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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
幼少期2 ベアトリス・クラウゼン
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二度目の喪失 ②



「おとうさんも、おかあさんも……しんじゃったんだよね……?」

「そうですね。オルガ殿も、ミナス殿と同じところへ逝ってしまいました。

 これからはセオくんが屋敷の皆さんや、ゼノくんや、レクサちゃんを守らなくてはなりません」

「……まもる?」

「はい。あなたのお父さんや、お母さんがしてきたことです。皆が笑顔で、元気に暮らせるように」


 2つ並んだ墓標の前で、師弟は静かに言葉を交わしている。

 アストラ歴439年、地節、中の月。アルブス村はずっと雪に閉ざされている。それでもセオフィラスはオルガの葬儀の翌日から、毎日、ずっと母の墓に通っていた。アトスも、何も言わずにセオフィラスが出かけていくと後をゆっくり歩いてついていくのだった。



「……どうしたら、まもれるの?」

「色々な方法がありますが、今は……大人になることが大事でしょう」

「おとな?」

「はい。きちんと勉強をして、ゼノくんとレクサちゃんを守って、自分のことは全部、自分でして。自分だけの手ではできないことは、適切に誰かを頼り、知恵や力を借りて」

「……うん」

「今日も冷えますね。そろそろ帰りましょうか?」

「……ううん、もう少し、いる」

「そうですか」


 また、雪が降り出した。

 墓標に積もった雪を手で落とし、セオフィラスはずっと、じっと、両親の墓を見つめた。




 屋敷へ戻ってきたセオフィラスは、すうっと鼻で息を吸って目を閉じた。

 それから、頭の中に父が屋敷へ帰ってきた時にどうしていたかを思い描く。


「おかえりなさいませ、セオ坊ちゃん」

「……いま、かえった」

「はい……?」


 セオフィラスに気づいた使用人が声をかけると、少年はきゅっと眉間にしわを寄せながら堂々とそう言ってから大股で屋敷を歩き出す。おや、とアトスは目を大きくする。


「どうかしたんですか、セオくん?」

「……まもる」

「そうですか。……でもね、セオくん」

「うん?」

「きみはまだ、子どもです。この屋敷では下から3番目に小さい存在です。

 だから、まだその言葉遣いはちょっと偉そうで鼻持ちならなくなってしまいます」

「ことばづかい……」

「ええ。以前、言ったと思うんですが……覚えていますかね?」

「…………おぼえて、い、ます」

「よくできました」

「……うん――あ、はい」


 父に続いて母まで亡くした少年は、この時になって初めて――自分が長男であることをおぼろげながらに理解した。そしてその自覚は純粋でまっすぐなものであり、少しずつではあったが、単なる貴族の少年という枠の外へと踏み出していくものだった。










 アストラ歴239年の春が迎えられた。

 セオフィラスは9歳になり、アルブス村にずっと降り積もっていた雪が溶けきった。


 セオフィラスの1日は規則的なものだ。

 日が昇るよりも早く起きて、ゼノヴィオルとともにアトスに散々にしごかれる。森の中を、それこそ縦横無尽に駆け回るのがウォーミングアップだ。木々を飛び移り、石ころを拾っては投石紐(スリング)を使って悪鬼羅刹のような恐ろしさで追いかけてくるアストに石を放って牽制をする。だが、どれだけ練習をしてもまともに一撃も与えることはできず、アトスにあっさり払いのけられる。


 だが、僅かにでも投石で注意を惹いてから己が逃げた方向を悟らせぬように行動を起こすのだ。

 時にゼノヴィオルと協力することもあったし、兄弟の一方が相手を囮にするということもあった。だが結局はアトスに見つかり、追いかけられる。追い迫られるとセオフィラスは木を削り出しただけの木剣で応戦に入るのだが、そちらの方がまともな相手にはなりようがなかった。瞬時に木剣を叩き落とされることもあったし、構えるよりも早く強烈な一撃を受けて立ち上がれなくされることもある。


 兄弟が疲労困憊で朝日が染み入る森の中で立ち上がれなくなって、初めてウォーミングアップは終わる。


「よろしいですか。戦いとは不安定なものです。想定外のことが次々と起きうるでしょう。何事も万全に備えを敷くのは正しいことですが、一度、戦いが始まればその備えが何の意味もなさないこともありますし、平時の何倍も速く体は疲弊していくことでしょう。――だからこそ息が上がり、腕も足も重く、何もできやしないという最悪のコンディションから、どのようにして戦うべきかという術を覚えるべきなのです。剣の振り方など覚えずにおいてけっこう、剣の技など習得しようとする方がおこがましいというもの。要するに、ここからが本番――ですよ」


