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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期11 月に吼える
201/279

エクトル奪還 ②


「エクトル様っ、ご無事ですか!」

「ちょっと、一体何なのですか、この騒ぎはっ?」


 ほぼ同時に衛兵と使用人とが部屋に入ってきてエクトルは窓に寄って見ていた火の手から彼らを振り返った。


「何者かが押し入ろうとしているのです。館まで放火される可能性がありますから、表へ」

「まあ、すぐに皆を起こしてきます」

「エクトル様も、我々とともに!」


 衛兵が近づいて手を掴もうとしたのを反射的に振り払い、エクトルは衛兵の腰の剣を引っ張るように抜いてガラス戸を開け放って外へ出た。そうして衛兵に剣を向けたまま距離を取るように下がる。


「何を……!」

「お世話になりました。皆さんの献身、感謝しています。

 しかしわたくしはセオフィラス様の妻、アドリオンの妃です。

 このままお見逃しください、悪戯に傷つく姿を見たくはありません」


 剣を持つなどエクトルには初めてだった。

 想像以上に重い武器を両手でしっかり握っても、ふるふると剣は震えてしまう。


「エクトル様、危のうございますからおやめください!」

「いいえ、きっと訪れたのはわたくしの連れの方のはずです。

 わたくしはもうここにはいられないのです」

「……エクトル様、失礼を、します!」

「へっ、きゃっ!」


 剣を取られた衛兵が大きく床を踏みながらエクトルに迫った。

 へっぴり腰で構えられた剣、それも少女の細腕。そんなものではとても鍛えられた兵にとって脅威にはなれなかった。迫るとエクトルは身を竦ませ、その拍子に剣を上げてしまう。そこへ衛兵は入り込んでエクトルの手を掴んで剣をもぎ取って捨てさせ、抑え込むように羽交い絞めにしてしまう。


「さあ、エクトル様、避難を――ふぐぅっ!?」


 衛兵の最大のミスは、羽交い絞めにしてしまったことだった。

 クラウゼンの淑女の嗜みは、暴漢に襲われた場合や、人質にされてしまった場合の護身術まで網羅をしている。エクトルは衛兵の顎へ自分の後頭部を打ちつけ、怯んだところで一気に手首を掴み、足を刈り取ってその場で文字通りに蹴落とした。

 突然の襲撃で慌てて駆けつけた衛兵は鎧こそ身につけていても、兜はつけてはいなかった。顎をやられ、体勢を崩されて後頭部から落とされて呻きながら起き上がれなくなってしまう。


「これにて失礼いたします!」


 すぐにエクトルは裸足で外へと駆け出した。

 火の手が見える方へと屋敷を回り込んで正面まで向かうと、今まさにヨエルが入口を固めていた衛兵の6人目を切り倒したところだった。


「ヨエルさん!」

「っ――エクトルっ、無事だったか! すぐに逃げる!」

「はいっ!」

「ともかく、見つけられたのは良かった。すぐ追いかけられないよう、この屋敷も燃やして……!」


 ヨエルが背中の矢筒へ手を伸ばしたのを見て、エクトルは駆け寄ってその手を止める。


「中はお世話になったやさしい使用人の方がいらっしゃいます。これ以上の火はおやめになっていただけませんか?」

「だが――」

「お願いします、ヨエルさん」

「分かった、そこまで言うなら。走ってくれ。俺は後ろからついて行く!」

「はい!」


 剣を納めてヨエルは弓に持ち替えた。

 林の中を整備した道をエクトルは必死に走る。しかしすぐ、足を何かで切った痛みがして、足をもつれさせる。


「大丈夫か!」

「ええ、大丈夫で――痛っ……」

「見せろ。……走るのは難しいな。俺が背負う」

「しかし……」

「大丈夫だ」


 踵に近いところがざっくりと切れてしまっているのを見てヨエルはエクトルを背負って走り出したが、すぐに衛兵が追いかけてきた。エクトルを背負っていては弓で足止めをしたり、剣を交えることもできずにただ速度を上げて振り切ろうとするしかできなかった。

 加えてジュリアスが直々に選んで衛兵として回された兵達はこういう状況を想定して準備をしていた。もうすぐ林を抜けるかという時、その道の先に兵が先回りをしていた。林の中に隠されていた馬防柵を持ち出して道を塞ぎ、木々の中にも目に見えるブービートラップが仕掛けられている。


「クソ……! 挟み撃ちか、小賢しい!」

「護身術程度なら心得があります、一度下ろしてください!」


 足を止めたヨエルからエクトルはやや強引に降りて背中を木につけて身構える。


「すぐに片づける! 周囲を警戒してくれ、特に背後だ。背中の木のさらに裏から忍び寄ってくることもある!」


 即座にヨエルは飛び出し、人数が多い追手の方へ斬りかかった。

 衛兵はすでにヨエルの強さを目の当たりにしていたから、同時に挑むことをしなかった。

 まるで稽古でもするかのように列を成して、1人ずつ順番にヨエルへ挑んでいく。密集さえしなければ同時に倒されるということはなく、その分だけ時間をかけさせることができるという考えだった。

 これもジュリアスが教え込んだ策の1つだ。隔絶された力を持つ――三式の使い手に多人数でかかるのは愚の骨頂という教えだ。同時に何十人と薙ぎ倒されては士気が下がる、人数が減っていく。だが1人ずつかかれば最終的に同じ数の人間が倒れたとしても、相手の体力は確実に減らすことができ、手の空いている者が別の行動をすることさえできる、と。――奪還すべき対象に人員を割いたり、あるいは弓矢による支援攻撃をするといった具合に。


(こいつら、強くはない、強くはないのに――やりづらい。

 これもジュリアスの練兵の成果だっていうのか?)


