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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期11 月に吼える
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エクトル奪還 ①


「ヨエルさん、ヨエルさん!」

「ん、ああ……どうした?」


 遅くまでやっている酒場が閉まらないとカタリナは帰れない。

 だからヨエルが眠りについてからでないと彼女は帰ることもできず、先にヨエルは休むことが多くなっていた。

 テラ・メリタに潜り込み、すでに一月(ひとつき)が過ぎてしまっていたころである。

 呼び起されてヨエルは寝床で起き上がると、カタリナはヨエルに詰め寄る。


「エクトル様がいらっしゃるかも知れない場所を聞けました」

「本当か?」

「はい。ジュリアス様の私邸が都の外にあるということです。そこの警備が、丁度、エクトル様がさらわれてしまったころより増えていたとも聞きました」

「詳細な場所は分かるか?」

「いえ、そこまでは……。西の方とは伺いましたが」

「そうか。ともあれ、ようやくの情報だ。明日にでもすぐ様子を見に行こうと思う」

「わたしも同行します」

「ダメだ。足手まといになる」

「しかし……」

「距離はどれほどのものか分かるか?」

「……その私邸から帰還したという兵から聞いたのですが、片道で3日と」

「なら7日だ。それで戻れなかったら、お前はアルブスにすぐ帰ってセオフィラスに伝えろ。関所は貯めた金を持たせて通るんだ」

「しかし……」

「とにかく生き延びて、セオフィラスに伝えろ。いいな。

 何にせよ、俺がしくじった場合の話になる。7日できっと戻るさ」


 貯金で馬を借りてヨエルは翌朝早くに都を発った。

 一路、西へと馬を走らせて二日目の夕刻に小さな村へと辿り着く。そこでジュリアスの私邸の場所を聞いたが、彼らは知らないと口を揃えたが、持ち主の分からない立派な屋敷の場所は知っていた。

 そこに当たりをつけてヨエルはまた馬を駆り、森の木立に囲まれた邸宅をとうとう見つけ出した。











 不自由な暮らしではなかったが、エクトルの気分は滅入る一方であった。

 ジュリアスに捕らえられて連れて来られた彼の私邸は小さな湖に臨んだ美しい景観に囲われた場所だったが、それがエクトルの癒しとはなりえなかった。


「お天気でございますから、お庭でお日様を浴びられてはいかがです?」

「わたくしはセオフィラス様の妻です。略取しようとする殿方のお屋敷では、どこにいようとも心休まることはございません」


 エクトルの世話を命じられた屋敷の使用人は頑なな態度にお手上げのままだった。

 主人であるジュリアスからは、庭までならば屋敷から出てもいいが決して屋敷を囲む林からは出さないようにと命じられている。

 しかしエクトルがずっとつき通そうとしている要求は、自由にしろというものだった。それ以外には何も要求せず、あれとこれのどちらがいいかという質問にさえ彼女は応えようとしなかった。

 屋敷の外には警備の兵が必ずいて、20人もの人数が三交代で入れ替わりながらエクトルの逃亡阻止を任務として哨戒している。大袈裟なほどに厳重な警備をあらかじめ、エクトルはジュリアスから告げられていた。だから彼女はせめてもの抵抗として、心を閉ざしていた。


 ジュリアスは屋敷へエクトルを連れてきて以来、テラ・メリタへ帰還してから戻ってきてはいない。

 しかしエクトルの日々の様子を屋敷の使用人に命じて仔細に報告する手紙を送らせていた。



 気遣って声をかけてきた女中をつんとした態度で追い返してから、エクトルは胸に手を当てて一息つく。使用人の多くは親切で善良な人達だった。それはエクトル自身分かっていたが、どうしても強く当たらなければならなかった。

 それが心苦しかったが、決して心を開いて情にほだされてはならぬと彼女は心に誓っていた。孤独な戦いを彼女は続けていた。


「いけません、これっ……!」


 扉の向こうから先ほどの女中の声がしてエクトルが目を向けると、そっと扉が開いた。

 そして、パタパタと幼児が部屋に入ってきて室内を見渡し、エクトルを見る。ほんの4、5歳ほどの幼い子どもだった。


「申し訳ありません、エクトル様。すぐにお連れ出しますので」

「いえ……その子は?」


 慌てて入ってきた使用人が幼児の手を取って連れ出そうとするところを見てエクトルが尋ねる。


「口の不自由な子なのですが、都の養護院で他の子に虐められているところを見兼ねて、この屋敷で面倒を見て使用人にしなさいとお命じになられまして……。しかしまだ聞き分けもなくって……」

