崩壊の余波 ①
アストラ歴247年。風節。中の月。
そこにセオフィラスは3月ぶりほどでひょっこりとやって来た。
年の瀬も1月後に迫り、これからの季節は蓄えた農作物か、狩猟で食料を賄っていかなければならない。その備えはちゃんとできているだろうかという老婆心によるところが大きかった。
「だ、だ、だ、旦那ァ〜!!」
「うおおおっ! スタブロスの旦那!」
「カタリナさぁーん!」
少し様子を見るだけ、というつもりでミック農園に立ち寄るとすぐさま屈強な男達がわらわらと群がってきて、最低でも一晩は足止めされるだろうとセオフィラスは察した。
「元気そうだね……。ミックも元気?」
「へいっ! ミックの親分なら、ジェンキンスと話し込んでるとこでさァ!」
「おい新入りどもぉっ! この御方こそがスタブロスの旦那だぞ!」
「……人も増えたみたいだ」
見知らぬ顔がいくつもあり、セオフィラスは少しだけ表情を曇らせながら呟いた。
その胸中をカートはあまり考えないようにした。
シュバリエ=ハーティ・ボッシュリードの暗殺からはまだ1月半ほどしか経っていない。ミック農園に来るまでは王都グライアズローにこそ寄りつかなかったが、近隣の町や村を転々としながら動向を見てきていた。世間には王の雲隠れがすぐ知らされたが、その死因については公表されていなかった。
セオフィラスの暗殺によるものというのが伏せられていた点から、やはりこのままボッシュリードは崩壊するだろうという見立てになった。
もし強力なリーダーシップを発揮できる人間がいるならば、セオフィラスを敵として国民全てに触れ回り、王を暗殺された怒りの矛先を向けて民心を一体化させるという手が取れる。そうなれば再び崩壊の兆しを見せていた王国をまとめあげる手としては簡単な方だった。
しかしそれができないということは、まだ国の上層部が王を失って機能不全を起こしているということに他ならない。誰が次の王になるか、という点について未だ争いあって足の引っ張り合いに勤しんでいるのだとセオフィラスは見立てた。
王が崩御して尚、かえりみられることのない民はただでさえ不安定な生活への恐れから、もう誰も権力者の言うことなどは聞かなくなる。本来は自由な引っ越しなど許されない領民が逃げ出し、いずれは領主の首が締まっていく。
そうして逃げてきた人々がこのミック農園に集まってきているというのはセオフィラスも耳に入れていた。
ここへ来れば領主に睨まれることなく新たな畑で作物を育てながら生活をすることができる、と。
それを旅先で何度か聞いていたこともあり、セオフィラスは不安に駆られた。大勢の飢えた人間が押し寄せてきて、それをミック農園が迎え入れることまでは良い。しかしその後、増えすぎた人数に対して備蓄の食料では賄いきれないのではないかという懸念が浮上した。
セオフィラス自身、ここまでミック農園の存在が噂として人々の間に広まるものとは思ってもいなかったのだ。
これが貴族の耳に入ればジェンキンスの領地だからとはいえ、どのような難癖をつけて、どのような理屈で、この土地を奪いに来るかなど分からない。
王という象徴が失われたことで貴族達も自分達の立場がじわじわと危ういものに変わってきているのを自覚し始めているはずであるのだ。この隙に他の貴族よりも少しでも優位に立たなければこの先が立ち行かなくなるという危機感で何をしでかすか分からない。
「坊ちゃん、少し畑の様子を見てきてもよろしいでしょうか?」
「ん、うん。いいけど……」
「失礼します。……シャルルも行きますか?」
カタリナに声をかけられ、シャルルは彼女の手を握って大きく振る。ほほえんでからカタリナはシャルルとともに離れていき、セオフィラスも押し寄せてきた逞しい悪人面の農夫達を押しのけるようにしてミックがいるはずの小屋へ向かった。
セオフィラスの予想通りに、ミックは悩んでいた。
とても嫌ではあったが、この手のことに多少の知恵はあるだろうと思って、初めて自分からジェンキンスに相談を持ちかけた。――増えすぎた人口に対してどうすることが良いか、と。
相談を持ちかけられたジェンキンスは、その内容を聞いて露骨に嫌な顔をした。ジェンキンスからすれば民が飢えようがどうでもいい。ただ毎年、きちんと税が納められていさえすれば良くて、具体的な対策などを考えてやる義務はないというのがそれまでのジェンキンスの立場であったのだから。
しかし今となってはこのミック農園と共生をしなければ自分の特権も失われかねないという危惧がある。何かしら知恵を授けてやらなければ彼らからの反発を受けかねない。最早、ジェンキンスもボッシュリード王国の崩壊を信じている。
国王によって保証されていた特権が失われることは理解している。
だからこそミック農園――ひいてはその指導者たるミックが苦手とする頭脳労働で自分の価値を示さなければ立ち行かなくなってしまう。
「それで……どうなんだ、ジェンキンス。このままじゃ、足りなくなるのは目に見えてるが、故郷を捨ててわざわざここまでやって来た連中を締め出すなんてこともできやしねえし」
「すぐに答えの出ることではない。考えてはやるが……」
「すぐにでも答えは欲しいんだ。方針もなしにこのまま受け入れて、求められるまま飯を分けてたらこっちが飢えて死にかねない」
