら、こいつの鞍に……って、その格好じゃちょっと嫌か……」


 気を遣ってジョルディに乗せようとしたセオフィラスだったが、エクトルのロングドレス姿を見て悩みかける。と、エクトルがほほえみを浮かべた。


「わがままを申し上げてもよろしいですか?」

「わがまま……?」

「セオフィラス様に、先ほどのように抱きかかえていただけると……」

「え……。えっ!? あ、い、いいけど……お、俺、なんかで……」

「だってセオフィラス様の腕の中が、とっても逞しくて……安心感があったんですもの」

「……よ、喜んで」

「重くはないですか……?」

「ぜっ、全然! そんなこと全然ない!」

「ふふっ、力持ちなんですね」

「それほどでも……あるのかな。はは……」


 ジョルディの手綱を引きながらセオフィラスはエクトルを腕に抱き上げて屋敷へと帰る。いつの間にかエクトルを前に緊張することはなくなっていたが、歩きながら交わす言葉はなかった。エクトルの体温を感じるだけでセオフィラスは疲れも吹き飛んで、心が充足していくのを感じた。











 真昼の日差しがたっぷりと差し込む窓。そこから入り込む風をカーテンが孕み、ふわりと抜けていく。そんな部屋でセオフィラスは静かに眠っていた。


 誕生日から一夜明け、朝の修行からエクトルと帰るなりぐっすりと眠っている。

 そんな少年の部屋にベアトリスがノックもなしに入り、安らかな寝顔を冷ややかな目で見下ろす。


 すぅっとベアトリスは息を吸い込む。

 クラウゼンに伝わりし、淑女のたしなみのひとつに大声の出し方なるものがある。暴漢に襲われた時に助けを求めるため、ダンスパーティーで雑音にかき消されることなく紳士に声をかけるため、失態を犯した部下を怒鳴りつけて威厳を保つため——。あらゆる状況下で、よく声を通すために伝わるたしなみである。


「——セェオッフィラアアアアアス!!」

「うぅあああっ!?」


 いきなり響いた声にセオフィラスが飛び起きて目を白黒させる。


「こほんっ……わたくしが、これほど声を荒げるなんて、そうそうないことですわよ? もちろん、何に対してなのかは、お分かりになられていますわね?」

「え、え……? い、今の声……先生……?」

「お分かりになられていますわね?」

「…………いいえ」


 ピシッとベアトリスの額にぶっとい血管が浮かび上がったのを見て、セオフィラスはベッドの上でひっと小さく息を呑む。


「床に座りなさい」

「……はい」


 言われたままセオフィラスは床に足を畳みながら座る。


「指摘したいことは山ほどあります。

 が、まずはこのことについて触れさせていただきます。

 あなたは昨日、12歳になったばかりですね。それなのに許嫁とは言え、同じ年の娘とともに一晩を過ごすというのは不健全というものですわ」

「ふけん、ぜん……?」

「聞けば森の中であなたが強く抱き締め、汗まみれになって最後は精根尽き果てたとか……」

「う、うん……? ……それが、何がいけないんですか?」

「っ! まさか、これはアドリオンでは普通だと言うの……? いえ、いいえ、そんな噂は聞いたこともありませんでしたし……と、とにかくっ、あなたはまだ12歳! 例え婚約者であろうとも! 嫁入り前の娘に手をつけ、汚すなど許されざることなのですわ! 肝に銘じて――」


 コンコン、と控えめなノックの音がベアトリスの言葉を遮った。

 じとっとベアトリスは自分の説教を邪魔する輩を睨もうとドアの方へ視線を向けるが、セオフィラスは使用人の誰のノックとも違うような気がして少し首を傾げた。


「失礼いたします——」

「っ……エクトル?」


 やっぱり、とセオフィラスは目を見張る。


「お姉様のお声が聞こえたので……」

「今、セオフィラスとお話をしているところですわ。別のところへいなさい」

「いいえ、お姉様。わたくしの名誉に懸けて、言わせていただきますわ」

「あなたがわたくしに異見するなど100年早くてよ、エクトル?」

「けれどお姉様は愚昧な考えに陥っていまし——」

「お黙りなさい! そもそも! あなたもあなたでしてよ、エクトル! いくら許嫁だとは言え、若い身空で男と2人きりで夜を明かすなど乙女として許されざる行為でしてよ!? 理解していらっしゃるの!?」

「それは……確かにわたくしにも非があることでしたわ。けれどっ——」

「それが全てですわ! 良いこと、エクトル! あなたはわたくしの言う通りにしていれば良いのですわ! 今後、あなたは日が沈んだらすぐに眠りなさい!」

「……」

「お返事はどうしたのかしら、エクトル?」

「はあ……」

「何ですの、その態度は?」

「お姉様には辟易としましたわ」

「何ですって?」

「お姉様には辟易とした、と仰りましてよ」


 静かにことの成り行きを見守っていたセオフィラスは、ここに至ってようやく目の前で姉妹喧嘩が勃発しているのではないかと気づいてきた。


「エクトル! いつからあなたはそのような口の利き方を——」

「お姉様はいつだって、自分だけが正しいと思い込んでいるのですわ! ですから他人の言葉など聞き入れずに、上から押さえつけることしか知らないのです! 頭ごなしに決めつけるばっかり! だからお姉様に辟易としたと仰ったのですわ!」

「だったらもう知りませんわ、好きになさい!!」

「ええ、好きにさせていただきますわ! 行きましょう、セオフィラス様!」

「えっ?」


 いきなり呼ばれてセオフィラスがエクトルを凝視する。


「セオフィラス? あなたまでわたくしに逆らうつもりなの?」

「えっ?」


 すると今度はベアトリスに呼ばれて冷や汗が噴いた。


「セオフィラス様!」

「セーオーフィーラァァース……?」

「え、えっとぉ………………ごめんなさい、先生っ!」

「はあっ!?」


 とりあえず逃げることを選択し、セオフィラスはエクトルの手を取って自分の部屋から逃げるように出ていった。

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