崩壊の余波 ②
「カツカツには変わらないだろうけど、地節が終わればまた畑仕事ができるようになるし、食べられる野草なんかも増えるから。どうにかして耐え忍ぶことだね。何の希望もなしにただ耐えろっていうのは拷問と同じだけど、いずれ好転する兆しさえしっかり理解していればそれが気力になる。また収穫ができたら、お祭りをして、それを1年の楽しみにして食い繋げばいいんだよ」
「さ、さすがは旦那だ!」
「……カツカツには変わらないからね?」
セオフィラスが授けた知恵は大したことのないものであるが、それはそれとしてミックにはない発想だったので感激される。
収穫して保存食とした食料ばかりが頼りだったミック農園の食糧事情の改善案として、セオフィラスは狩猟と家畜の消費を提案した。その後の繁殖も含めて必要な家畜を残して肉として潰して食い、さらに狩猟によっても肉を手に入れる。ごくごく単純な手なのだが、ミックは自分達で生産した農作物で食い繋ぐしかないという発想に囚われていた。
「ただ、これからどれだけの人がここへ流れ着いてくるかは分からないし、来年にはもっと畑を拡張していかないと余剰分の食い手に対して作物の収穫量が足りなくなりかねない。だから今の内から計画的に畑の拡張を始めないとね。それと食いものが十分になってきたなら、今度はちゃんとした家や衣類なんかも必要になっていく」
「へい」
「ミックが今後も農園として生産の主軸を担うつもりでいるなら、畑の拡張だけでいい。でも大勢が共同体として暮らす土地になっていくわけだから、農業生産だけの担当をするミックだけじゃ回らなくなっていくよ」
「……へい」
「本来はそこを担ってきたのがジェンキンス……のご先祖みたいな、きっと気骨があるような人だったんだろうね」
「遠回しな嫌味はやめたまえ」
ちらりとセオフィラスに視線を向けられたジェンキンスが不快そうに言い返す。
「それから、もし問題なくここが発展していったとして、もし精教会が接触してきたら、それはそれで注意がいるだろうから覚えておいてね、ミック」
「精教会ですか? どうしてです?」
「上手に利害関係を結べるならいいんだけど、精教会に助けられるままありがとうって気持ちで付き合っていたら、それまでのことを盾にして厄介な約束なんかをさせられかねなかったりするから。そういうのに自信がなければ突っぱねておいた方がいい。……もちろん、上手に付き合えるならそれがいいんだけどミックには難しいでしょ? とにかく人が大勢集まって、一緒に暮らすってことになったらさ、それはもう社会が形成されたと言ってもいいことなんだ。その社会をどう動かしていくかって舵を切っていくのが為政者だ。ミックにできないこととは言わないけど、その辺も考えていかないとだね」
「旦那の言う通り、俺にはできそうにねえな……」
どういう答えを出すかと思いつつ、セオフィラスは出されていた茶を飲む。
現状、ミックは農園だけで手一杯なのに、他の様々な問題まで対処しなければならないというのは非常に難しい。政治的なノウハウを理解しているのはジェンキンス程度のものだが、ジェンキンスが独裁をしないかという懸念がある限りはミック始め、農園の農夫達は彼を担ぎ上げることはできない。
そこまで考えてからふと、セオフィラスはイグレシア共立国の構想を思い出した。今ではイグレシア城周辺に人はいなかったが、元々の考えでは住民の中から代表者を選出して国を運営するというものであった。世襲ではなく、その土地の人間達によって政治が運営される仕組みとして考えられたものである。
このミック農園を中心とした共同体も同じ仕組みでできるのではないかと考える。ジェンキンスへの信を問う必要はあるが、任期制であればジェンキンスも下手なことはできないだろうという予防線にはなる。
「まだ、実験的な構想でしかないことなんだけどさ、ミック」
「へい、何です?」
