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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期1 メリソスの悪魔
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王都へ ②


 ヘクスブルグの都が地平線の向こうへ見え始め、セオフィラスは得意そうにどんな場所なのかとゼノヴィオルに話し始めた。人がたくさんいることや、建物がどれもこれも大きいことや、港にはたくさんの船が並んでたくさんの荷物が溢れていること。


「ゼノにいっぱい教えてやるからな」

「……うん」


 兄として、精一杯に鼻を高くしたセオフィラスだったが、普段ならばもっと嬉しそうにするんじゃないかと少しゼノヴィオルの態度が不思議に思えた。実際、ゼノヴィオルの胸中は複雑だった。兄には内緒の離別がもうすぐそこまで迫っている。船へ乗ってグライアズローへ到着してしまったら、そこまでなのだ。


「お腹でも痛いのか?」

「ううん」

「……?」


 どこか変だとは思っても、セオフィラスには分かりようのないことだった。




 ヘクスブルグの大きな門をくぐり、馬車は港の方へ進路を取った。

 物流を担う大きな道が敷設されており、そこでは馬車が3台は横並びに進むことができる。すれ違う馬車はどれもたくさんの荷物を乗せていた。やがて潮の香りが漂ってきて、町並みが開けて大きな海が広がる。


「わあ……。キラキラしてるね、お兄様」

「まあな」

「ふふ……セオくんが誇ることではないでしょうに」

「うっ……」

「にしても船へ乗れるなんて、一生に一度あるかないかだと思ってたのになあ……。セオ坊ちゃんもゼノ坊ちゃんも、初めての船旅なんだから楽しんでくださいよ」

「うん! ヤコブくんもね」

「いや……俺は楽しむも何も……後ろのお嬢様がなあ……」


 その邪推は見事に的中し、ヤコブはベアトリスにこき使われることになった。グライアズローへ向かう船はクラウゼンが所有するもので、馬車ごと乗り込めてしまうものだ。しかし馬まで乗せれば海上で与える飼料も船に乗せざるをえなくなり、それは手間であるという理由で馬だけは残していくことになる。そんなわけで馬具を全て外したり、馬車そのものが船に揺られて勝手に動いたりしないようにしっかり固定したりとあれこれ指示をされて動かざるをえなかった。


 そうしてヤコブがあくせく働いていると、クラウゼンの船へ金髪の少年がふらりと乗り込んできた。


「はじめまして、皆さん……」


 どこか顔つきは陰気で、やや猫背気味。しかし表情に邪魔されてはいるものの、綺麗な顔立ちの少年だった。年頃は14、5歳といったところで品の良い服を着ている。


「わたしはサイモス・クラウゼン。ベアトリスの弟です」

「先生の……弟?」

「どうもはじめまして、サイモスくん。わたしはアトスです。セオくん、ゼノくん?」

「セオフィラス・アドリオンです」

「……ゼノヴィオル、です……」


 互いに簡潔な自己紹介をしたところで、ベアトリスが甲板へ戻ってきて弟の姿を認める。


「あら、サイモス。やっといらっしゃいましたの? 待ちくたびれましたわ」

「姉様……ご機嫌麗しゅう……」

「そのやる気のない挨拶は何かしら?」

「いえ、簡潔に自分のやる気というものを意思表明しようかと……」

「……絞めるわよ?」

「どうぞご自由に……。出戻り姉様に新たな不名誉が追加されるだけでしょうから」

「っ……」


 額に青筋を浮かび上がらせてからベアトリスは咳払いをした。


「セオフィラス、この不出来の弟があなたに継承の義における振る舞い方を教えます。船に乗っている間によく習っておきなさい。ただし、言動については一切、真似することを禁じます。以上。サイモスが来たのだからとっとと出港よ! きりきり働きなさい!」


 船員の方へ大股で歩いていきながらベアトリスは指示を出し始める。


「……あんな姉で申し訳ないです。苦労しているでしょう?」

「いえいえ。彼女は彼女で、素晴らしい才覚を持ち合わせた、逞しい女性だと思っていますよ」

「なるほど……。確かに姉上が快く思わなさそうな人ですね……」

「おや?」

「では……セオフィラス、というのはきみですか? 早いところ終えてしまいましょう。船室に来てください」

「はーい」


 ベアトリスの号令の下、慌ただしく船はヘクスブルグの港を離れて出港した。

 遠く、小さくなっていくヘクスブルグをゼノヴィオルは甲板からぼうっと眺めた。傍らにアトスが立ち、同じように大きかった都市が小さくなっていく様子を見守った。












「継承の義はこのボッシュリードにおいて、国王陛下より賜っている領地を別の者へ引き継ぐ際に行わなければならない儀式です。例外として継承の義を免除されるのは、領主の不慮の死などで一時的に領主行を代行する場合などに限られます。ですが、代行から代行へと引き継ぐことはできません。本来は前領主や、代行と、被継承者の2名で儀式をしなければならないのですが、きみの場合は事情が事情ですから、そうもできません。そこで、今回は不本意ながら……この僕が、代役として儀式に出てあげます」

「何でベアトリス先生じゃないの?」

「代役に女は出ちゃいけないと定められているからです」

「どうして?」

「考えてごらんよ。もし、それを認めたら世の中、姉上や、我が母上のような傲慢で不遜な女性ばかりが天下を取ってしまう。それは男として面白くないだろう? だから、そうして定めた人がいるのさ」

