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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期1 メリソスの悪魔
33/279

悪魔と剣士と兄弟と ③



「……何が起きてるの?」


 夜の森のざわめきをセオフィラスは感じ取っていた。

 普通ではないことが今、この森で起きている。


「知らない方がいいよ」

「何で?」

「知ったらきみが嫌な気分になる」

「……知らない方が、嫌な気分になる」


 エミリオにそうセオフィラスが言い返すと、彼は座っていた玉座から腰を上げる。


「ジャンソン大橋で、僕のみにくい部下をたくさん殺した剣士がいるね。彼を殺すためにきみを攫って呼び寄せたのさ。だから、捕まってしまったきみのために、彼は死ぬことになる。……嫌な気分だろう?」

「まさか」


 強がったのかとエミリオは少し眉を潜めてセオフィラスの表情を窺ったが、けろっとした、逆に不敵な笑みを浮かべる始末だった。そんなことはありえないと確信している、余裕さえある表情だった。


「師匠は誰より強いんだ。負けるはずないよ」

「ふうん……。誰よりね。でも、きみは魔術を見たことがあるかい?」

「……ない」

「じゃあ分からないだろう」

「そっちは人の一式を見たことあるの?」

「……ないね」

「ほら。師匠は強いんだ。それに大人だし」

「大人や子どもっていうのは関係ないと思うね」


 静かな言い争いだった。密やかな敵意を互いに向けながら、負けじと、しかし澄まして言葉の応酬を繰り返す。


「とにかく師匠は誰にも負けないし、誰より強いよ」

「かわいそうだね。そう信じてるのに、夜明けには絶望してしまうよ。誰より強いと信じてた人が負けて、あっさり死んじゃったって」

「むっ……。そっちこそ、きっと師匠は殺さなくても負けを認めちゃうようなことをしちゃうよ。それで悔しくて悔しくてたまらなくなるんだ」

「そんなに信頼を寄せてる人が死んでしまうなんて……明日からのきみは、何を心の支えにするんだろうね。何なら、僕らが飼ってあげてもいいよ」

「そっちこそ。俺はこれでも領主になるんだ。拾ってあげてもいいよ?」

「むむむ……」

「むむむむぅ……」


 睨み合う2人を眺めていたのは、眠たげな、どこか儚げな表情のソニアだ。


「エミリオ……」

「ん? どうしたんだい、ソニア?」

「……その子の言う通り、剣士が近づいてるよ」

「ああ、もうなんだ……。夜明けまでは、まだちょっと遠いか。それで僕のみにくい子分達は?」

「死んだり、逃げたり……」

「やれやれ……。頼まれたから親分になってあげた(、、、、、、)のに、どうしてそう……。ちょっとは消耗させられたのかな?」

「あんまり効果ないみたいね……。その子が言うように、とっても強いもの。……うん。エミリオと、わたしと、一緒になってやっと……かな?」


 小首を傾げながら言ったソニアにセオフィラスは得意気な笑みを漏らしかけたが、エミリオの目が瞬時に凍てついたのを見て口をつぐんだ。


「2人がかりでやっと……か。

 それなら本当に、その気にならないと。

 森の賢人(ドルイド)の力でも使ってみようか」

「どるい、ど……?」


 セオフィラスが眉を潜めていると、エミリオは剣を抜いてからそれで自分の手首の辺りに刃を立てた。ぽたぽたと血を垂れ流させ、地面へ染み込ませていくとそこに赤く輝く円が浮かび上がる。目をつむりながらエミリオは静かな声を発し始めた。その声に呼応するようにして、円の内側へ滲むようにして紋様が浮かび上がり、輝きを増していく。


「生起し、求めよ。

 追行せよ、誅殺せよ。

 汝に名を与え、命を遣う――」


 その魔法陣の中で何かが蠢くのをセオフィラスは見た。

 おぞましいとさえ感じさせられる、何かが、今まさに誕生されようとしている。


「――アウラ・エマ・ドラコ」


 魔法陣から突風のような衝撃が駆け抜け、セオフィラスにぶつかった。

 痛みはなかったが、風に吹かれたように顔を背けてしまう。そしてすぐに目を戻せば、エミリオの足元に見たことのない生き物がいた。足の短い、四つ足の動物に見えた。小さい犬のようだ。しかし、その肢体は赤黒い枯れ枝のようなものだった。それでいて生き物のように柔軟にしなり、脈動している。


