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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
幼少期2 ベアトリス・クラウゼン
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二度目の喪失 ①



「……どうにか、今年の納税は無事に終えられましたわね」

「どうもありがとうございます、ベアトリス様。あなたがいらっしゃらねば、我々はどこの誰とも知らぬ輩に屋敷を追われていました」


 夕餉前の静かな時間だった。

 季節は移り変わり、風節となっている。風節の終わりが1年の終わり。新たな年を迎えるための最後の準備がようやく終わったところだった。ボッシュリードの全ての貴族が負う義務――ボッシュリード王への納税である。その手配が全て終わったのだ。


 かつてはミナスが使っていた執務室は、今はベアトリスが使っている。

 オルガは火節の終わりごろからさらに体調を崩し、今は声を出すことさえ億劫であるかのようだった。いつも使用人の誰かしらが様子を見に行ったし、セオフィラスとゼノヴィオルも何をするでもなく母のところへ行っては何か話しかけたりしていた。死期が近いのだろうとは誰の目にも明らかな弱り方であった。



 オルガが死去すれば、今度こそセオフィラスが領主として名乗りを上げなければならなくなる。オルガのように代行ではなく、正式な領主として、である。そのためには一度、ボッシュリードの王城まで行かなければならなかった。そこで継承の儀という叙任を受けなければ領主になることはできないのだ。


「……いつ、その時が訪れても良いように準備だけはしなくてはなりませんわね」

「それは……どちらのことです?」

「とぼけるのはおやめなさい。あなた、うだつは上がらなさそうだけど分かってはいるのでしょう?」


 たしなめられてガラシモスは俯きかけたが、ベアトリスに目を向けてから重々しく口を開いた。


「セオフィラス坊ちゃんが後を継ぐことになれば、まだ年齢的に幼くて監督者がつかねばならなくなるでしょう。監督者は血縁の年長者から選ぶというのが習わしですが、ミナス様の兄君は消息不明のまま何十年と経過していらっしゃいますし、オルガ様のご実家は……すでに取り潰されてしまっております。こういう場合はどのようにして監督者が選ばれるのでしょう?」

「本来であれば……監督者を用意できないのであれば後を継がせることを王がお許しになりませんわ。けれど血縁にない者でもそれなりの理由があれば監督者にすることはできます」

「ふむ……。つまり、ベアトリス様でも?」

「ええ、もちろん。それも見越してわたくしは来ているのですから。

 理由などいくらでもでっち上げられますし。アドリオンとクラウゼンは隣り合っている分、地理的にも補佐をするのに都合が良いとか、セオフィラスとエクトルが婚約者同士なのだから将来的には血族も同然であるだとか。この程度の理由で認めていただけることでしょう」


 胸のつかえがとれたかのようにガラシモスはほっと肩を降ろした。


「しかし」

「……?」


 続けられた言葉にガラシモスは小首を傾げる。


「話を聞いた限りでは、セオフィラスは白髭豚野郎に楯突いたとか」

「し、白髭、豚野郎……?」

「ユーグランド卿ですわ」

「ああ、なるほど……ハッ、し、失礼いたしまし――」

「別に構いやしませんわ。あの男が王の信頼厚い将であるというのは事実ですが、性根は豚より浅ましく下品な下衆です。いえ、豚の方が万倍も人のお役に立っているというものですわ。しらみ、うじ……それと同等、あるいはそれ以下とさえ言えてしまうほどにわたくしは嫌悪していますし」

「……そうでございますか」

「そんな男が、何の嫌がらせもなくセオフィラスを跡継ぎにすることを容認するかどうか……。それがわたくしの懸念です」

「し、しかし……いくら性格の悪い人間だとしても、そこまでするものでしょうか?」

「しますわ」


 即答されてガラシモスは押し黙る。


「貴族というのは、ただ一度の侮辱を末代まで持ち込むのですよ。

 それが一種の娯楽であるとさえ言ってもよろしいほどです」

「娯楽……ですか」

「ええ。特にあの腐れハゲデブネズミなら、ねちねちとやることでしょう」

「…………」

「以前、あの男がいないと思ってハゲだ、デブだ、王のご機嫌取りと人を死なせることだけが得意だ、などと言い合っていた貴族がいたそうです。それを聞きつけた男がユーグランド卿に告げ口をして……どうなったと思われます?」

「……領地の没収、などでしょうか……?」

「まさか。悪口を言い合っていた貴族2人の家から、家族と使用人、使用人の家族まで、全ての女、子どもを召し上げましたの」

「召し上げた……?」

「ええ。1歳にも満たぬ男児から、60近い老婆まで、全ての女と、全ての子を。そうしてユーグランドは彼女達を屋敷の地下室に監禁して、歪んだ慰みものにしたそうです。犯し、嬲り、笑いながら殺したのだとか。死んだ者の目玉や、乳房、性器、手や足……どこか一部を綺麗に梱包して、誰か死ぬ度、その貴族達のところへ贈らせたそうです」

