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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期11 月に吼える
196/279

逃走戦 ②


「ビートはどうしたっ!?」

「中で敵さんと楽しくしてる! 追いつけとは言っておいた、今は行くぞ!」


 敵を単身で4人も切り伏せてヨエルはエクトルとともに屋敷の外へ出てきた。異変を察知して表の衛兵が邸内へ入ろうとしたものの、外で備えていた使節団が弓矢で攻撃を加えて援軍を阻止していた。

 首尾よく屋敷外で待機していた仲間と合流してからヨエルは弓矢を受け取り、矢筒をかけて馬に跨る。


「すでに敵扱いだ、どうせなら悪党になってやるとしよう!」


 矢筒からヨエルが真っ先に出したのは火矢だった。

 鏃の下にはたっぷりの油が染み込んだ綿が巻かれており、そこに火をつけ燃焼させてから射かける。屋敷の入口のドアへと火をかける間に仲間を先に行かせて、ヨエルも馬を走らせた。


「あの、やりすぎでは? 緊急時とは言え、放火は――」

「消火を優先してくれればその分だけ逃げる公算が高くなる! それにあの屋敷はどうせ、兵隊しかいない!」


 ヨエルの馬にはあらかじめカタリナも乗っていた。彼女は馬を操れない。逃げるという目的上、馬車は良い的にされるのでエクトルも馬に乗っている。


「ビートさんは合流できるでしょうか?」

「どうだろうな、相手は凄腕だ。ビートもかなり腕は立つが、世の中には格が違いすぎる相手もいる……!」


 後方を何度も確認しながらヨエルは馬を駆らせた。

 一度は振り切ったかとも思われ、馬の負担を減らす意味も兼ねて少しペースを緩めたが、それからすぐに追手が姿を見せた。ヨエル達が駆け抜けてきた道からではなく、進行方向に対して右側から20を超える数の騎馬が見渡しの悪い木々の向こうから突撃をしてきたのだ。


「構わずに行け! エクトルを先に向かわせることを優先しろ!」


 指示を出しながらヨエルは矢筒に手を伸ばして弓を引き絞った。

 弦の振動音の直後にエクトルが乗る馬へと近づいていた騎兵が首を射抜かれて落馬し、後続の馬の足にたたらを踏ませる。


「カタリナ、手綱を取ってくれ。馬にある程度は任せればいい」

「は、はい」


 自分の前に座らせていたカタリナに指示を出してヨエルはさらに弓矢で応戦して敵を食い止め、惹きつける。カタリナが手綱を握った途端、馬はそれまで前に続いて走っていたはずなのに首を巡らせてしまう。


「ヨエルさん、馬が――」

「いや、これでいい! 今は連中を惹きつけて少しでも数を減らす!」


 同時に2本の矢を番えてヨエルがまた放つ。

 左右に広がって放たれた矢は2頭の馬の前脚と胴とに当たって飛び跳ねさせた。全ての敵を惹きつけることはできなかったが10騎はヨエルの妨害に遭い、落馬したり、矢に射抜かれて追撃もできなくなっている。それでも残っている騎馬がヨエルとカタリナを執拗に追い回してくる。


「カタリナ、すまない。帰れなくなるかも知れない」

「覚悟はしていたことです」


 手綱をヨエルが握り直して敵を惹きつけ林の奥深くへと入っていく。

 遮蔽物を利用して敵からの弓矢の攻撃を防ぎつつ、あわよくば逃げ切ろうという魂胆がヨエルにはあったが徐々に足元に傾斜ができて馬の足が鈍ってきていた。

 だが傾斜があるのであれば高所を確保することができれば優位を取れる。

 一気に駆け上がらせようと手綱を手繰った直後、飛来した矢が馬の横を通過して木の幹へ突き刺さった。それを確認してすぐに振り返ろうとして肩の後ろへ矢を受ける。


「っ――!」

「ヨエルさん!」

「喋るな、舌を噛む!」


 カタリナを片腕で抱きながらヨエルは馬を飛び降りる。馬が激しく嘶いて跳ねまわるようにして駆けだす。その尻と足には矢が刺さっていた。そのまま馬は去っていき、ヨエルは地面を転がってから膝をついてカタリナを木の根元へ座らせる。


「敵を倒してから馬を奪う。それまでここに隠れていろ」


 弓を構え、ヨエルは迫ってきた騎馬の頭に矢を射込む。

 一射放ってはすぐ背の矢筒へ手を伸ばして構え、また放つ。

 無駄のない動きでのスムーズな連射をしながら木から木へ移動していってカタリナから敵を遠ざける。

 それでも突撃してくる全ての敵を打ち落とすことはできなかった。槍を投げつけられ、それを避けようとした拍子に苔むした岩で足を滑らせる。そこに馬から落とされていた兵が迫って剣を振り上げた。