「行け」


 命じられるとそれはのそのそと歩いていった。


「……何、あれ? ちょっとかわいいかも……」

「今だけだよ。あれは森に芽吹く全てを食べられる。食べた分だけ、大きく、凶暴になる。そうして怪物に成り上がる。言わば僕らを守り、きみの味方に害為す猛獣だ。……単なる獣なら脅威じゃないんだけどね」


 説明をしてからニヤリとエミリオは口の端を歪めた。


「魔術の恐ろしさが、きみにもすぐ分かるよ」

「……でも、師匠だって強いんだ」











「ん? おい、何だ、この音は……?」


 ヤコブは盾に刺さった矢を抜きながら、森の中をうかがうように周囲をきょろきょろと見ながらそう言った。森の奥から、バサリバサリと植物を踏み分けるような音が聞こえてきている。アトスは剣についた血を払いながら視線を森の闇へと向けた。


「ふむ……。妙な気配ですが」

「気配?」

「人ではないようですが、夜中の静けさを脅かされて気の立った野獣というわけでもなさそうです。明確な意志を持ってこちらへ近づいてきているように思えます」

「そ、そんなことまで、分かるのか……?」

「それなりの経験はあると自負していますから。……しかし厄介なことには変わりなさそうですね。ヤコブくん、何かが現れたらわたしが相手をしますから先へ行ってセオくんを」

「たりめーだ、そのために来てる」

「では行きましょう」

「って、おい、まっすぐか!?」

「最短距離で、出鼻を叩きます」


 茂みを掻き分けることもせず、ただ一目散にアトスが走り出した。邪魔な低木や下草を気にも留めずに走りながら飛び越えていってしまう。その疾走にヤコブはついていくのが精一杯だった。すでに何度も襲撃を受けて多からず傷ついているし、走り通しで息も上がっている。しかし、アトスにはそのような疲れを微塵も感じさせられなかった。


「ヤコブくん、近づいていますよ!」


 先を駆けるアトスからその声が届き、ヤコブは顔を上げる。

 瞬間、木々が薙ぎ倒されて葉の擦れる音と、同時に倒れた木々の振動を感じてヤコブは思わず足を止めた。



「グゥォォオオオオオオオ――――――――――ッ!!」

「な、ん、じゃあ、こりゃあっ!?」


 倒れた木々のお陰で、ずっと遮られていた月明かりが森に注いだ。

 月光を受けて聳える(、、、)それは見たことのないものだった。トカゲを大きくしたような怪物だった。ただし、その体は表面が乾燥しきった木の根のようなものが絡み合っている。頭と思しき箇所には、耳と思われるように突き出したパーツがあり、その間から背中そして尻尾の先まで青々とした、(たてがみ)のような蔓植物の葉が生えている。



「霊力か。あるいは魔力か……。門外漢のわたしでは区別がつきませんが、どうやら睨んだ通りに三式の使い手のようですね」

「こ、これが……? 無理だろう、こんなもん――だって、デカすぎる……!」


 ヤコブが戦慄しながら、それを見上げる。

 頭の高さだけで2メートルは上にありそうなものだ。そこから推察される体長は考えるまでもなく巨大なものだ。体長1メートルの猪でさえも森からひょっこり迷い出ようものならば大捕り物になってしまうのに、どうにかできるはずがなかった。



 ――しかし。


「――いえいえ、これくらいの歓迎をしてくださらないと面白みに欠けるというものですよ」



 肌にピリつく存在感を放ちながら、アトスはほほえんでいた。

 しかし顔に浮かぶその笑みはいつものおのとは違う。交戦的で、挑戦的で、不遜な笑みだ。


(こいつ、楽しんでやがんのか? こんな化物を前にして?)


 生唾を飲み込んだヤコブはアトスが軽く剣を構えた際にヒュッと鳴った音で我に返る。


「さあヤコブくん。お先を。

 この程度の相手、すぐに片づけてから駆けつけますから」

「っ……や、ヤバくなったら逃げちまえよ! お前に何かありゃ、不本意だが坊ちゃん達が悲しむんだからな!」


 迂回して先を行こうとしたヤコブに、その大トカゲが反応して顔を向ける。だがアトスが飛び出して剣を振るい上げ、その注意を逸らした。――ヤコブは見た。大きな、牙の並んだ歪な口へ飛び込まんばかりに剣を振るい落とすアトスの姿を。そして、その剣戟が巨大な頭を地面に叩きつけた光景を。


 ドゴォンと激しい音と地鳴りの中、努めて振り返らずにヤコブはただひた走った。

 この森の中にいて、命が1つや2つでは足りないような気さえしていた。ならば――セオフィラスのために自分の命を差し出さなければならなかった。

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