小さな英雄セオフィラス ②
「……いきなりだったけど、良かったね、おじさん?」
夜中のことだ。深夜の外出を禁じられているグライアズローにおいて、夜中の訪問者というのはありえないことである。権力者は治安維持をしている官吏を買収して見なかったことにさせるなど日常茶飯事であるが、権力とは無関係の人物が――まして少年が、月さえ隠れる夜更けに訪問するなどありえない。
しかし。
「構わん。
人目につかぬように夜を選んだのであれば。
夜の闇に紛れ、誰にも見つかることなくここまで来たのであれば……な」
「問題ないよ。この僕にその程度のことができないはずないからね」
ビラーベック男爵は樽のような腹をゆすり、葡萄酒がなみなみと注がれた杯を手にゆうゆうと答えた。エミリオの言葉にも満足し、右腕に抱いている女を自分の方へ寄せる。彼女の脇の下へ手をくぐらせ、太い毛むくじゃらの手で乳房を揺らす。こらえきれないとばかりに短く、押し殺したような嬌声を女が漏らすと、口髭をたくさん蓄えた口元を歪ませる。
「……それで、始末はできたのか」
「した。その代わり、部下は皆……いや、ほとんどが死んじゃったよ」
「ふん、どうでも良かろう。ごろつきなどいくらでもあぶれているのだから、別にまた取り込んでしまえ」
「……まあね。それでさ、おじさん。約束のお金だけど――」
「額を言え。5万か、10万か?」
「ううん、お金はいいよ」
「何?」
「用心棒がいたんだ。三式の使い手で、殺されるかと思うくらいの剣士だった。魔術じゃなくて、気の力だったんだけどね。何で、そんな用心棒がいるような一貴族を殺せなんてお願いされちゃったのかなって。教えてよ。お金はいらないからさ」
エミリオは男爵を見ず、天井の隅を眺めている。
はだけた男爵のガウンから見え隠れする、毛むくじゃらの陰部を見るのが嫌だった。女のしなやかな手がそこを弄び、膨張していく様子も見るに耐えなかった。毛虫や蜘蛛は平気だが、エミリオは大人の不潔さというものが1番嫌いだった。吐き気を催すし、見続けてしまえばもう二度と見なくていいように男爵を殺すんじゃないかとさえ思えた。
「……ふん、まあいいだろう。とある方の頼みだったのだよ」
「頼まれたことを僕に頼んだんだ?」
「ああ、そうだ……。う、ふぅ……ああ、そうだ、上に乗りなさい……」
女を自分の股の上へ乗せ、尻肉をぺちんぺちんと軽く叩きながら男爵は天井を仰ぐ。エミリオは自分の目と耳が使い物にならなくなればいいのにと心底願った。
「じゃあ、どうしてその人は、殺したかったの?」
「あの方は徹底しておられるだけだ。徹底。その一言に尽きる」
「徹底……。何を?」
「一度でも歯向かった愚か者には、罰を与える。些細なことであれ、徹底的に。それだけの話だ」
「嫌がらせっていうこと? あはは、変なの。そんなので殺されちゃたまらないね……」
「まったくだ……。辺境の田舎領主にも関わらず、何をしてあの方からの不興を買ったのか。だが……クラウゼンの跡取りの3人の内、2人が死に……あと1人であるのならば満足をされるだろう。これで、アドリオンなどという家はどうしたところで立て直しなどきかぬようになる。まして……ふふふ、目障りなクラウゼンもこれで少しは大人しくするであろうよ。こぼれた利益はあの方が持ち、わたしは分け前を与えられる。いや……褒美として、丸ごと与えられることも考えられるな。お前は良い仕事をした。……金は本当にいらんのか?」
「……いらないよ。部下もいなくなったしね。森で暮らしていれば食べるのにも困らない。それよりさ……まだ何かくれるつもりなら、これからのことを教えてよ。徹底的に――やるんでしょう? これで終わりなんて、生温いんじゃない?」
「ふっふふ……何だ? 今日はやけに知りたがるな。わたしに飼われることが楽しくなったのか?」
「……そうだね、楽しかったかも。何の関わりもない人を陥れるために、こっそり飼ってる悪魔を使って殺しをさせて……。今度はどんな悪いことするのかな、って思うよ。興味がわいた、っていうのかな?」
「そこまで言うならば――うっ、ふ、ふぅぅ……あああ……。
そこまで、言うのならば教えてやろう。だが、これで今夜は終わりだ……。本番がまだ、残っているのだからな……」
エミリオは入ってきた時のように、そっと窓を開いてそこから外へ出た。