 とっさに弓で剣を横から叩いて軌道は逸らせたものの、その拍子に弓が砕け折れる。別の兵が馬で迫って馬上から剣を振り上げた。


「くっ!」


 後転するようにヨエルは剣を避けようとしたが、剣の切っ先が右胸の下から首筋までを切り裂く。

 だが同時にヨエルは剣を抜いて通り過ぎていく馬の後ろ脚を切り飛ばしていた。

 傷の痛みは戦闘による一時的な興奮で感じてはいない。敵の数を把握し、位置を確認し、剣を振るう。胸を刺し貫こうとした一撃が、剣を振り上げる動きで弾かれる。そのまま肩からぶつかり、体を回転させて剣の動きを隠しながら振り切って相手の首に叩き込んだ。


 振り返り、剣を振り下ろそうとしていた敵を目視する。

 横から剣をぶつけ、すぐに相手が切り返してきた刃をまた防ぐ。そうしていると別の兵が剣を腰だめに突進してきていた。


「ああああああっ!」


 吼えながら力ずくでヨエルは鎬を削っていた相手の剣を振り払った。矢を抜いて腕を振るってそれを飛ばして突進してきた兵の肩へ突き刺す。剣を振り払った相手の手首を掴むと体を回転させ、ぐるりと回してその場で投げ落とす。喉仏を潰すように剣を突き落とし、弱まった勢いで突進をしてきた相手に引き抜いた剣を振るって付着した血液を飛ばす。

 相手の目に血液を入れて視界を奪うなり、すかさずその隙を突くようにヨエルが剣を繰り出す。


「はあっ、はあっ……! まったく、体が鈍っていたかと思えば、何か掴めてきた気がする……」


 殺した敵が身につけていた弓を見てヨエルはそれを手にして矢筒に手を伸ばす。

 だが矢を掴み損ね、顔を向けるとまだ残していたはずの矢がなくなっていた。戦いの最中で落としたのだと悟ってすぐ、残っていた3人の敵がヨエルに迫ってくる。舌打ちをしながら弓を打ち捨てて剣を握りしめる。


「さあ来い、手加減してやる必要もなかろう!」


 3人の内、2人が左右に分かれてヨエルに切りかかった。

 2人相手にヨエルは切り結ぶが次々と切り刻まれるのは必然だった。それでも致命傷を避けて相手の攻撃を捌いて突破口を探る。

 熱く血液が鼓動を打つのを感じていたが、ヨエルの頭はクリアだった。

 時間にしてしまえば短いが、命の取り合いと濃密な戦闘行動の蓄積で凄まじい疲労がヨエルを襲っている。剣がいつもの何倍も重く感じる一方で、感覚が研ぎ澄まされている自覚があった。


(セオフィラスが天才なのか、それともアトスの指導が優秀だったのかと考えたこともあったが、これはどっちでもなかったというのが答えか。

 分かる。ようやく俺も、踏み込める)


 筋肉は疲れのせいで十全に動かせないが、体を支えているのは骨だと感覚的にヨエルは掴んだ。速度を出すために(りき)みではなく剣そのものの重さ、遠心力を利用する。大地に根差して立つような下肢の使い方ではなく、風に吹かれて舞い飛ぶ草花のように力を抜いた軽やか足さばきで相手の攻撃を捌く。

 切る。

 叩くのではなく、刃に乗せて引き抜くように斬る。


「何っ――!?」

「珍しくはないんだろう、お前らのボスならこれくらいは簡単なはずだ」


 相手の剣を断ち斬り、ヨエルが笑みを浮かべる。

 驚愕している兵の胸を蹴り倒し、もう一方の相方を鎧の上から切り伏せる。踏み倒した敵の心臓へ剣を突き落として顔を上げると最後に残った1人が弓を引き絞って構えていた。

 発弦音を残し、放たれた矢をヨエルは片手で掴み止める。(やじり)に少し手を切りながら、しかし眼前でピタと握り止めて矢を放り捨てた。


「ふぅ、ふぅぅっ……これでもまだ、スタートラインってところか……。

 だが感覚は掴んだ。人の一式・気力。……すごい力だな」


 確かな手応えを感じながらもヨエルは息を上がらせてその場で膝をつく。周囲をうかがってからカタリナはヨエルのところへ駆け寄ってきた。


「ヨエルさん、怪我が……」

「大丈夫、心配はない。それより、馬だ。馬を探して追いかけ……よ、う……」

「ヨエルさん!」


 立ち上がろうとしたヨエルは膝の力が入らずに倒れかけてカタリナに支えられる。


「やはり少し休まなければ……」

「い、や……息苦し、い……しび、れるような……毒か……?」


 息を細かく吸いながらヨエルは自分の左手を見る。最後に矢を握り止めた時、手の平に刻まれた傷口が異様に腫れ上がっていた。脂汗を浮かべながらそれを確かめてから、すぐヨエルは意識を失った。

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