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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期1 メリソスの悪魔
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悪魔との邂逅 ②


 着慣れない服に窮屈さを感じ、セオフィラスは胸元を圧迫するスカーフを少しだけ手で緩めた。それから服の重みが気になり、ぐるぐると肩を回そうとしたらそこも少し窮屈で生地が伸びそうな感覚がして途中でやめる。


「……脱ぎたい」

「とってもお似合いですよ、セオ坊ちゃん。それなのに脱いでしまうなんてもったいないかと」

「え、本当?」

「ええ」

「……じゃあ、カタリナが言うなら、我慢してあげる……」

「そうしていただけると嬉しいです。ゼノ坊ちゃん達にも見せに行きましょう」

「うん」


 着替えを手伝ったカタリナに促され、セオフィラスは客間を出た。

 屋敷の長い廊下を歩き、玄関ホールへ到着するとすでにベアトリスもサイモスも正装でそこに揃っている。ベアトリスは鮮やかなエメラルドグリーンのドレスで着飾っていた。髪の毛もまとめて結い上げており、普段は隠れている首周りが露出されている。



「あら、意外と似合っているじゃない。……スカーフが緩んでいるわよ。直させなさい」


 やって来たセオフィラスを見るなり、すぐにベアトリスが言う。カタリナが言葉にはしないが、やれやれとばかりにセオフィラスの前でしゃがんで、先ほど緩められたスカーフを直した。


「準備はできているわね。セオフィラス、何をするか、ちゃんと覚えているわね?」

「はい」

「それならよろしい。インペリウムもあるわね?」


 ベアトリスがヤコブの方へ目を向けて確認すると、彼は頷いてから腕に抱いていた細長い包みを軽く上げて見せた。木箱が布で包まれており、この箱の中にアドリオン家が代々、継承をしてきたインペリウムが納められている。


「サイモス、あなたも抜かりはなくって?」

「はい、姉上」

「よろしくってよ。……それでは王の城へと参りましょう」


 ベアトリスが踵を返すと使用人が戸を開いた。その向こうにはすでに豪奢な馬車が用意されており、着飾った御者が馬車のドアを開けて待機している。



「お兄様」

「ん? ゼノ、どうかした?」

「その……がんばってね」

「がんばるって。お前も、俺がいないからーってびいびい泣くなよな」

「うん。……待ってるね」

「ん、行ってくる」

「行ってらっしゃい」


 クラウゼンの馬車がゆっくりと動き出した。

 セオフィラスとベアトリス、そしてサイモスの他にはクラウゼン家の御者と従僕。この5名だけでグライアズローの都の中をゴトゴトと走り、一路、王城へと向かっていく。



「……そう言えば今夜のマルク―スク男爵の舞踏会ですけど、あれって僕は行かなくていいんですよね?」

「来なさい」

「えええ……? 姉上とセオだけで充分ですよ……。目的はセオのお披露目なんでしょう?」

「家督は継がぬにしろ、いずれあなたも伴侶を得なければならないのです。舞踏会があるのなら、そこでお嫁探しをしなさい。だから来なさい。あとわたくしの素晴らしさをあちこちに語り広めておきなさい」

「それ絶対後者が理由ですよね? ね?」

「だったら何かしら?」

「開き直ったよ、この人……。セオフィラス、いくら弟相手だからって横暴が過ぎれば白い目で見られるから気をつけた方がいいよ……」

「何を助言しているのかしら? それはわたくしへの不満ということ?」

「……イエ、滅相モナイデス……」


 くたびれたようにサイモスが肩を落とす。弟とは姉に虐げられる生き物なのだろうとサイモスはまだそう長くない人生で悟っている。


「……セオフィラス」

「ん? はい」

「継承の義が終わり次第、またすぐ屋敷へ戻ってダンスの特訓をいたしますから、頭に入れておきなさい」

「……はぁーい……」

「エクトルのフィアンセであるきみも、すでに姉上の弟も同然か……。お互い、腐らずにいよう、セオ……」

「何を同情しているのかしら? このわたくしの弟だなんて名誉が、まるで不名誉のようで不愉快ですわ」


 ガタンッと馬車がまた揺れる。

 ずっと外を眺めていたセオフィラスが、不意に窓から身を乗り出して上を覗き込んだ。


「何してるんだい、セオ?」

「人がいる!」

「えっ?」

「きゃあっ!?」


 サイモスがほうけた声を出すと同時、屋根からいきなり剣が突き出てきてベアトリスが腰掛けていたシートからずり落ちた。すぐに剣が引かれ、サイモスがセオフィラスを引っ張って狭い馬車の床板へ伏せさせられる。その間に何度も何度も剣は天井から落とされては引き抜かれる。そして、空けられた風穴が蹴り破られて人が降ってくる。



