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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
青年期1 それぞれの旅路
211/279

カタリナとの再会 ①


「すみません、スタブロスという方をお見掛けしませんでしたか?」

「またあんたかい? この前も同じこと言ってきたよな?」

「失礼しました」


 オーバエルでもう6日もカタリナは聞き込みを続けている。

 朝から晩までずっと、街中を練り歩くようにしながら尋ねているが、本名ではない通称を知られているに過ぎないということしか判明はしていなかった。顔も、住まいも、知られてはいない。

 何も手がかりは掴めないまま時間だけが過ぎていく。

 それがカタリナを焦らせている。

 あるいはオーバエルから遠ざかって、よそに行ってしまったのではないだろうかとまで彼女は考えた。


「どこへ、いらっしゃるのです……坊ちゃん……」


 宛てもなくオーバエルの街を歩きながらカタリナはどこかに探し人の姿がないからと目を動かし続ける。

 たまに黒髪の人物を見かけて顔を注視するが、やはり別人だった。


 そうして歩き通して、だんだんと日が暮れていく。

 今日もやはり再会は果たせないだろうかと諦めかけながら宿へ引き返そうとした時、露店にまた黒髪の人物を見つけた。しかし、その後ろ姿だけを見せる人物は小さな子と手を繋いでいる。また他人だろうかと思いながら、淡い期待を寄せてそっと近づいて息を飲んだ。


「よし、シャル。これならぴったりだな。本当にすぐ背が伸びて……。お前の服だけでいくら金があればいいか……」


 並べられていた古着を買い取った男にカタリナは近づく。

 雑踏で人にぶつかったが、普段の彼女らしくなく構わずにずんずんと歩いた。


「もう1着くらいあった方がいいよな。どれがいい? これか? ……こっちとか?」

「…………」


 子供用の小さな服を見せながら、彼は尋ねるが、本人は首を捻っている。すると、男の方も首をひねってしまう。


「何でもいっか? こだわりとかないしな?」

「…………」

「え、あるの? じゃあどれがいいんだよ?」


 首を左右に振られて男が別の服を手にして見せているが、男の子は気に入らないのか、ピンとこないのか、体ごと傾けるように首をひねる。


「だったら、こっち――」

「お言葉ながら、少し大きなサイズのものをお選びになった方がよろしいかと。体にきちんと合わせたものを用意しては、いくら買い替えてもこの年頃の子ですと足りなくなってしまいますので」


 そう声をかけると男が顔を上げ、わずかに目を大きくした。

 カタリナは露店の狭いスペースに出されていた子供服をザっと眺めてから、汚れの目立ちにくいこげ茶色のシャツを手に取って、男の子の前で膝を折ってしゃがみながら肩に合わせる。


「これなどはいかがでしょうか? 少し大きいですが、色合いからして汚れもそう目立たなさそうですので、長く着用していても大丈夫かと思われます」

「……カタリナ」

「シャルル、どうですか?」

「…………」


 いきなり自分の体にシャツを合わせられた少年も、男と同様に目を丸くして驚いた顔をしていたが、いきなりカタリナの胸へ飛び込むようにしてしがみつく。そっとシャルルの頭を撫でてからカタリナは立ち上がり、手にしていた服を畳んだ。


「こちらをいただけますか?」

「あいよ、まいど」

「お久しぶりです、坊ちゃん。カタリナ、ただいま、あなたの下へ戻りました。……長期のご不在、面目ございません」

「……坊ちゃんは、よせ」

「……坊ちゃんはずっと、わたしの坊ちゃんです。お探ししました。ご無事で、嬉しゅうございます」


 カタリナはあまり笑みを見せない。使用人としての教育を素直に受けて、喜怒哀楽をあまり見せず淡々と仕事をするようにと教わったためだ。

 そのカタリナが、うっすらと目に涙をためながら微笑んだのをセオフィラスはただただ意外に思いながら受け取った。




 何を話せば良いものか分からずに時間は過ぎた。

 オーバエルでの買い物を済ませて森の中へ戻ってくると、カタリナは荷台に座してセオフィラスと相対したまま動かなかった。セオフィラスも胡坐をかいて座ったまま、何も言えずに黙ってしまっている。


「…………」


 1人で遊んでいたシャルルが飽きた様子で戻ってきて、ただ黙って座っている2人を奇妙そうに見る。何となく、シャルルの年でも邪魔してはいけないような雰囲気は感じ取れた。だが、あまり遠慮をしない性格の子でもあった。

 おもむろにシャルルはカタリナの前に来て、シャツの下から先日もらったばかりのリングを取り出して見せる。自慢するかのようににこっと笑みを浮かべたシャルルにカタリナも笑みを少しこぼして、シャルルを自分の膝へ乗せてお腹へ片手を回して、手櫛で少年の髪をすく。


「散髪した方が良いかも知れませんね。シャルルも、坊ちゃんも」

「……前、切ってやったら失敗して、それから嫌がられるからそのままにしてた」

「ではわたしが。散髪は得意ですから」

「知ってるよ。皆、カタリナに切ってもらってた」

「はい。シャルル、後で髪の毛を切ります。わたしは上手なので、任せてくれますか?」

「…………」

「そんな顔をしないでください。大丈夫ですから」

「……カタリナ、俺は――」

「ハサミはございますか?」

「……ある。確か、この辺りに……」


 何かをちゃんと話そうという気持ちは、そのまま流れてしまった。

 シャルルの散髪をしてから、セオフィラスもカタリナに髪を切ってもらった。長いこと切っていなかった。鬱陶しいことはあったが我慢していたので、散髪を終えるとサッパリした心地がした。