 耳がタコになるほど、アトスはそう言ってまともに起き上がれずにいる兄弟に組み稽古をさせた。互いに握った木剣1本のみを振るって戦うのだ。その戦い方、剣の振り方などにアトスは何も文句をつけなかった。しかし、疲労のせいで足がもつれたり、打ち込みが甘かったりすれば烈火のごとく怒って指導をした。


 アトスに言わせれば、戦いとは体力であるのだ。

 基礎体力、体が備えた筋力――そういったものを養えてからが、本格的な剣の修行であると言う。


 その教えをセオフィラスは歯を食いしばりながら必死に体で覚え込もうとしていた。




 随分と日が高くなってから、ようやく朝稽古は終わる。

 屋敷へ帰り、軽食を詰め込んでからはベアトリスの授業の時間だった。

 ベアトリスが代行している領主としての仕事の合間に行われるもので、決まった時間にはなかなかできていなかったが1秒でも遅れようものならば翌日までの課題が5倍や10倍になるなどザラにあることだった。そのため、ベアトリスから使用人伝いに一言、「やるから来い」というようなニュアンスを聞くなり2人は大急ぎで屋敷を駆け出すのだった。


「さて、本日は貨幣制度における功罪の復習から始めます。セオフィラス、まずは貨幣制度がもたらした社会の変質について、昨日教えたことを端的にまとめて発表しなさい」

「はい……。貨幣制度は従来の物と物の交換……物々交換ではなしえなかった、大きな仕事を社会に生み出せるようになりました。貨幣は変質せず、かさばらないからです。……だから……えっと……と、都市の発展では、かけがえのないものになって……」

「もうけっこう。ゼノヴィオル、続きを」

「はい、先生。大勢の客人を迎えることで存続する都市の生活において、貨幣は欠かせないものです。食物と違っていつまでも劣化せず、それさえ持っていけば別の都市へ行っても生活を行えるためです。これによって人の行き来が広がり、都市間での大規模な交易が始められるようになりました。また、金銭で人を雇うことによって、それまでは作ることのできなかった巨大建造物の建立もできるようになりました。金銭という普遍に価値を持ち続ける存在によって、富の蓄積が可能になり、それらを散財することで絢爛な建物や像が作られるようになったからです」

「けっこうよ、ゼノヴィオル。セオフィラス、明日までに貨幣制度による問題点をまとめておきなさい」

「……はい」


 勉強はゼノヴィオルの方が得意だった。

 セオフィラスもがんばって理解しようと努めるものの、小難しくてなかなか理解が進まない。だがゼノヴィオルはベアトリスの教えをすんなり受け入れ、スポンジのように吸収して自分のものとしてしまう。



「算術というのは、繰り返せば繰り返すほどの速く、精確になっていくものです。

 さあ、早く解かないといつまでも食事の時間にはなりませんわよ」


 授業の最後には必ず、膨大な量の算術の問題が課された。

 1つずつは単純な四則演算だが、その量は決まって200問とされている。これを全て解かない限り、授業は終わらないのが恒例だった。しかも、よーいドンでセオフィラスとゼノヴィオルが問題を解き始め、後に残ってしまった方には追加で100問という罰まで設けられていた。――それでもセオフィラスの方が負けることの方が多かったが、たまに僅差でゼノヴィオルが遅れてしまうこともあった。



 昼食が終われば、早朝からの修行と、それに次ぐ勉強の疲れ。そしてようやくの昼食でお腹が満足したことによる強烈な眠気に襲われてしばしの昼寝時間となる。――のだが。


「せおにーさま」

「…………はいはい、遊んでほしいんだな……」


 3歳になろうとする妹のレクサがとことことやって来ては、構ってほしそうにするのでそうなれないこともままあった。




「いやしかし、出会ったころのセオくんと比べると……随分と大きくなりました」

「子どもの成長なんて早いものですわ」

「ええ、本当に。……ですが、それでもまだ……彼が領主として叙勲するというのは、どうしても早いのではないかと思ってしまいますね」


 屋敷の裏庭でレクサと遊んでやっているセオフィラスを遠目に、屋敷の中でアトスとベアトリスは言葉を交わす。


「あなたはこの問題については門外漢なのですから黙っておいでなさい。全てわたくしがきちんと考えていますわ」

「分かりました。……しかし、残酷な話です」

「……仕方のないことですわ。綺麗ごとでは生きていくことなどできないのですから」

「ええ……。分かっているつもりなのですが」



 アストラ歴439年、水節、下の月。

 アドリオンの屋敷に一通の手紙が届けられた。ミナスが亡くなり、代行を務めてきたオルガが死去した。そのことによる、アドリオンの新たな領主を取り決めるための通知であった。

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