セオとエクトル ①
「ようこそ、はじめまして」
「おお、きみが若きアドリオン卿か。お父上に似て聡明な顔つきをしているな」
「いえ。まだまだ父には及びません。本日はご足労をいただいてありがとうございます」
客人が続々と到着し始めてセオフィラスはその対応に追われている。挨拶を交わしながら相手の身分と、招待客とを照合しつつその場で席順を決めていかなければならないのだ。これはベアトリスに課されたもので席順を間違ってしまえば並べて座らせた客同士の話が盛り上がらずに暗く沈んだ雰囲気になりかねない。たかが席順とは笑えない重要なものであった。
セオフィラスの対応に社交界に飽きるほど馴れている貴族は小さく評価する。
見た目通りのただの12歳の子どもかと思えば、態度は酷く落ち着いているし、物腰には余裕があった。未熟な点をあげつらうのは簡単だったが、それよりも舌を巻かされたことを彼らは評価したのだ。
食事の準備が整ってから順番に客が食堂へ入り、セオフィラスの席順通りに座っていく。
全員が卓についたところでセオフィラスが杯を手に立ち上がる。
「本日はわたしのためにご参集いただいて恐悦至極にございます。
まだまだ若輩の身、至らぬ点もあるかと存じますが、本日はどうぞアドリオンの滋味を集結させたもてなしを堪能させていただければと思います。楽しい響宴になることを祈りまして。……乾杯」
形式ばった挨拶をあえて端折り、短くセオフィラスは挨拶の言葉にして杯を小さく掲げた。次々と乾杯と続く挨拶の声が重なって食事が始まる。
セオフィラスの左隣にはベアトリス、右隣にはエクトルがついている。
どちらも今回の集まりでは最上位の貴族である。クラウゼンは爵位以上に権力も財力も持ち合わせているので当然のことであった。
「今のところは及第点、といったところかしらね、セオフィラス」
「……ありがとうございます。それよりも先生、普段、口に合わないって言ってる料理が、少しはおいしく感じられますか?」
「そうね……点数にすれば53点というところかしら。エクトルはどう?」
「とってもおいしいですわ。このグリルは何のお肉ですの?」
「…………」
「セオフィラス? 淑女の質問に答えないのがあなたなりの紳士的態度なのかしら?」
「う……」
「セオフィラス様?」
「それは、モグラドリって言って……」
「モグラドリ? 初めて聞きましたわ」
「森の、柔らかい土の中に暮らす……モグラみたいな小さい鳥で、食べる部分は少ないんだけどおいしくて……」
「ええ」
「……捕まえた時は泥とかに汚れててちょっとみすぼらしいんだけど、こいつの羽根がけっこう綺麗な色をしてて妹のレクサは自分で取ってきて髪飾りにしてほしいなんて言ったりするくらいなんだ」
「まあ。一度、その髪飾りを拝見してみたいですわね。どのような色合いですの?」
興味をもってくれるエクトルを、セオフィラスはきっとクラウゼン流の社交辞令だろうと思っていた。ベアトリスとのつきあいの長さでそれくらいの機転は利くようになっている。しかしそうとは思えないほどエクトルの瞳はキラキラと輝いていて、だんだんと饒舌になって杯の中身もちびちび飲む程度だったのにぐびぐびと飲んで喉を湿らせなければならなくなった。
卓上ではそれぞれに会話の花が咲いている。
席順に対して不服を申し立てる輩をセオフィラスは警戒していたのだが、大人しくそれぞれの席で歓談しあって賑やかになりつつあった。
「ぷはっ……。それで、ゼノヴィオルは頭はいいんだけど度胸がないっていうか、鈍臭いっていうか、情けないところがあって。あんまりちょっといただけないって思ってたんだけど、本当はあいつ、自分が怖くても俺がどっかへ行って何かやらかすんじゃないかみたいな心配でついて来てて、余計なお世話だよって思いはしたんだけど……何ていうか、かわいいやつなんだなって思ったりして……」
セオフィラスの顔が赤くなっているのを見つつ、ベアトリスはやれやれと首を左右に振った。振る舞われている飲み物は全て、アドリオンの葡萄園で収穫したものを使った葡萄酒である。セオフィラスは無論、初めて口にするものだ。飲み過ぎないようにとあらかじめ注意はしていたがエクトルとのお喋りにばかり意識が向いて次々と飲んでしまっていた。
「かわいいって言えばジョルディっていう黒い大牛もいるんだ。本当にあいつ大きくて、かわいいんだけどそれ以上に雄々しいっていうか、格好良くって。草ばっかり食べてるのに、いつも元気でパワフルだからさ、俺も草とか食べようかなとか思って森に食べられる野草探しに行って、その時にジョルディ連れてったんだ。そうしたら見つけたそばからジョルディに食べられちゃって、あははっ」