「そうですか。わたくしは構いません。まだこれほど小さいのですから、仕方のないことですわ」

「ああ、エクトル様……ありがとうございます。ほら、あんたも頭くらい下げな」


 使用人に押さえつけられて頭を下げさせられた子が、むすっとした顔をしながら使用人を見て、それからエクトルにも目を向けた。目が合ってエクトルが笑みを見せると、幼子はじっと不思議そうな顔で見つめ返してくる。

 伸び放題とばかりに髪が長くてエクトルには性別の見分けがつかなかった。それに薄汚れた頭からすっぽりと被って袖を通す祭服姿でさらに分からなくなる。


「女の子ですか? 男の子……? 髪が長いのですね」

「今日、来たばかりでわたし達もまだ……ジュリアス様からのお手紙にも書かれてはいなかったものですから」

「まあ。……特に理由がないのであれば、清潔な服にして、体も綺麗にしてあげてください」

「はい、もちろん、すぐにそういたします。さあ、おいで」


 綺麗に洗われてから、新しい――とは言え、新品ではないもの――服に着替えさせられた子は、改めてのご挨拶としてエクトルのところへ連れて来られた。

 男の子で名前はシャルルというらしかった。長い髪の毛で隠されていた皮膚には痛々しい痣や、かぶれて赤く腫れた肌が隠されてもいた。


 シャルルはそれから、暇な時間を持て余すようにひょっこりとエクトルの部屋に入ってきた。使用人はそれをやめさせようとしたものの、エクトルは好きにさせるように言って受け入れた。

 暇を持て余しているのは彼女も同じで、屋敷に子供向けの本か何かがあれば持ってきてほしいと使用人に頼んではそれをシャルルに読み聞かせるなどをして過ごした。


 喋ることはできずとも、シャルルは色々なことに興味を持つようだった。

 本を読み聞かせられていると、たまにエクトルの開いている本を叩いた。最初こそ何を訴えたいのか分からなかったエクトルだったが、言葉の意味を知りたいという時にそういうことをするのだと気がついて説明をするとシャルルは笑顔を作った。

 エクトルに与えられている部屋から外に出ては寒い時季にも関わらず咲いていた花を摘んで見せに来たり、雨が降った日などはエクトルや使用人に止められながらも、楽しそうに雨の中を走り回って泥まみれにまでなった。


 シャルルはエクトルを気に入ったように四六時中、近くにいようとし、彼女もそれを受け入れた。無邪気なシャルルの姿は異国で軟禁されている現状で、何となく安らぐことができたし、元よりエクトルは小さい子が好きだった。生家では末っ子でもあったし、立場もあってなかなか触れ合う機会さえもなかったから、アドリオン邸ではレクサを可愛がってもいた。

 何よりシャルルが懐いてくれるのが嬉しくもあった。乳歯の抜けた欠けっ歯で楽しそうに笑う顔が癒しになってもいた。


 しかし、いずれは別れる時がくる。

 そんなことをふっと考えた夜、一度はベッドで横になったのに起き出して彼女はテラスに通じるガラス戸のそばの椅子へ座って物思いに耽った。

 もうすぐ年が明けようかというころで、星の見えない夜空を食らい部屋の中から眺め上げてセオフィラスを想った。


 今ごろ、どうしているだろうかとは何度も考えていたが何も分からないでいる。

 戦が始まっているのではないか。激しい戦いで大怪我を負ってしまったり、仲間を失って胸を痛めているのではないか。

 あるいはまだ表面上の平和を保っているとしても、自分がいないことですっかり意気消沈して憔悴しきってはいまいかとも考えた。

 強く、逞しい姿を知っている。

 しかしそれ以上にセオフィラスはやさしく、少し頼りないほど繊細な一面もある。

 心を傷つけながらでも前に進もうとする強い意志を持っている。それがセオフィラスの一番の強さであると知りながらそこが不安でもあった。


 帰りたい。

 また会いたいと、暗い夜空に願っていた時――赤い光が闇を押しのけるのを見た。

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