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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
幼少期1 在りし日のアドリオン
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6歳、森にて ①


「ごちそうさま! ゼノ、きょうは森のたんけんだ! はやくたべちゃえ!」

「ま、まってよ、おにいさま」

「ほらっ、はーやーく!」


 幼い兄弟は、兄をセオフィラス、弟をゼノヴィオルと言う。

 それぞれ愛称はセオとゼノ。アドリオンにおいて彼らを知らぬ領民はいない。領主ミナス・アドリオンの息子達であるのだから。


「セオフィラス様、お食事が喉に詰まっては大変ですからゼノヴィオル様を急かされない方がよろしいかと」


 食卓を見守っていたメイドのカタリナは17歳になる少女だ。彼女が弟を急かし、口にパンを無理やり詰め込もうとするセオフィラスを見かねて声をかけた。


「いいんだよ、のみこめるもんな、ゼノ?」

「もごっ……ごく……」

「飲み込めてはいらっしゃらない様子ですが」

「っ……ゼノ!」

「んぐっ! げほっ……こほっこほ……」

「ほら、こうなっちゃう……。大丈夫ですか、ゼノヴィオル様?」


 噛まずに飲み込もうとしたゼノヴィオルがむせ、カタリナが嘆息しながら彼の背をさすって水を差し出した。


「あーもーつまんなーい、つまんないつまんないつまんなーい! いいよっ、じゃあひとりでいくから! ゼノなんていなくてもいい!」


 ぷいっとそっぽを向いてからセオフィラスは駆け出して食堂を去る。それを呆れた顔で眺め、カタリナはまた嘆息した。


「おにいさまっ……」

「大丈夫ですよ、ゼノヴィオル様。きっと飽きたらひょっこり戻られて遊びに誘ってくださいますから」


 泣き出しそうな顔になったゼノヴィオルを慰めるように撫でてからカタリナは水を飲ませる。


「昔はかわいかったのに、どんどん生意気になられて……。時の流れは残酷ですね」

「……?」


 彼女のぼやきをゼノヴィオルは理解できなかったが、口にフォークで運ばれた食事をぱくりと食べる内にすぐ忘れてしまった。












 アルブス村の西方には深い深い森が広がっている。

 セオフィラスは昨秋に父のミナスへ連れられて始めて森を訪れ、父が狩りをするのに同行した。父と、父の連れた狩り友達は森に詳しくて、セオフィラスに色々なことを教えてくれた。食べられる木の実や、吸うと甘い花の蜜。木に絡みついたツタを引き剥がして寄り合わせ、即席のブランコまでこしらえてくれたりした。


 それからすぐ冬になり、雪で森へ続く道が閉ざされたので行けなくなってしまったが、セオフィラスはずっと春になってまた森へ行けるようになる日を待ちわびていた。そして6歳の誕生日を迎え、いよいよまた森へ行ける季節となって、それから毎日、森が遊び場となっていた。

 持っていくのは端材から職人が削り出してくれた木剣と、カタリナにねだって作ってもらった腰に巻きつけられるタイプのポシェット。見た目に反してたくさん入るポシェットはお気に入りで、いつもここに拾った珍しいものを宝のように詰め込んでいる。


 いつもはゼノヴィオルと一緒に探検にくるのだが、今日はひとりだ。

 森の深いところまでは絶対入らないことをミナスと約束しているので、入り浸るのは森のほんの入口のところだけ。森というよりも隙間の多い木立といったところだったが、そこはセオフィラスにとって自分の城も同然だった。


 屋敷から走ってきたセオフィラスは息を切らしながら木立の中で息をすうっと吸い込む。森の中は空気がおいしいのだ、とはミナスに教えられたことだ。セオフィラスに空気の味というものはいまいち分からなかったが、ここへ来る度にまずは胸いっぱいに森の空気を吸うようになった。

 それからセオフィラスは柔らかな落ち葉や、地面から顔を出している木の根を踏みしめながら歩き出す。

 最初に見つけたのは木の実だった。地上2メートルほどのところに成る原生の果物で、赤く小さな実をつけた房がたわわに群れて実る。大人の背でも取るのに少し苦労するところに実が成るがセオフィラスはするすると細いその木を登って木の実を摘み取ってポシェットに詰め込んでいく。


「かあさまにあげたらよろこぶぞ……」


 木の枝で体を支え、片腕を伸ばしながら木の実を取りながらセオフィラスはそう呟く。アドリオンの第三子――セオフィラスの妹のレクサが産まれてからというもの、三兄妹の母オルガは体調を崩してしまっている。だからセオフィラスは森へ探検へ来る度にそこで見つけたものをお土産として母にプレゼントしている。このささやかな贈り物にオルガは喜び、それが嬉しくてセオフィラスは一層はりきるのだ。