イグレシア共立国でやろうとしていたことについて説明をしようとした時に、いきなりドアが開いて血相を変えた農夫が駆け込んでくる。
「ミック! ああ、それとそうだ、セオフィラスの旦那! た、大変だ! 何か妙な獣が出て!」
「妙な獣!? 案内して!」
すぐにセオフィラスはイグレシア城で見た魔物だと気づいて剣を取りながら立ち上がった。
案内されたまま走ると、畑の拡張のために伐採をしているところに来た。木を切り倒すために使っていたのであろう大鋸を武器のようにしていた農夫が悲鳴を上げながら襲われて首から血を噴き出す。その周囲にも血を流して倒れ込む農夫が転がっている。
すぐに剣を抜きながらセオフィラスは飛び出る。
農夫を襲っている獣はイグレシア城とその周辺で見た狼のようなものとは違っていた。大きな犬ほどのサイズのネズミに見えた。毛は濃いグレーと毒々しい赤紫色の縞模様をしており、尻尾には毛がなく毛の色とはまた少し色が薄い赤紫の皮膚のようなものが見えている。発達した前歯は農夫の血で赤く染まっており、目が怪しく赤く光っている。
「下がれ!」
襲われていた農夫に尚も歯を立てて、首を齧りきったネズミの魔物にセオフィラスが剣を振るった。ネズミが直前に顔を上げ、その首をセオフィラスの剣は切り裂きながら吹き飛ばす。目だけで襲われた農夫を見たが、もう死んでいた。首の骨が露出しており、食欲ではなく殺意によって魔物に殺されたのだとセオフィラスは分かった。
それを確認してから起き上がったネズミにまた剣を繰り出す。毛皮を貫通して剣は腹を突き破る。そのまま地面まで貫いて串刺しにしたが、猛烈な勢いで地面を掘って潜って剣から抜けてしまう。
「何だこいつ……!」
「旦那、後ろに!」
声をかけられてセオフィラスが振り返る。距離を取って見守る農夫達の姿が見え、何かと思ったがすぐ足元が少し緩くなったのを感じて視線を落とす。そこから魔物が出てきてセオフィラスの右足に前足でしがみつき、歯を立てようとした。その前に組みつかれそうになった足を引いて、頭骨を壊すつもりで思い切り剣を突き落とす。
しかし刃は滑った。硬い手応えから、刃が立たなかったのだとすぐに理解する。
刃が地面へ落ちると同時に魔物は飛んでセオフィラスの胸元へしがみついた。首をやられてはたまらないと反射的に左腕を魔物の前へ出し、そこに噛みつかれる。前歯が歯へ食い込んでいくのを感じて、これを首筋にやられたらその一噛みで死にかねない。
だがセオフィラスは怯まない。
左腕を噛ませたまま近くの木へ突進して魔物をその勢いで叩きつけ、右手に握っている剣を突き刺す。今度は胸を貫いて、左腕が放されたので両手で剣を持ち直して木まで貫通させているそれを振り切った。
木が倒れていく。
魔物はようやく絶命した。
その死体は少量の煙を立てながら萎んでいき、最後に小さな金の粒が残った。
「旦那、怪我は!?」
「見た目ほど酷くないから大丈夫」
「い、今のは何なんです?」
「……魔物。……ただの獣とどう違うかは分からないし、前に見かけたことがあるのはネズミじゃなかった。ただの獣と違うのは殺意をもって人を襲うことだ。しかも恐ろしくしぶとくて強い。……まだ息をしてる人がいないか、念のために確認してあげて」
「へ、へい」
「それから……農園のみんなを全員、一ヶ所に集めるんだ」
「へえ……どうしてですかい?」
「ネズミが1匹だけなんて考えづらい。しばらく周りを探さないと。急いで」
「へい、旦那!」
小さな小さな金の粒を手の中に握り込んで、セオフィラスは魔物の意図について考えた。
ゼノヴィオルがこれを作っている。それをイグレシア城に配置していた意味、そしてこのミック農園にまで現れた意味。あるいはもっと広範に魔物が住み着こうとしている可能性もある。
その意味について考えを巡らせ、しかし明確な答えは出ぬまま、他の魔物探しに出た。




