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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
青年期1 それぞれの旅路
213/279

国境を越えて


 ごとごととジョルディの牽く荷車はゆっくり進む。

 その上でカタリナはシャルルとともに揺られている。

 朝早くに出発し、もう、じきに正午を迎えようとしていた。


「そろそろ国境だ。荒っぽくなる可能性もあるから、カタリナ、シャルのこと頼んだ」

「はい。具体的にはどのように国境を越えるのでしょう?」

「袖の下。ちょっとの蓄えはあるから、それを使って通してもらうのが第一の作戦。それが通じなかったら強行突破。クラウゼンとの国境に砦があるけど、これは外側からの守りに強いだけで内側からは弱いから」

「分かりました」

「じきに着くけど荷台を降りないで。俺が交渉する」


 やがて岩山の一部を掘削して建造されたオーバエル国境要塞に到着する。

 ボッシュリードを崩壊させるとセオフィラスがカタリナに告げてから2日が経っていた。

 翌日にセオフィラスは根無し草の生活で溜め込んだ私財を整理して旅支度を整えた。北部浄化政策を利用して貯め込んだ金は個人の資産としてはそれなりだった。

 捕まえて突き出した悪党が溜め込んでいた財宝の類を勝手にもらっていたのだから当然である。しかしケチな金銭欲からそうしていたわけではない。自分が生きている理由がシャルルとジョルディのみであったため、自分がずっと長生きして守ろうという気がなかった。だからせめて財産を残しておけばどうにかできるだろうと考えていたのだ。

 だが、その財産を築き上げることをもう放棄した。


「止まれ。ここより先はグラッドストーン軍の管轄地。この先は国境地帯である」


 要塞の入口に近づいたところで、見張りのための高い櫓の上から声をかけられた。ジョルディを止めてセオフィラスは荷台から銀貨の詰まった袋を掴んで降りる。


「何者だ。何のためにここへ近づいた?」


 要塞の中から2人の衛兵が出てきてセオフィラスに槍を向けながら問いかける。

 分かりやすく見えるよう、セオフィラスは袋を前へ出す。


「ここを通してほしい。商人だ」

「商人だと?」

「頼むよ、兵隊さん。知ってるだろ、北部浄化政策。黄金の輸送道が整備されるって話。そこに食い込もうとしたけど、見ての通りのまだまだ力不足な商売しかできていないから、一発逆転を狙って、向こう側(クラウゼン)で金儲けできないかなって思ってさ。……この日のために、溜め込んだんだ。頼むよ」


 そう言いながらセオフィラスは槍が少し下がった衛兵に近づいて袋を押しつけるように渡して目配せをする。ちらと袋を渡された衛兵はその口から中を覗いて、隣の同僚と視線を交わした。


「通してやってもいいが、この要塞を抜ければ戻ることも容易くはないぞ? それに、この要塞を超えれば今度は話の通じない連中が国境地帯を見張っている」

「どうにかするよ。賭けに出なきゃ儲けられない。そうだろ?」

「命知らずの小僧だな」

「よく言われる。――で、通してもらえる?」

「……通り抜けている間、何か言われても知らん。ここは入れてやる」

「分かった。ありがとう」


 ジョルディの手綱を取ってセオフィラスは要塞の中へ入った。

 内向きの門はそう堅牢なものではなかったが、外向きの――クラウゼン側の壁は高く分厚いものになっていた。高く高く石を積み上げ固めた壁だ。内側から補修されている痕跡も見て取れる。

 幾度となくこの壁を攻めたボッシュリードとの戦いが想起される。

 もしも、この壁が脆弱であったならば、あるいはまだ父は健在だったのではないかということを夢想してから自嘲した。


「坊ちゃん、大丈夫ですか?」

「何が? 平気だよ。……シャル、この壁は守るためのものだ。この壁が壊れたら、敵が押し寄せてきてしまうことになる。すごいだろ? けっこう立派な造りだから覚えとけ。こういった壁には落とし格子っていう戸があって、それで入口の門を塞いでる。開くところこそ、滅多に拝めないぞ」