「っ……」


 吐き気を催したガラシモスは反射的に口を抑えたが、どうにかこらえきった。


「最年少だった赤子など、全身の皮を剥がれた状態で――」


 とうとう、ガラシモスが我慢できなくなって慌てて執務室を出ていく。ベアトリスは肩をすくめた。少ししてから青い顔でげっそりしたガラシモスが戻ってくる。


「とにかく、ユーグランドというのはそういう最低最悪の男なのですわ」

「ええ……まさしく、吐き気のする、唾棄すべき男のようです……」

「それから哀れな貴族達は――」

「け、けっこうでございます、ベアトリス様! 詳細については、もう、けっこうでございますので……」

「あら、そう?」


 涼やかにベアトリスは笑みを浮かべる。

 ガラシモスは噴き出してしまった嫌な汗をハンカチで拭った。


「……そういうわけだから、何をされるかは分からないわ」

「聡明なるあなたならば……何か、対策の一手を打てるのでは?」

「打てなくはないけれど、それは最悪を回避するための、あなた達にとっては悲しむ手になりますわよ? 最悪手前というだけで、いつ、どうなるかも分からないものですし」

「そ、その手段というのは……?」

「……こちらから、先にユーグランドへ人質を送ってしまうのです」

「な……!?」

「そうすることで恭順を示し、プライドをやさしく撫でつけて最悪だけ(、、)は回避する……。人質というより、生贄とした方が近い表現でしょうね。そして、この手を使うのであれば……今、この屋敷では2人だけしか、その役をするのに必要な条件を満たせない。さらに言うのであれば、その2名の内、1名は幼すぎて(、、、、)除外するほかないでしょう」

「そ、そんな……しかし、ベアトリス様。そ、それでは……」

「いずれは恨むでしょう、この決断を。その時、生贄にされた相手は十中八九――セオフィラスへ憎しみを向ける。自分に苦しみを押しつけ、のうのうと領主になったのだと」


 苦悶に歪んだガラシモスの表情をベアトリスは静かに見据えている。


「……それでも、この手を使えばユーグランド卿の狂った嗜虐心をこちらへ向けさせずにおけるでしょう。ヘタな手出しもしてこなくなる」

「……残酷な発想でございます」

「ええ、そうね」

「そのような事態にならぬことを祈るしか、わたしには――」


 その時、執務室の扉が強く開け放たれた。

 駆け込んできたのはカタリナだ。息を切らし、ガラシモスへ目を向ける。


「オルガ様が……危険な状態に」

「!」



 屋敷中の人間が、オルガの部屋へ詰めかけていった。

 不安そうな顔でベッドを囲む兄弟がいた。いよいよかと覚悟を固める使用人がいた。これからを想像して悲嘆に暮れる者もいた。



「セオ、ゼノ……。あなた達は、兄弟なんですから……お互いに、助け合うんですよ。

 セオはお兄さんなんだから……ゼノと、レクサを守ってあげてね。

 ゼノ、あなたはとってもやさしくて、賢い子だから……セオと、エクトルのことを助けてあげてね。

 レクサ……ずっと、かわいい、いい子でいてね……」


 オルガは3人の子ども達を撫でた。

 喋るのも苦しげで、しかし彼女は口を閉ざそうとしなかった。


「ガラシモス……今まで……ありがとう……。これからも、子ども達をお願いしますね……。

 カタリナ……。あなたは早く……素敵な方を見つけてね。きっといい人が現れるから……。あと、ヤコブにも、あなたのお陰で楽しかったって伝えてちょうだい……」


 それからオルガは使用人の1人ずつに感謝の言葉を口にしていく。

 そして――。


「ベアトリスさん……。ごめんなさいね、あなたに……全部、放り投げちゃうことになるわ……」

「よろしくてよ。アドリオンのことも、あなたの子ども達のことも、わたくしにお任せして、天国でゆっくりご覧になっていてください」

「ありがとう……。それから……アトスさん」

「……はい。何でしょうか?」

「きっと……あなたが、あの時に訪れたのは……何かの導きよね……。セオや、皆のことを、お願いします」

「ええ、必ず。わたしの方こそ、ありがとうございます」


 別れの言葉が済むと、オルガは目を閉じた。


「おかあさん……」

「おかあ、さぁん……やだぁ……おかあさぁん……」


 また、父のように母が帰ってこない存在になる――そういう直感はセオフィラスとゼノヴィオルにも働いていた。だから、何度も母を呼んで、手を握った。しかし、もう二度とオルガは目を開くことはなかった。


 初雪の降った夜だった。

 風節は終わりかけで、アルブス村は厳しい冷え込みに襲われている。


 アストラ歴438年、風節下の月。

 オルガ・アドリオンは家族と使用人達に看取られてこの世を去った。



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