王都グライアズローへ
「結構、待たされるものですね……」
「のんびり待てばいいよ」
「こちらでもやはり、スタブロスと名乗られるのですか?」
「んー、まあ、さすがに……? 本名じゃあ、ちょっとな」
グライアズローを取り囲む大きな壁の、大門で検閲がされている。
王都へ入るためのものらしく、その行列へ並んでからなかなかの時間が経ってしまっている。昼前に並んだはずなのに、もうすぐ夕暮れになりそうだった。セオフィラスは荷台で寝そべっており、そこへくっつくようにシャルルも昼寝をしている。最初こそただ列に並ぶということが退屈な様子で、そこら辺を走り回ったりして遊んでいたが、それにも飽きてセオフィラスのところへ戻ってきて、そのまま寝入ってしまっている。
「行列を無視して行くのは、馬車ばかりですね……」
「貴族の特権だろ。家の紋章が入ってる馬車だったら、身分なんてそれが保証する。だからそのまま王都に入れちゃう」
「紋章入りの馬車なんて、1台仕立てるだけで僕の実家みたいなとこじゃ干からびちゃいますけどね……」
「坊ちゃんと初めてこちらへ来た時はベアトリス様がご用意してくださった馬車に乗っていましたね」
「そうそう、継承の儀に行く途中でエミリオがいきなり襲ってきて……。そんで攫われちゃって」
「攫われた? えっ、セオフィラス様……えっ?」
「アトス様と兄が森へ向かって、ゼノ坊ちゃんがこっそりとその馬車へ潜り込んで行ってしまっていましたね。あの時は坊ちゃんのことばかりが心配で、ゼノ坊ちゃんのお側にいられず、帰ってきた時に初めて気がついて……顔から火が出るかと思ってしまいました」
「そうだったの?」
「あの、攫われたってくだり……えっ?」
「結局、エミリオも師匠にかかれば敵じゃなかったんだよな……」
「メリソスの悪魔退治ってセオフィラス様の武勇ですよね? 舞踏会で退治したとか何とか……」
「あの時も、ひやひやしていました。あらかじめ、わたしとゼノ坊ちゃんで別室に待機して、そこへベアトリス様がセオフィラス様がいると騙って、そこへ貴族を呼び寄せておいて、魔術で姿を隠して逃げなさいと指示をされましたが……ゼノ坊ちゃんは坊ちゃんの心配をされていて、わたしも心配はありましたが、ベアトリス様の狙いは、その部屋へ来た方のお顔でしたので、必死に隠れながらじっと人相を記憶しようと観察していました」
「裏でそんなことしてたんだ……。俺もう、ほとんど忘れちゃったな」
「僕の聞いてた話と、あんまりにも違いすぎる……」
何事も表と裏があるものだとカートは苦い顔をしてしまう。
セオフィラスの名が一躍、有名になった最初の武勇譚はメリソスの悪魔退治だ。当時、ほんの9歳でしかなかった少年が、父の領地を継ぐために王都へとやってきた。そこでメリソスの悪魔の悪行を知り、少年はメリソスの悪魔が拠点とする森へと乗り込んで、これを討伐する。
しかしメリソスの悪魔はしぶとくも生き延びており、絢爛豪華な舞踏会の場へ恩讐の化身として再びセオフィラスの前へと姿を現した。しかもセオフィラスが敬愛する、麗しの令嬢を人質に取ってしまう。絶体絶命かに思われたが、セオフィラスは見事にメリソスの悪魔を公衆の面前で退治をしてしまった。
それがカートの知る、小さな英雄セオフィラスの物語である。
だというのに、裏では主役であるはずのセオフィラスがメリソスの悪魔を下したのではなく、その師のアトスが倒しただとか、舞踏会の折ではすでに敵であるはずのメリソスの悪魔と通じていたとか、つくづくロマンというものから逸れたものだったらしい。
「あの舞踏会の後、すぐに王都を出ることとなりましたが、社交界からは連日、何十人と使者がやってきて招待をされてしまっていましたね。……全てベアトリス様のお屋敷の方がご対応されていましたが」
「それどころじゃなかったしね。ヤコブくんは重傷だったし、先生は舞踏会のための陰謀を巡らせてたし、ゼノは……」
「ゼノ坊ちゃんは坊ちゃんに怒られてしまって、ずっと塞ぎ込んでしまっていました。坊ちゃん以外は誰もが王都で坊ちゃん方がお別れをすると知っていたので見ていられませんでした」
「……バカだからな、あいつは」
深々とセオフィラスはため息を漏らし、シャルルの金色の癖っ毛を撫でた。
少しだけまた行列が進み、カートがジョルディの手綱を少しだけ引く。