そんなことを訴えられたところでジェンキンスにその手の知恵はない。貴族として修める学問というべきものは、庶民に必要な実生活に役立つような知識ではない。修辞学や歴史など、畑を耕したり、作物をたくさん収穫できるようにするようなものは学問ではない。
こんなことにまで精通していたというセオフィラスをジェンキンスは軽く恨んでいる。セオフィラスがそんなことにまで詳しかったせいで、貴族なのだから分かるだろうと無学な農夫風情にこんなことを詰められるのだ、と。
静かにジェンキンスが内心でセオフィラスを呪っていたら、ノックの音がして無遠慮にドアが開いた。
「ミック、久しぶり。元気?」
「だ、旦那ぁっ!?」
「なっ、お、お前……!?」
「ちょっと近くまで来て、ここまでも色々とここの噂が立ってたからさ。どうなってるか気になって。……人がたくさん入ってきてるみたいだけど大丈夫?」
「へえ、今、まさにそのことでジェンキンスに相談してたんですが……」
「そう。それで、何て?」
「すぐに答えが出るようなことではないと告げたばかりだ」
「だからすぐじゃねえと困るんだと言ってるだろう!」
「まあまあ、ミック、落ち着いて。……肩を持つわけじゃないけど、言う通りだ」
「そ、そうなんですかい? てっきり、もったいぶって高く恩を売ろうとしてるもんだと……」
「その可能性は否定できないけど」
「そもそも! 畑のことなど貴族の埒外でしかないのだ! アドリオン――いや、スタブロスと呼んでやる、貴様が土いじりのことなどを知っている方が異端なのだ!」
「それがただ領地を継承し続けてきただけの凡百の貴族と、代を重ねるごとに発展していくクラウゼンの違いっていうだけのことでしょ。俺はクラウゼンに教わったんだから」
「ぐぬぬ……!」
ぐうの音も出せずジェンキンスが歯噛みする。セオフィラスはミックの隣へ腰を下ろして、テーブルに広げられていた雑な資料を見た。どんぶり勘定に近い、しかも計算違いもパッと見ただけでいくつも見つけられる資料には、入ってきている人数と食料の備蓄とを書いているらしかった。しかし信頼性の低い資料と一瞬で判断して、セオフィラスはカートに目を向ける。
「カート、農園の人数と残りの備蓄食料の正確な数字を持ってきてくれる?」
「はい」
「ミック、そういうのは誰が管理してるの?」
「俺が、一応……」
「自分だけでやってちゃダメでしょ。少しでも数字が得意そうな人を見つけて役割を振らないと。ミックが倒れたらおしまいになるんだよ、それでいいの?」
「い、いやあ、でも……」
「でもじゃないの。ミック、カートと一緒に行って」
「へい……」
「行ってまいります」
軽く叱られて落ち込んだ様子のミックを慰めるように軽く背を叩きつつ、カートが小屋を出ていく。残ったジェンキンスが恨みがましくセオフィラスを見つめる。
「何だかんだで、一応の信頼はミックに得てるようで……これにちゃんと応じられればいい関係になるんですかね?」
「ふんっ、こんなことを知っている方がおかしい」
「またまた。……これからはあなたも、ミックと同じ、ただの一般庶民なのに妙な見栄を張ってると食いっぱぐれるのでは?」
「この……」
「シュバリエ=ハーティ・ボッシュリードは、俺が討ちました」
「何?」
「だけど暗殺されたなんてどこにも公表されていない。その事実をあなたさえ知らないんだから、もう決定的なことでしょう」
「……となれば対策をしなければならぬか」
「良かった。そこにはちゃんと頭が回るみたいで。……多分、ミックはその点についてはまだあなたを信頼できていないけど、協力しないと絶対にうまくは行きません。お節介なくらいに、その件は口を挟んだ方がいいかと」
「分かっている。何様のつもりだ。……相手がどこの誰になるかは分からんが、この農園を力ずくで手に入れようとする勢力は必ず出る。戦など農夫どもには分からん領域だからな、このわたしの領地にあるのだからわたしが守ることは当然の務めだ」
「誰に対する? もう国王はいないのに」
「っ……」
「意地悪な言い方でしたね、すみません。でも少し安心できました。ミックのいいパートナーになってくれていそうで。……武力的な備えはあなたの領分になると思うので、そこに気をつけてもらえればと思っています。もっとも今の特権がなくなればこれまで抱えていた私兵なんかも繋ぎ止められなくなるとは思いますが、そこはあなたの手腕でいかようにもなるでしょうし」
痛いところをチクチクと言葉で刺されてジェンキンスは睨みつけるがセオフィラスはどこ吹く風で優雅に足を組んで座っている。暗殺だというのが本当であれば、とっくに討伐隊が出されるなり、また大掛かりな戦の準備などが始められるはずだというのにセオフィラスの態度にはそういった討手の存在が何も匂わない。ただ暗殺の下手人を始末するということさえ決められないほどの混乱、あるいは対局の見えていない権力闘争が行われているのだろうとは想像に易い。
そこからどう貴族達が動いていくのかについて目を光らせる必要性をジェンキンスは考える。
例えば――食料という餌をぶら下げて王殺しの下手人を捕えるための兵隊をかき集めること。このミック農園は格好の餌食になり得る。
「……頭の痛い話だ」
「良かったですね。これまでの波風立たないお貴族生活にはなかった類の刺激でしょう?」
またジェンキンスは軽口を叩いたセオフィラスを睨みつけた。