12歳になって初めて、セオフィラスは酒に酔うという体験をしている。
締まりのない笑みやら、エクトルの前で硬くなっていたはずの態度が軟化しているやら、こうも変わるものかとベアトリスは静かに観察している。取り繕われていたはずのセオフィラスの礼儀作法も最低限にまでなっている。
つまり骨抜き状態だ。
「セオフィラス様」
「え? 何?」
「はしたないかも知れませんが……もうわたくし、お腹がいっぱいになってしまいましたわ。それに何だか眠気まで。そろそろ休ませていただきたいのですが……」
「……あ、うん。分かった。えっと……ええっと、んー、と……?」
「宴もたけなわ、ですわよ」
「そう、宴もたけなわでありみあすが皆さん――」
食事会をどうにか締めたセオフィラスに呆れつつ、ベアトリスはここから先は自分の仕事とすることにした。
「セオフィラス様、セオフィラス様……」
「ん、ぅぁ……?」
耳元で自分を呼ぶ鈴の音のような声でセオフィラスは瞼を開けた。
「お風邪を召してしまわれますよ」
「……あれ、俺、どうしてこんなとこに……?」
ハッとして体を起こそうとしたら、頭の下にある柔らかいものを感じて動きを止める。自分を覗き込んできているエクトルの顔を意識し、耳の周りからカァッと熱くなるのも感じた。
「あ、ええっ? 何、何――って、頭が、痛いぃ……」
「……お食事の後、セオフィラス様がわたくしに是非とも見せたいものがあると仰ってこちらへ」
「ここって……言われても……」
頭の奥でうずく鈍痛に眉を寄せつつセオフィラスは周囲を目だけ動かして観察する。いつも修行やら遊びやらでやって来る森の中だった。しかもうっすらと空が明るくなっている。
「……え? い、今、朝?」
「はい」
「俺、どれくらい寝て――」
「ずっとですわ」
「っ……」
やらかしてしまった事実にセオフィラスは絶句する。
夜中に女の子を森へ連れ込んで、自分だけ眠り惚けて夜明けまで膝枕をさせた。
「ご、ごめんっ……! あ、お、俺っ、悪いことを……!」
「いえ。とっても心の安らぐ一時でしたわ。……この森は何だか、とても清浄な気配に満ちているような気がしました」
「……か、帰ろうか。まだ夜明けの時間じゃ寒いだろうし――」
「おはようございます、セオくん」
「うわあっ!? し、師匠っ?」
いきなり声がしてセオフィラスが飛び起きると、その足元に木剣が投げ落とされた。
「では今日も始めましょうか」
「え? ま、待ってください、師匠! さ、先に彼女を屋敷に帰してあげないと――」
「ほう? 口答えですか? そんな根性なしなのですか? 失態を取り返さず、のこのこと屋敷に戻ると? ああ、嘆かわしいですね……。わたしはどこできみの鍛え方を間違えたのでしょう」
「うっ……。わ、分かりましたよ! やればいいんでしょう、やれば!」
「ええ、その通り」
「……ったく、頑固師匠め」
「わたしは柔軟な方だと思いますがね。弟子の朝帰りだって容認しますよ?」
「あ、朝帰っ――」
「始めましょうか」
「このっ、天然腹黒師匠ォォ――――ッ!」
木剣を拾い上げてセオフィラスがアトスに斬りかかる。大振りな上段からの一振りをアトスは半歩足を下げるだけで躱し、セオフィラスの手首をしたたかに打ちつけた。
「あぎっ……!?」
「おや、大振りにもほどがありますね。もしかして格好いいところを見せて挽回しよう――だなんて色気は出していませんよね?」
「うぐっ……」
「やれやれ……。今日はもうそれを持たなくてよろしい。久しぶりに鬼ごっこでもしましょうか。ただし、きみは彼女をずっと抱えた状態で。もちろん、わたしは容赦なく叩き潰しにいきいますので、彼女を守りきらないと生傷だらけになってしまいますからね」
「えっ」
「では10を数えたらスタートです。10、9……」
「ごめん、後でいっぱい謝るから!」
「え、きゃっ――」
「とりあえず師匠、こうなると本気で手加減しないから俺にしがみついてて! ごめん!」
エクトルを両腕で抱き上げるなり、セオフィラスが駆け出す。ジャンプして木の上へ飛び移り、一目散に駆けていく。そして10秒をきっちり数えたアトスが走り出した。――その瞬間、セオフィラスとエクトルは全身を無数の細かな棘で刺されたような殺気を感じた。振り返ったエクトルは見た。ずっと柔和なほほえみを浮かべていたアトスの目がギラリと輝いていたのを。