 ポシェットに木の実をたくさん詰め込んでから、ひとつだけセオフィラスは味見をした。口に放り込み、少し硬いその身を奥歯で噛み締める。じゅわっと広がるのは酸っぱさだ。その果汁に体を震わせて目をぎゅっと閉じるが、そのままもぐもぐと噛み続ける内に強烈な酸味がだんだん甘くなってくる。さらに噛み続けると口の中に広がった酸味全てが甘味に変わって爽やかな香りと味のなくなった木の実のクズが口腔に残る。


「はあ……おいしい」


 ペッと口の中に残った果実のクズを吐き出し、またセオフィラスは森を歩き出す。

 癖になってやめられない木の実をひとつずつ噛み締めながら。



 森で数刻を過ごし、そろそろ昼時だろうとセオフィラスは気づいた。屋敷へ帰ってお昼ご飯を食べなければならないのだが、土の下に潜むモグラドリの巣と思しきものを見つけていた。この穴を掘ったり、腕を突っ込んだりするとモグラドリという鳥を捕まえることができる。翼はあるのに飛べない鳥で、泳ぎが得意だったり、土の中に巣を作ったりするという不思議な鳥だった。ただ、捕まえる時に嘴で指を突つかれたりすると痛い。しかし、これを捕まえて帰ればきっと誰かが誉めてくれるし、料理にしてくれれば必ずおいしいということが分かっている。だが、いかんせん、痛いのは怖い。


 どうしたものかと、腹時計に急かされながらセオフィラスは悩んでいた。

 木剣を穴に入れるという選択肢は取れない。モグラドリはパニックに陥ると地面を下へ下へと掘り進んでいってしまって逃げられてしまうから、捕まえる時は素手に限られる。モグラドリを最初から捕まえる腹積もりならば丈夫な皮の手袋が片方あれば事足りるのだが、生憎とそのようなものをセオフィラスは持ち合わせていない。



 腹の虫が鳴る。

 名誉と空腹がセオフィラスの中でせめぎあう。


「…………」


 やがて腹を決めたセオフィラスはその場で腹這いに身を伏せ、モグラドリの巣穴へ手をそろそろと向けた。拳をぎゅっと握る。


「えいっ」


 土の中は少しひやりとした。

 大人の腕ではつっかえてしまうかも知れないほどの穴へセオフィラスは手を差し入れ、肩まで埋めるような勢いで奥へ奥へと伸ばしていく。そして、爪先が何かに触れ、かと思うと掌の親指のつけねあたりに痛みが奔った。


「いぃっ――たい!」


 反射的に手を引きかけたが、それを瞬時に躍起になった気持ちが押し込めた。広げた手で柔らかな羽毛らしきものに触れて掴み、そのまま一気に引きずり出す。モグラドリは土色の羽根を持っている。泥に汚れているが、洗うと独特の風合いが残って羽飾りなどに使えなくもない。


「こいつめっ」


 捕まえたモグラドリを反対の手に持ち替えてから、ついばまれた箇所を見ると皮膚が赤くにじんでいた。着古しのシャツで拭うと、泥と少量の血がつく。やっぱり怪我をしていたと知って、それからズキズキと痛み始める。だが、捕まえることはできた。6歳のセオフィラスの小さな手で、両手に抱えられるモグラドリは普通サイズだ。食べられるところは少ないが、簡単に捕まえられるので田舎のアドリオンで食卓に加わることは珍しくもないポピュラーな食材であると言える。


 左手でモグラドリの足を掴んで屋敷へ帰ろうとした時、茂みがガサガサと音を立てた。野生動物でも出たのかと思って思わずセオフィラスは動きを止め、音のした方を振り返る。薄暗い――深い森の方から何かがゆっくりと近づいてきているようだった。モグラドリの足をぎゅっと掴んだまま、怪我をした右手で腰紐につるしている木剣に触れる。



 そして――茂みを分けるようにして彼は現れた。

 アドリオンでは見たことのない青年がひとり、長い髪の毛をぼさぼさに乱して這うように現れたのだ。小麦色の髪は汚れ、葉っぱのみならず折れた枝などもくっついている。顔は泥まみれ、服も泥まみれ、むっくりと面をあげればこけた頬と、見開かれた目。


「ひぃっ――」

「ぁ……ぁぁ……ひ、ひとが――」

「でっ、でで、でたー!」


 モグラドリを放り出しながらセオフィラスは逃げ出した。


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