「恨みはないけど、死んでくれるかな?」


 エミリオが壊れた天井の破片を被ったベアトリスに剣を向ける。息を呑み、ベアトリスはただ振り下ろされる少年の腕を睨みつけるしかできなかった。だが、その前にエミリオが体当たりを受けて姿勢を崩す。剣はあらぬところへ引っかかって彼の手を離れる。胴へしがみつくかのような体当たりをかましたのはセオフィラスだった。そのまま馬車の戸からエミリオもろともセオフィラスが外へ転がり出る。


「痛ったた……」


 転がり落ちたエミリオが手を後ろにつきながら体を起こせば、セオフィラスはすでに次の行動へ移っていた。首を締めていたスカーフを抜き取るなり右拳を守るように巻き、結び目を手の中へ握り込んだ。



『一度、戦いとなれば情けも容赦も無用です。相手が参ったと言うまで、あるいは完全に戦意を喪失するまで、――徹底的にやりなさい』


 その言葉は、いつかアトスがセオフィラスに教えた心得だった。

 そして毎日の修行では一切の情けも容赦もなく、アトスは兄弟を徹底的にしごいた。木剣を持たされてゼノヴィオルと打ち合っても、どちらも中途半端で剣を下ろすということは許されなかった。


 だからセオフィラスはその心得のまま、突如として現れたエミリオを敵と瞬時に判断して追撃を仕掛ける。馬車から落ちた拍子に体を痛めても関係なく、相手がまだ立ち上がろうとしていなくてもお構いなしに、スカーフで守った拳を思いきり振り込んだ。


「うぐっ……!?」


 起き上がりかけていたエミリオの顔面にセオフィラスのパンチが炸裂する。そのまま馬乗りになって、両手の親指を重ねて相手の喉へ全体重をかける。このような戦い方など誰に教わったことではない。しかし本能的に息の根を止めようとすればこういう行動になった。


「セオフィラス! そこまでにしておきなさい!」

「っ――でも」

「隙ありだよ」


 ベアトリスの声で力を緩めた瞬間、エミリオがセオフィラスをはね飛ばすように飛び起きた。


「ああでも……油断しちゃったな……。みっともなくて恥ずかしい……。衆目も集めてしまったし、これじゃあダメだ。けど何もなしで撤退なんて恥の上塗りだ」


 腰の裏から円盾を出して左手にはめ、エミリオがセオフィラスを見据える。セオフィラスは武器になりそうなものがないかと周囲を視線だけ動かして観察しつつも、エミリオに注意を払う。


「よし、じゃあ決めた。明日の朝までに南西の森の中にある廃屋へおいで」

「何を仰っているか分からないわね。あなたはここで捕えられるだけよ。これだけの騒ぎならすぐ衛兵も駆けつけるでしょう」

「衛兵か……。ま、何人で来てもいいけどね。僕らに――メリソスの悪魔に抵抗しようって言うんならさ」

「メリソスの――?」

「で、こっちの本命はね、僕のみにくい部下達をたくさん殺してくれちゃった剣士さんなんだ。だから、その人とおいでよ。――このお坊ちゃんが惜しいならさ!!」


 エミリオが突然、腕を振るい上げた。

 同時に放たれた小さなナイフがセオフィラスに飛来し、寸でのところで顔を振って避ける。しかし刃はセオフィラスの頬を掠める。反射的にセオフィラスが敵を倒そう(、、、、、)と飛び出しかけたが、いきなり膝から頽れるようにして倒れ込んでいく。


「セオフィラス!?」

「ただの痺れ毒だから安心しなよ。明日の朝までに来てくれなかったら、この子は死んじゃうけどね。それじゃあバイバイ、王都の皆さん――」


 素早くセオフィラスを担ぎ上げ、そのままエミリオが石畳を力強く踏んでジャンプした。一足で屋根の上へ跳び、そのまま走り去ってしまった。



「っ……今夜はセオフィラスのお披露目をするつもりだったというのに!」

「い、いや……それより、彼の身の安全と、継承の義――」

「そんなものどうだっていいわ!」


 憤りながらベアトリスはエミリオの走り去った方を睨みつけ、駆けつけた衛兵からメリソスの悪魔なる存在のことを聞き出した。

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