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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期1 メリソスの悪魔
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悪魔と剣士と兄弟と ②



 聡く賢い、最愛の息子のひとり ゼノヴィオルへ


 この手紙を読めるほどには、きみは大きくなっただろう。

 これはいつか、きみに苦難の道が開かれた時に渡してほしいと頼んだものだ。


 今、きみがいかなる困難、いかなる恐怖の前に立ちすくんでいるのかは分からない。

 恐怖は人の心を縛り、足を止めさせようとしてしまう。だが恥じることはないと、最初に伝えておこう。


 きみが生まれた朝、わたしは珍しく早起きをしたものだ。もうすぐにでも産まれるとは聞いていたから待ち遠しくてたまらなかった。セオフィラスがひとりいるだけでも、幸せな日々になった。だがさらに家族が増えるのだと思うと、どうしようもなく落ち着かなくなって眠るにも寝つけなかっただけではあったが。


 その朝は厳しい寒さだった。アルブス村は雪で埋め尽くされていて、指先や耳まで痛くなってしまうほどだ。起き出してからしばらくしてお産の準備が始まったが、ああいう時、男というのは邪魔がられてしまうからわたしはセオフィラスとともに庭で雪と戯れて過ごしていたよ。だから、あの日の寒さは身に染みている。

 やがてガラシモスがわたしのところへ飛んできて、もう少しだと教えてくれた。やっとか、と不安半分、期待半分できみの顔を見るためにわたしも走った。靴の裏についていた雪のせいで滑って転んだのは、きみとの秘密にしておいてほしい。いい年をして滑って転ぶというのは何とも恥ずかしいものだ。


 産声が聞こえた瞬間、お腹の底の方から震えたような心地がしたのを覚えている。

 最初は元気な声だった。けど、すぐにそれが弱くなって、か細く、途絶えた。部屋の外で待たされている男達というのは、それだけで顔面蒼白になってしまってね。産まれてきたはずなのに、もしかして死んでしまったんじゃないのかと、大きな恐怖に取り憑かれて、必死に精霊に祈ったものだったよ。

 どうか、我が子をお助けください。

 この哀れな男を失望させないでください。……そんなように。


 だが、杞憂だったようだ。いやもしかすれば、祈りを聞き届けてくれたのかも知れなかったが、ちゃんときみは生きていてくれた。それが何よりも、わたし達は嬉しかった。



 それからの日々、きみとセオフィラスはたくさんの喜びを与えてくれた。

 いつもきみはセオフィラスの後を追いかけるようにして遊んでいたね。セオフィラスも口や態度は少し、きみに厳しかったかも知れないがあの子は少し素直じゃなかっただけで、きみのことを大切に思っていたはずだ。


 わたしにも、兄がいた。

 子どものころ、きみと同じように兄の後を追いかけるように遊んでいた。

 彼とは大人になってから、事情があって袂を分かってしまったが幼少期の思い出は今だって胸に残っている。何をしても勝てなくて、何をしても相手は常に上を行っていて、弟に生まれてしまったからには太刀打ちができないとまで思わせられたものだった。


 でもきみは違っていたね。

 セオフィラスは体を動かすことが得意だが、頭を使うものは少し苦手のようだ。けれどきみは、体を動かすことでは負けてしまったかも知れないが、頭を使うものではいつだってセオフィラスと同じことをできたし、もしかすればきみの方が賢かったかも知れない。親であるわたしの目には、そう映っていたのだが、どうだっただろうか。


 きみは賢い子だ。

 それでいて、とてもやさしい子だった。

 誰かが落ち込んでいれば、慰めてあげようとする子だ。

 誰かが悲しんでいれば、その悲しみを分かち合うように自分まで悲しくなってしまう子だ。


 誰もが持ち合わせる性質ではない。とても、とても、やさしいという証明だ。

 しかし、やさしさというものは人の世では食い物にされてしまう。人が好かったばかりに陥れられることはある。やさしさゆえに干渉し、それを拒絶されてしまうこともある。

 寂しいものだが、そうして世界は回っている。


 きみはやさしい子だ。

 だから、他人の気持ちには敏感だろう。

 ゆえに人一倍に想像力を働かせ、人一倍に恐怖を感じるだろう。



 だからこそ。

 きみには勇気を持つということを教えたい。


 後のことを考えた時にどうなってしまうか分からない恐怖に直面した時。

 それにただ怯えるのではなく、きみのその賢明な頭でよく考えてみなさい。

 可能な限りの想像力を働かせて、じっくりと考え込んでみれば予測ができるかも知れない。そうして考えた時に痛いことや、取り返しのつかないことにしかならない場合、しかし、そうしなければいけないと頭と心が言っているのならば、その時こそが、勇気を発揮するタイミングだ。考えて、少しでも良い結果へ繋げられるような行動を取りなさい。


 それでもだめだと、諦めたくなったら、思い出してほしい。

 諦めたくなってしまうのは、逃げ出したくなってしまうのは怖いせいだから、恥ではない。

 だから怖いなりに、やれることをやりなさい。やれるところまで、やりなさい。そして考えうる限り、良い結果になるように行動をしなさい。


 その時、きみは勇気ある者だと言われるだろう。

 やさしいきみは人よりも怖がりかも知れないが、だからこそ勇気が必要だ。


 そうして、そのやさしさをもって生きていってほしい。

 いつか人生を振り返った時、胸を張れるような生き方をしてほしい。


 願わくば。

 いついつまでも、幸せに生きてほしい。



                        父 ミナス・アドリオンより






















 馬車に残されたランタンを持ち、ゼノヴィオルはそっと森の中を歩く。

 セオフィラスとともにアルブス村でアトスに厳しくしごかれた経験はゼノヴィオルの中でしっかりと根付いている。森の中であってもすいすいと前へ進むことができた。足音を立てないように、気配を気取られないように、どうすれば良いかというのを理解して実戦することができていた。


 クラウゼンの別邸で大人達がこそこそと話をしているのを、ゼノヴィオルは盗み聞きしていた。そもそも、継承の義が終えれば一度帰ってくるはずだったのに戻ってきたのはベアトリスとサイモスだけで、その様子がおかしかった。兄に何かあったのだと勘づくのは簡単なことだった。


 アトスとヤコブが2人だけで救出へ向かうという話を聞いた時、どうすればいいかとゼノヴィオルは悩んだ。ただ待っていることが迷惑をかけないことだと賢い少年には分かっていた。――だが、悩んだ。


 待っているようにと言われた部屋で、じっと考えていた。

 すると、ドアの下からいつの間にか手紙が差し込まれていた。



 馬車には、あつらえたようにゼノヴィオルが潜り込めるだけのスペースがあった。

 そして誰のものかは分からないが、短剣が用意されていた。いつも修行と称して振り回している木剣と同じほどの長さと重さをしていた。しかもアトスとヤコブは、2つあるランタンの片方を火を灯したままに降りていった。


 その気があるならば行動へ移せと言われているような気がした。

 だからゼノヴィオルは、不安を必死に胸の中へ押し込めながら夜の森を進む。



 もうすぐ、別れがやって来る。

 最後に兄に誉めてもらおうと思った。

 泣虫ではないと見せつけ、グライアズローに残る自分に心配はいらないのだと思わせたかった。

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