後にした部屋からは、肉と肉がぶつかりあってパンパンと鳴る音が僅かに聞こえてしまう。ペッと唾を庭に吐きつけてから、塀をサッと上ってエミリオは夜の街に溶け込むようにしてビラーベック男爵邸を去った。
王城にいくつかある広間のひとつで継承の義は執り行われる。
そこへ現れた主役――アドリオンの地を継ぐ、幼い少年の出で立ちは城勤めの者の眉をひそませた。そんな風貌の少年を連れてきたベアトリスとサイモスにも、非難がましい視線は不躾に注がれた。
「――面を上げ、答えよ。
これはどういうつもりか」
シュヴァリエ=ハーティ・ボッシュリードは眼前で片膝と片手をついて頭を下げている彼らを見て言葉を投げた。ゆっくりとベアトリスが顔を上げ、それからセオフィラスとサイモスも同じようにした。
「継承の義を執り行うためのお時間をあらかじめ決めていただいていましたのに、急遽、別日に改めてくださったこと、恐悦至極にございます」
「この神聖な我が城へ、その薄汚い風体で訪れたことについて問いかけているのだ」
「事情を申し上げてよろしいでしょうか」
「……それは余が聞き届けると思っての乞いであるのか?」
「無論にございます」
「良かろう」
「寛大なお言葉に、感謝の気持ちで破裂してしまいそうですが……お時間をいただいている身、お早くご説明をさせていただきますわ」
目だけ動かしてセオフィラスはベアトリスを見た。
「先日、ジャンソン大橋にてわたくしどもは山賊と遭遇いたしました。
こちらにいますは、此度、継承の義のために参じたアドリオンの跡継ぎである、セオフィラスにございます。山賊の目的は金銭であったように思われますが、彼の用心棒である男が果敢に山賊へ立ち向かうことで我々は難を逃れて無事、グライアズローへ参じることができました。
しかしこの件で山賊は逆恨みし、昨日、堂々とグライアズローの市中においてセオフィラスを勾引したのです。要求は返り討ちにした剣士との果たし合い。昨夜から、今朝未明にかけ、セオフィラスを奪還するために剣士は戦い抜きました。その最中、身の危険を感じたセオフィラスは敵の首魁――メリソスの悪魔と怖れられる者と対峙いたしました」
メリソスの悪魔という言葉で広間にいた者の顔色が変わった。その名称への恐怖と、そんな相手と対峙をしたという言葉への驚き、疑惑。まだ小さいセオフィラスが生きているという奇跡と思えてしまうような事実。
「彼は勇敢に戦いました。先の用心棒はセオフィラスの剣の師でもあったのです。師の教えを受けているセオフィラスは市中で突然の襲撃に見舞われても、勇気を発揮して敵に立ち向かい、さらわれても尚、気丈に戦ったのです。我らが偉大なる王に対し、このように乱れ、汚れた姿で拝謁いただくことは失礼であるとは重々、承知をしております。しかし、わたくしはセオフィラスの勇気を称えたいのです。この若者はまだ小さく、未熟な身――しかし、いかなる大輪にも蕾のころがあるのと同様に、彼は見事な、大輪を咲かせる蕾であるとわたくしは確信したのです。
貴族とは本来、偉大なるボッシュリード王家に大きな貢献をした者。継承の義は先祖の残した、王家への献身と勇気を変わらず保ち続ける誓いの儀式。ですからこそ、わたくしは気高き魂を有する、この少年は必ずや陛下の力になるとお伝えしたい一心で、彼をこの姿で連れて参った次第なのです。
わたくしのようなさもしい女が出しゃばってでも、陛下にお伝えしたい……そう思わせられるほどに、セオフィラスは勇敢にして、気高き少年であるのです。不敬であるとは承知しております。しかし、それを推してでも知っていただきたかったのです。アドリオンは必ずや、素晴らしき領地になります。陛下に、ひいては偉大なるボッシュリード王国に多大な貢献をし、最上の領主となるでしょう」
ベアトリスの瞳はじっと王を見据えていた。
サイモスは冷や汗が止まらなかったが、ただじっと床を見つめて空気に耐えていた。
そしてセオフィラスは――自分がめちゃくちゃに誉められ、評価されていることに驚愕して言葉を失っていた。アトスとはまた違う厳しさを見せつけられ、押しつけられてきたにも関わらず、こうまでべた誉めされることが嘘じゃないかと、あるいはベアトリスがおかしくなっているんじゃないかと思っていた。
長い沈黙が広間を支配する。
ボッシュリード王は玉座に片肘をつき、顔を支えたままじっと見下ろしていた。
そして――
「セオフィラスよ、答えよ」
「っ……はい」
ベアトリスの瞳に僅かな緊張の色が浮かぶ。