「……ふうん」

「ま、いいさ」


 船室でセオフィラスはサイモスから継承の義についての講義を受けている。

 軽薄そうなサイモスの態度では、とてもベアトリスの授業のような緊張感は持てない。セオフィラスはリラックスしきっている。


「それに儀式と言っても小難しいことをするわけではない。

 まずは領地を譲る側……今回は僕の役だが、陛下より領地とともに賜った剣を納める。それを受け取った陛下が、今度は跪いているきみに、その剣を与える。これを肩肘張って形式ばって神妙な顔でやるだけだからね」

「剣?」

「そう、正式にはインペリウムと言ってね。ボッシュリードの領主は全て、その剣とともに領地を与えられるんだ。剣は権力の象徴とも見られているから、これを一度、王に返還し、それから新たな領主にまた与える。そうすることで、領地も一緒に引き継げるっていうことなんだ。まあ、インペリウムなんて大層な呼び方をしちゃいるが、大したもんじゃない。物は切れないなまくらだし、刃渡りだって……そうだな、ぼくの肘から指先程度までのものだ。ちゃんと持ってきているんだろう?」

「知らない」

「……ま、姉上がそんなものを忘れるはずがないから、荷物に紛れてるさ。

 それじゃあ早速、実技といこうか。まずは右膝をついて頭を垂れるんだ。やってみて。ああそうそう、顔つきは神妙じゃなきゃいけないよ。そうだね……。もし、ちょっとでも笑ったら口の中に鋭いイガグリを放り込まれるものと思ってくれ」

「うわ、痛そう……」

「痛いのは嫌だろう? 引き締めるんだ、顔を。いいね」


 サイモスの講義は休憩を挟みながら数時間続き、夜を迎えたので2日目へ持ち越しとなった。

 ヘクスブルグからグライアズローにもっとも近いクーズブルグの港までは船で向かえば3日ほどで到着してしまう距離だ。途中にいくつかの港はあるが、今回は帰港せずまっすぐ向かうという旅程だった。ヘタに陸路を増やしても手間が増えるだけ、とベアトリスが割り切ったからだ。

 最近は山へ分け入れば山賊が、草原では追いはぎ紛いの野盗が出るという不安定な情勢である。だからとぼとぼと陸路で向かうよりも良いだろうと海路を選んだのだ。



「天気は快晴……。あとは向こうへ到着してから、ね……」


 ベアトリスは甲板から海を眺めながら呟いた。

 船旅も3日目となる。もうじきにグライアズロー最寄りの港へ到着する。


「先生」

「……あら、ゼノヴィオル。どうかしたのかしら?」

「グライアズローって、どんなところですか?」

「……王の住まう都。ボッシュリードでも最大の都市よ。ヘクスブルグよりも広いわ。建物の数だって、2、3倍はあるかも知れないわ。商業も発達しているけれど、それ以上に国中の貴族も集っているわ。グライアズローに設けられた評議会が王とともに国の全てを決定しているということは説明したわね」

「はい……」

「で、その評議会に選出されているメンバーの8割が貴族。彼らが暮らす邸宅もグライアズローに集まっているし、貴族でもないのに評議会へ選出されてしまうほどの財力を持った大商人だって住んでいますわ。彼らに楯突けば、アドリオンなんて鳥の羽根よりも軽やかに吹き飛ばされてしまいます」

「……クラウゼンは?」

「おーっほほほほっ! 我がクラウゼンは評議会に屈することはございいませんわ! むしろ、評議会へ選出されるための手助けをしたほどですから、味方が紛れているというような状況! だからこそ、ヘクスブルグはあれほどまでに育ったというものなのですわ!」


 勝ち誇ったように高笑いをしながらベアトリスが言うと、ゼノヴィオルが小さく拍手して彼女はさらに鼻を高くする。太鼓持ちというものをベアトリスは気に入っている。——自分がその役に回ることは絶対に許さないが。



「楽しいところはありますか?」

「そうね……。劇場もあるし、あなたが本当にお勉強が好きなら学校もありますわ。学校にはいくつかのランクがあって、大学というものがてっぺんですわ。その下に学園というところがありますから、あなたの場合は最初に家庭教師から基礎教養を学び、それから学園に通うことになるでしょう。そこで優秀な成績を修めれば今度は大学へ進む……という流れになるはずですわ」

「大学は聞いたことあるけど……学園って、どういうところなんですか?」

「わたくしも通ったわけではないから詳しくは知らないけれど……。でも、あなたが学者になりたいのならば、その目標のためにいくらでもがんばれる環境が揃っているはず……」


 ふとベアトリスが海から少年へ目を移して口をつぐんだ。

 ゼノヴィオルが自分の手の甲で何度も何度も目元を拭っていたのだ。


 男のものだろうが女のものだろうが、ベアトリスは涙を嫌う。だがこの時ばかりは静かにゼノヴィオルの肩を抱き寄せた。


 やがて水平線の向こうに陸地が見え始めた。もうすぐ兄弟に別れの時が訪れる。それをベアトリスは残酷なこととは思わないようにしている。いちいち誰かに同情をしていては、彼女は彼女ではいられない人間だという自覚があった。

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