悪魔との邂逅 ③
メリソスの悪魔とは最近、王都グライアズローに広まった悪名である。
曰く、悪魔の双子である――と。
メリソス家と言えば評議会にも選ばれるほどの有力な貴族であったが、それはほんの12年前までのことだ。その家に双子の悪魔が産まれてから、メリソス家は凋落していった。
双子が産まれてすぐ、メリソスの当主が死んだ。
ただ死んだのではなかった。体の左半身が焼けただれ、右半身が骨も筋肉も関係なしにぐちゃぐちゃに切り刻まれた状態で発見をされた。そしてその凄惨な遺体の傍らでは、はいはいができるようになったばかりの双子が真っ赤な実父の血液にまみれてきゃっきゃと笑いながら2人で遊んでいた。
すぐにこの双子は邪悪な存在に違いないと言われたが、産みの母がかばった。
だがかばいきれなかった。赤子の内に殺しておかないとどうなるか、と周囲が必死に説得をしたが、母親はそれを拒んだ。その結果、双子は王都にほど近い森の中に住む賢人に託されることとなった。森の賢人は双子を引き取り、悪魔が内に潜んでいようとも、まっとうな人間になるように育てると請け負った。
その言葉を希望に、母親は泣く泣く我が子達を手放し――その数日後、枯れた木のように全身を乾涸びさせながら変死を遂げた。
この変死を知ったのはメリソスと縁がある貴族の嫡男だ。
彼はすぐ、森の賢人のところへ向かった。産みの母さえも呪い殺すような存在はやはり息の根を止めておかなくてはならない。そうしなければならないと使命感を持って森へ向かう。
野獣が闊歩し、人の手が入らぬ深い森の中に賢人の住む小屋がある。
そこは小さな泉を裏手にしたささやかな家だった。木漏れ日が柔らかく小屋へ降り注ぎ、小鳥が群れて囁き合う。そんな長閑な空間だった。貴族は賢人に詰め寄った。
『その双子は人を呪い殺す。
父親を惨殺し、母親を呪い殺した。
生かしておいて良いことなどは何もない。
だからすぐにでも殺すべきだ。わたしが手にかけるから、あなたは黙っていてくれるだけでいい』
賢人を押しやりながら貴族は仲良く2人で眠る双子へ近づき、腰に吊るしていた剣を引き抜いた。殺すことは簡単に思えた。まだはいはいができるだけの赤子でしかない。骨さえもたやすく粉砕して斬り殺せるはずだった。――はずだった。
貴族の嫡男は王都へ戻ることはなかった。賢人は不審がって調べにきた者に、双子を手にかけてから気が狂って自決してしまったと伝えた。そうして悪魔の双子事件は忘れられていこうとした。
「――でも僕らは生きてる。真相は違っているんだよ」
セオフィラスは半壊して屋根も壁も壊れた小屋の上へ張られた天幕の中で、両手を縛られた状態でエミリオの話に耳を貸していた。縛られているのもあるが、まだ体には痺れが残っていてうまく体を動かせそうになかった。その目には不審感と敵視があらわになっている。
「森の賢人だなんて笑っちゃうよ。あのおじいさんこそが黒幕だったんだ。魔術って知っているかい。何もないところから火を出したり、遠く離れたところの人と会話をしたりする。才能がないと使えない」
「……トレーズアークの?」
「ああ、そう言えばトレーズアークにも語られてたようだね。地の一式、魔力。僕と妹は魔力を有していた。そして森の賢人と言われていたおじいさんも、魔術師だった。でもおじいさんは大したことのできない、せいぜいが呪い師程度だったんだけれどね、だからこそ……欲深だったんだろう。彼は考えた。どうすれば偉大なる魔術師になれるのか。森の中へ引きこもり、たまに街へ出ては呪い仕事で収入を得て、森の賢人だなんて言われながら……ずっと、そればかりを考えた。そして辿り着いた。――同じく魔力を持つ存在を見つけて、その力を手に入れてしまえばいいんだってね」