 きょろきょろと周りを見ていたシャルルにそう声をかけながらセオフィラスはまっすぐ要塞の中を進む。中にいた兵に奇異の目を向けられることはあったが、それを無視して堂々とセオフィラスは手綱を引きながら歩いた。

 止めようとしてくる者がいれば袖の下を使わざるをえない。最低でも二度の袖の下が必要と考えていた。内側の門番と、外側の門番である。そして内側は容易だろうが、外側の門番には通じない可能性も想定をしていた。


「止まれ。ここを通行しようというのか?」

「ええ。そうです。入口の兵隊さんには許可を得ましたよ。通って良いと」


 落とし格子が見えたが、やはりそこには衛兵がいた。

 通行止めをするように立ちはだかれてセオフィラスは敵意を見せぬようにこやかに応対する。しかし、相手の兵は眉を吊り上げる。


「どんな会話をしたか知らんが、ここを通って良いと判断できる方は限られている。そして、彼らは決して警衛などはせん。立ち去れ」

「話が違いますね……。お願いします。ここを通らなければいけないのです」

「ならん」

「……どうしても、いけませんか?」


 食い下がりながらセオフィラスは荷車に乗せていた、2つ目の銀貨を詰めた袋を持ち上げた。軽く振って、銀貨同士がこすれる――しかし詰め込まれているだけに鈍い音を聞かせる。


「クラウゼンのスパイか?」

「まさか。ただの商人です。黄金の輸送道にあやかりたいのですが、国内ではもう食い込む隙間がありませんので、あっちで商売をしてみようかと。ただそれだけですよ。だから、お願いします。ね?」


 袋を渡そうと近づいたセオフィラスは槍を向けて牽制され、足を止めた。

 袖の下はやはり通じなかったらしいと悟り、その場で困り顔をして見せる。


「次はないぞ。立ち去れ。でなければ積荷もろとも接収し、身ぐるみを剥いで放り出す」

「分かりました……」


 背を向けながらセオフィラスは荷台に袋をそっと置いて、目だけカタリナを見た。顔色を変えずにカタリナは主の目を見つめる。そして、袋の代わりに剣を取ってセオフィラスは仕掛けた。

 いきなり剣を振り上げたセオフィラスに門番は目を剥いたが、日頃の鍛錬の成果を発揮して槍を繰り出した。体に染み込ませた鮮烈な一突きであったが、槍の竿が半ばから断ち切られてしまってセオフィラスに刃は届かなかった。


「速――」

「大人しく金を受け取れば良かったのに」


 瞬時に槍を切断されて瞠目した門番はすかさず踏み込んできたセオフィラスの目に恐怖したが、幸か不幸か、それ以上の感情はもう抱くことなかった。首を斬り上げられ、ぱくりと割れたそこから血を噴出させながら仰向けに倒れて死んでいった。


「坊ちゃん、落とし格子はどうなさ――」


 ヨエル仕込みの護身術のため、カタリナが弓矢を取りながら指示を仰ごうとセオフィラスを見る。落とし格子が閉ざされたままでは要塞内の兵の物量によってやられかねない。どうにかして出口を確保する必要があり、その段取りを彼女は知りたかった。――のだが、段取りなどは不要であった。

 門番を斬り殺したセオフィラスはそのまま落とし格子へ迫り、剣を三度閃かせた。激しい金属音が轟いたかと思えばガシャンと音を立てて切り取られた鋼鉄の格子が重力に引かれ落ちてしまう。


「ジョルディ、走れ!」

「ブモォォッ!」


 セオフィラスの声にジョルディが雄々しく応えて走り出す。

 異変を察知した兵が集まろうとしていたが、彼らは壁の向こうに敵を見ていなかったために気を緩めすぎてしまっていた。駆けだしたジョルディの荷車へセオフィラスは跳び乗り、そのまま商人を騙った少年とその連れを通してしまっていた。

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