「順番はもう少し……ですね。あと1組が進んだらようやく、僕らの順番です」
「貴族の放蕩息子で商売しようとしてるって設定でいっか。カートは俺の子分、カタリナは連れてきた女中、シャルは……シャルどうしよ」
「弟、とか?」
「でもあんまり似てないだろ」
「シャルルについては、そのままでよろしいのでは? 身寄りがない子を偶然、途中で拾って同行していると」
「それだ。変にひねることないよな。カート、分かった?」
「はい、かしこまりました」
「お前、そんな礼儀正しくするなって。子分って言ったろ? 何かこう……ヤコブくんくらいでいいって」
「ヤコブさんですか? ヤコブさんくらいと言われても……」
「カートさんは品があるので、それを薄めればよろしいのでは?」
「えっ、品? 僕、品がありますか?」
「そこまでではないけどな」
「それか、もっと粗野になるといいますか」
「粗野、ですか。というかカタリナさん、お兄さんなのに遠慮ないですね……」
「カタリナってさ、ヤコブくんにだけは当たりがちょっと強いんだよ。やっぱ兄妹だから?」
「ええ……。わたしなど、もともとが単なる農夫の娘ですので。お屋敷でお手伝いをさせていただくまでは正しい言葉遣いというものさえ知りませんでした」
「そう考えると……カタリナさんってすごいですよね。今や、一流の女中さんですし」
「いいえ、わたしなどとても……。卑しい生まれの女です」
「謙遜も完璧ときています、セオフィラス様」
「カタリナだからな」
「カタリナさんですものね」
「褒められている……認識でいいのでしょうか?」
「うん、すごく、ね」
「……お褒めに預かり光栄です、坊ちゃん」
そんなことを話してまた時間を潰していると、ようやく順番が回ってきた。
開放されている大門の左右に一組ずつに分かれ、そこで門番にグライアズロー訪問の理由や、身分の証明を求められたりするというほとんど形式的なものである。
あらかじめセオフィラスが決めた設定の通りにカートが説明をし、門番が積荷の確認を始める。セオフィラスが貯め込んだ財宝の類に彼らは目を見張ったが、それがでっち上げた設定の後押しにもなった。どこの貴族かということを詰められかけたが、セオフィラスが黙って小さな粒状の金を黙って押しつけるとそれで検閲は終わった。
牛の糞を都にばら撒かないようにとだけ注意をされて一行はようやく、当初の目的地であるグライアズローへと入ることとなった。
「いいんですか? あんな風な袖の下を使ってしまって……」
「全体からすりゃほんの一握り以下だ。別にいいだろ」
「いいんならいいんですけど……。では今夜はどこで泊まりましょう?」
「それだよな……。最悪、行動を起こした時にあんまり人を巻き込みたくない……。それと城へ乗り込むのに、どっか後腐れのない貴族の力を利用したいとこなんだけど」
「そんな都合のいい人がいるのでしょうか……?」
「それがいないんだよな……」
「坊ちゃん、マルクースク男爵はいかがでしょうか? 先ほど、少し話に出た……例の舞踏会の時に、ベアトリス様が築いた人脈です」
「ああ……。でも俺、直接の面識ってない――いや、でも、ゼノがそういえば……」
「ゼノ坊ちゃん?」
「ほら、前に俺がゼノを連れて帰っただろ? あの時、ゼノがおかしくなってて、ユーグランドを殺そうとしてたんだ。その時、ゼノがマルクースクと会ったって……。行ってみるか。カート、マルクースクの屋敷を探して向かって」
「はい、かしこまりました」
「あ、いや……屋敷より、自前の劇場に行った方が早いかも? 先にそっち行ってみるか。もし、観劇か何かやってればそれ見てる間にカートに探してもらえばいいし」
「僕もちょっと見たいです……」
「……まあ、それならそれでもいいし」
「いいんですかっ? じゃあ劇場ですね! 僕、劇なんて見たこともなくって……。人柄はともかく、劇場の主人ってところはマルクースク男爵は有名な方ですし、楽しみだな……」
そうしてカートはジョルディの手綱を引きながらマルクースクの劇場を目指して歩いた。
荷台からグライアズローの景色を眺めてセオフィラスは憂鬱そうに目を細める。それを見たカタリナは主の胸中に想像を巡らせてみたが分からなかった。そして、いつからこんな表情ができるようになったのだろうかと彼女は少しだけ考えた。