天幕の外では山賊達が焚き火を囲み、賑やかに飲み食いをしている。その喧噪に少しだけ耳を傾けてからエミリオは天幕の隅に置かれているベッドへ目を向けた。セオフィラスが視線を追って、ベッドで静かに眠っている少女――ソニアを見る。
「……森の賢人は謀った。まず親交のあった貴族に近づいて、魔力を持った子どもが生まれるようにした。体に良い薬と偽って食材に混ぜさせた。それから毎晩、魔術によって呪いをかけた。そうして産まれたのが僕らだ。……おじいさんはきっと、しめしめと笑っていただろうね。そこからは簡単だった。双子が悪魔のような存在だと錯覚させるために、自分の手を汚し、僕らの両親を殺した。始末しろと言ってきた可哀想な人は魔術の生贄にしてしまった。成長とともに魔力が育ったところを、丁度、果物がおいしそうに熟すまで待つように彼は僕らをひっそりと養育した。
でもね、彼の企みはそこまでだ。2年前、彼は死んだ。妹の方が僕よりも強い力を持っていると分かって、本当に自分の力にできるだろうかと僕を利用して最後の確認をしようとしたんだ。でも残念なことに、彼は愚かな過ちを犯していた。……おじいさんより、僕らの方がずっとずっと強かった。手塩にかけて育てた自分の家畜に、彼は逆に噛み殺されてしまったんだ。だって僕らも殺されるのは嫌だった」
んぅ、と小さな呻き声がしてエミリオがサッとベッドの方へ歩み寄った。
「ソニア……もういいのかい?」
「……ん、うん……? だあれ、知らない子……」
「怖がらなくていいよ。この子は単なる誘き寄せるための餌だから。退屈しのぎに僕らの話を聞いてもらっているだけさ」
「……その子は……」
「どうかしたの?」
「不思議な感じがする……」
目をこすりながらソニアが体を起こし、セオフィラスを目に留めた。それからベッドを降り、セオフィラスの方へ近づいていく。
「ソニア……?」
「あなたの目を見せて?」
「……目? とらない……?」
「とらないよ」
「…………」
目玉でもいきなり抉られてしまうんじゃないかと心配したセオフィラスだったが、とらないと言われたので素直に覗き込まれるまま彼女の瞳を見た。
「……何か、視えるのかい、ソニア?」
「うん……。でも、可哀想……」
「かわいそうなら帰して……。折角ダンスの練習してたのに……」
「きっと、全部なくしちゃう。大事なものをなくして、その度に泣いちゃう」
「それ、どういう意味?」
「ソニアは……視える人間だけ、未来が視える。つまりそれは予言だよ」
「予言……?」
「ねえ、エミリオ……」
「何だい、ソニア?」
「……この子の方が、悪魔なのかも」
「俺がぁ……?」
「ふふっ……いつか分かると思うよ。呪われた人間から悪魔が産まれるなら、きっと悪魔はあなたから現れる」
彼女のほほえみに少し怖さを感じてセオフィラスは口をつぐんだ。
「エミリオ、明け方までわたし達が生きていないと、わたし達は死んでしまう」
「明け方まで? ……そうかい、分かったよ」
「うん……。悪魔じゃないけれど、悪魔のような人がやって来る」
「そんなになのか……。じゃあ、本気を出さないといけないね。おじさん達に指示を出してくるよ。その時までは休んでていいからね、ソニア。体を大事にするんだよ」
「うん……」
そっとソニアを撫でてからエミリオが天幕を出ていく。
取り残されたセオフィラスはそっとソニアを見た。
「……大事なものをなくしちゃうって、何のこと? 全部って言ってたでしょ?」
「うん」
「何を、なくしちゃうの?」
「一言じゃ難しいけれど……きっと、人として生きるあなたには大事なもの。あなたはきっと……そう、修羅になる」
眉根を寄せてセオフィラスは何のことかと考え込んでみたが、答えは出てこなかった。
そして――メリソスの悪魔へ向けられた討手が森に踏み込んできた。