 髪を切っている時のカタリナのやさしい手つきは何も変わっていなかった。


「坊ちゃんの髪は昔から硬くて、すぐにツンツンになってしまいましたね」

「うん……」

「同じご兄妹なのに、ゼノ坊ちゃんやレクサお嬢様の髪は不思議と柔らかい方で……。セオ坊ちゃんだけ、髪質はオルガ様に似たのでしょうね」

「そうなの?」

「ええ。一度だけ、オルガ様の散髪をさせていただいたことがありましたので覚えています」

「そっか。俺は知らなかった……」

「無理もありません。……お食事は、どうなさっているのですか?」

「適当に作ってる」

「では今日はわたしがやりますね」

「……うん」


 カタリナの手際は良かった。そつなく、何でもできてしまうのがカタリナだ。地頭が良い。要領よく仕事をこなすので屋敷の誰からも信頼をされていた。

 だが不思議と兄妹であるはずのヤコブはそうではなかったとセオフィラスは思い出す。畑を耕したり、日曜大工をしたりというのは得意だったが、苦手なことはとことん苦手だった。

 そんな昔の懐かしいことを思い出しながらセオフィラスはカタリナが料理をするのを眺めた。


「ヤコブくんのこと、何か思い出した……。カタリナの顔を見たからかな」

「たまに思い出してやってください。屋敷から家へ帰ってきても、ずっと坊ちゃん方のことばかり話していたんです。それ以外に話題がないという感じで。……ミナス様に初めて稽古をつけていただいた時、兄はアルブスを自分が守るんだととても張り切っていました。筋が良いと褒められたのがよほど嬉しかったようで。でも……それまで、兄はあんまり、アルブスが好きではなかったようだったんです」

「そうなの?」

「ええ。両親も、兄もわたしも、アルブスの生まれではありませんでしたから。よそ者だったんです。けれどミナス様が良くしてくださって……小さいころの兄は、ミナス様のその庇護が、あまり嬉しくはなかったのだと思います。子どもの癖して妙なプライドがあったというか、両親が弱者に思えてしまうことが受け入れがたかった……のだと今になると思います」

「……そう。ヤコブくんが……」

「けれど、少し褒められたくらいでその気になって浮かれるのが兄らしいと言いますか」

「確かに、ヤコブくんっぽい」

「セオ坊ちゃんがお生まれになってから、兄はずっと、わたしに尋ねてきました。今日は坊ちゃんはおっぱいをちゃんと飲めたかとか、熱を出していないかとか、遊び相手が欲しくなってきたんじゃないかとか。毎日、毎日、坊ちゃんのことばかり……。でも本当に、赤ちゃんのころの坊ちゃんはとてもかわいらしくて、わたしが家に帰ると兄はもちろん、母も父も、坊ちゃんの様子はどうかと尋ねてきていました」

「大袈裟すぎだよ、それは」

「そうかも知れませんね。……それからすぐ、ゼノ坊ちゃんがお生まれになって、レクサお嬢様が生まれて……アトス様がいらっしゃって。アトス様の修行は毎日、坊ちゃんがげっそりしてお屋敷にお戻りになるので正直不安でした」

「今になって思うと、師匠はちゃんと考えていたよ。こっちの体力の限界ギリギリをちゃんと見計らって切り上げてくれてた。それまでは容赦なく追い立ててきてたけど」

「ええ、さすがはアトス様としか言えませんね」


 食事を摂りながら、食事を終えても、セオフィラスはカタリナと昔話を続けた。

 だがずっと、セオフィラスが小さかったころの話ばかりだった。セオフィラスの知らなかった両親のことや、カタリナの家族のことをたくさんカタリナに聞かされて、ただ心地良い懐かしさで胸が満ちた。

 やがてシャルルがカタリナの膝を枕にして眠ってしまった。焚火に薪を投げ込んでから、セオフィラスは荷台を寝られるよう整えてシャルルを運んでそこに寝かせる。


「そろそろ休みましょうか、坊ちゃん。あまり夜更かしをしても体にさわるかも知れません」

「……それもいいけど、カタリナ。いい加減、子どもでもない。話をしよう」

「……よろしいのですか?」


 尋ねられ、セオフィラスは胸を衝かれたような心地がした。

 それからカタリナらしいと思って、肩を落として座り直す。カタリナに隠し事はできない。何だってお見通しにされてしまう。思い返せばカタリナはいつも、胸が痛い時に慰めてくれていた。


「いいよ。……カタリナ、ありがとう」

「いえ、礼には及びません。何から話せば良いか……」

「じゃあ、俺から話す。それから、カタリナの話を聞かせて」

「分かりました」

「……使節団を送り出してからのことをかいつまんで話すよ」

「はい」


 長い夜になった。

 淡々とセオフィラスは自分の知り得ることを時系列順に語った。

 ひとしきりセオフィラスの話が終わると、カタリナが珍しく眠そうになっているのを見て、彼女の話はまた今度と言って休むよう促した。

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