あらかじめ、継承の義ではこうあるべし、とはサイモスに教えさせていた。だが直接、王と言葉を交わす場面などは想定していなかった。ただ厳粛にあれというようなことは徹底して教えさせていたはずだが、果たして素直すぎるところのあるセオフィラスにそれができるだろうかと不安が膨らんだ。
「領主とはどうあるべきか?」
「…………」
問いかけの真意を30パターンほどベアトリスは思い浮かべたが、最適解を導き出すのは困難だった。今、王がどのような意図を持ってこの質問をしているのか。考えるだけの材料となる話もなしに、いきなりの突き詰めた質問へどう答えれば良いのか。ベアトリスでさえ頭を回転させるのに必死であるのに、セオフィラスに答えられるはずがないとさえ思えた。しかし口を挟む真似はできない。セオフィラスに直接、問いかけているのに横から答えを言うなど不敬である。
「領主とは……」
「うむ」
「分からないです」
「っ……!!」
「ほう……?」
分からない、などという答えが認められるはずもない。
完璧にしくじった、とベアトリスの頭は犯してしまった致命的なイレギュラーからどう脱すればいいかと計算を始める。その矢先にセオフィラスはまた口を開いた。
「でもお父さんみたいになりたいです。
皆が笑顔で、元気に暮らせるように守ってあげられる……人?」
「守るとは?」
「お父さんは皆のために戦場に行って、死にました」
「セオフィラス――」
「お母さんはお父さんは領主として立派な最期だって言いました。
だから俺――僕も、お父さんみたいに皆のために死ぬと思います」
「皆、か。それは誰だ?」
「〜っ……」
気が気でないベアトリスはすぐにでもセオフィラスの口を塞ぎたかったが、浮かぶ言葉のことごとくを自分で否定しなければならなかった。どう言ってもここから成功のビジョンへ導くことができそうにない。
「弟と、妹と……屋敷の皆と、ベアトリス先生と、サイモス先生と、師匠と、アドリオンの人達と……」
指折り数え始めたセオフィラスにベアトリスは卒倒しかける。
アドリオン家は取り潰されるだろうと、諦めた……が。
「ヘクスブルグの人と、お船に乗った時の、水夫さんと……格好いい牛のお世話してた人と、このグライアズローの人と、ベアトリス先生のここのお屋敷の人と……」
それはセオフィラスが見てきた人達である。
興味の対象となって、あるいはのんびり眺めて気がついて。
「お城の門番の兵士さんと、この服を作ってくれた仕立て屋さんと、お城を案内してくれた人と……王様です」
「ふっ……ふふ、ふふふふ……はははっ、はっはっは!」
いきなり王が笑い出し、広間がまた違う緊張に包まれた。おかしそうに腹を抱えて笑う王にセオフィラスはきょとんとする。ベアトリスはクラウゼンの本邸へ帰ってから、どう母に言い訳をすれば体裁を保てるだろうかという言い訳の準備に入っていた。あの母に弱味は見せたくはなかった。
王が1人で爆笑する中、誰もが固まっていた。
ひとしきり笑ってから王は玉座へ座り直すとセオフィラスを見下ろし、そして。
「継承の義を始める。準備するが良い」
「はい」
セオフィラス以外は、全員が耳を疑っていた。
「あれ……先生?」
「――ハッ、は、はい。さ、サイモス、始めなさい」
「あ、は、はいっ! す、すぐに……!」
アドリオンの正式な新領主が決まった。
王の許しを得て、アドリオン家の新たな当主としてセオフィラスがその座に就くことになった。その儀式の様子が、数日間、王城ではひそかに語り種になった。王の爆笑と、そこからの承認。けろっと、何と言うこともなさそうに返事をしたセオフィラス。それとともに、セオフィラスの剣の師という男がメリソスの悪魔を退治したという話も伝わり、それは半日もせずにグライアズロー中に広まっていった。
その中で噂には尾ひれがつき、曲解、誤解、推測が入り交じり、最終的にもっとも大きく伝わった話とはこのようなものであった。
辺境領主セオフィラス・アドリオン。
わずか9歳の少年がメリソスの悪魔を討伐した。
幼くして両親を失った哀れな少年だが、悲しみを乗り越えて尊敬する父のようになるべくひたむきな努力を重ねる健気さがある。この心の強さはメリソスの悪魔さえ打倒するほどであり、将来は必ずや勇猛果敢な剣士として王に仕えるのだと。王の信頼は厚く、アドリオンの発展は約束されたものである――のだとか。