 慎重に距離を取りながら、ヒットアンドアウェイによる戦闘などは決して、多人数で戦う兵のやり方ではない。だがそれを実践することで安易に倒されまいとしている。

 施された訓練の賜物だとヨエルは直感していた。そしてそんな練兵をしたのは、ジュリアスだろうとも確信した。

 伊達にテラ・メリタで情報収集をしていたわけではない。

 ジュリアス・カール・グラッドストーンという英雄は武力のみならず、指揮官として、軍を率いる将として様々な逸話を残しているのだ。


「だが――敵ではない!」


 距離を取ろうと相手が後ろへ下がった瞬間、ヨエルが弓を構えて矢を番えた。見事な早撃ちで相手の眉間を射抜き、さらに連射してその後ろにいた兵をも即座に射殺す。

 振り返るとエクトルに正面、そして気の後ろから2人の兵が迫っていた。正面の兵が陽動しているようでエクトルは背後に迫ってくる兵に気づいてはいない。


「エクトル、後ろのやつに気をつけろ!」

「へっ――?」


 声をかけられてエクトルは振り返り、正面に迫っていた兵はヨエルが駆けこんで一気に切り倒す。鎖骨から脇腹までを一気に切り裂かれて臓物を散らしながら兵は倒れる。

 背後に迫っていた兵もエクトルに振り返られると、傷つけることができないという立場から怯んでしまっていた。それを見逃さずに彼女はさっと木から離れる。その瞬間、ヨエルがエクトルのいたところへ割って入るように駆けこんで思い切り剣を突き刺した。


「よし……さすがに、もう出てはこないだろう」

「え、ええ……」


 追手も、先回りしていた衛兵も、全てヨエルが殺していた。

 軟禁中ほとんど部屋を出なかったエクトルだが、たまに顔を合わせると挨拶をしてくるような衛兵は何人もいて、彼らもまた親切だった。しかし立場が違ったがゆえに対峙することとなって命を落とした。


「……」

「エクトル? 大丈夫か? 足が痛むとか?」

「い、いえ……」

「急ごう、ここからは時間との戦いになる」

「はい……」


 手を取られてエクトルは傷ついた足を庇うようにしながらゆっくり歩き出す。

 途中、振り返りそうになって彼女は足を止めたが、ぐっとこらえて前を向いた。

 ずっと帰りたいと願い、誰かが助けに来てくれることは望んでいた。しかし人が死ぬということにまで考えを向けてはいなかった。

 戦うための職業についている人間であっても、それが仕事であるからと悼まぬわけにはいかない。

 せめて顔も名前も知らない相手であったならばと彼女は思った。なまじ、凛々しく背筋を伸ばして立つ姿を、顔を合わせた時にかけてきた言葉を知っているからこそ、彼らの死に臓腑が震えてしまった。


「ん……?」

「どうしました?」


 林を抜けてすぐにヨエルが足を止めて振り返り、エクトルが尋ねる。

 また、追手が来てしまったのだろうかと彼女もすぐ振り返ったが夜の闇に閉ざされて見通すことはできない。しかしヨエルはじっと険しい顔をして耳をそばだてるように身構えていた。


「残っている兵にしては、鎧の音もしないし、微かな物音しかしないが……」


 弓を構え、矢を番えながらヨエルが呟く。

 じっとエクトルも耳をそばだてて木々の向こうの闇を見つけた。何かが見えたような気がしてエクトルが息を飲む。


 息を切らしながら、途中で転んだのか、服を汚して走って出てきたのはシャルルだった。

 その小さな姿を見てヨエルは弓を下ろしながらエクトルを見る。


「あの子は……?」

「屋敷の子、です」

「なら、害はないか。止まれ!」


 声をかけてヨエルが静止させようとしたが、シャルルは止まらずにそのまま走ってきてエクトルへ体当たりするようにしがみついた。危うく転びかけたのをヨエルがかろうじて支える。


「シャルル……。わたくしは帰らないとならないのです。あなたも、お屋敷に帰りなさい」


 ぶんぶんぶんとシャルルはエクトルにしがみついたまま首を左右に振る。しがみついてくる小さな手をエクトルはふりほどけず、シャルルを受け止めたままヨエルをうかがう。


「心配されてしまいますから、シャルル。

 あなたの居場所は、あのお屋敷ですよ」


 顔も上げずにシャルルはしがみついたまま、また首を振る。しゃくり上げるような嗚咽を漏らしながらシャルルは全身を使ってエクトルを逃がすまいとしているようだった。


「仕方ないな、力ずくで引き剥がして――」

「ヨエルさん。乱暴はよしてください。この子は……暴力にさらされていたのです」

「だが、ここでぐずぐずするわけにもいかない」

「そうですが……。では、分かりました。一緒にこの子も連れて参りましょう」

「はあっ?」

「時間が惜しいと思うのはわたくしも同じです」

「だが……仕方ない、分かった。だが、迷子になられても置いていく。それは約束だ」


 エクトルはしがみついて離れないシャルルを抱き上げて頭を撫でた。ようやくシャルルが顔を放すとやはり涙で顔が濡れていた。それを自分の袖で拭ってやってエクトルはほほえみかけた。

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