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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期10 変革の刻
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廃墟にて


「ハァッ、ハァ……何があったんだ、これ……?」


 白い吐息を弾ませながらセオフィラスは打ち崩された廃墟ばかりを晒す街並みを歩く。

 建物は打ち壊されていた。ボッシュリード軍の設営していたと思しき天幕も漏れなく壊され、兵の屍が埋葬されることもなく晒されている。

 野生動物の餌になったのか、食い荒らされた遺体も少なくはない。どころか、死肉を(ついば)んだと思しきカラスの姿が多かった。カアカアと時折鳴いては羽ばたいて音を立てる。

 赤い夕陽に照らされ、雪に半ばほど埋もれた廃墟の街は変わり果てたという印象を強くセオフィラスに与えた。


 人の気配はなかった。

 人の姿をしたものはいずれも朽ち果てようとしている。

 戦いがあったということは分かった。戦いの痕跡を見て取った限り、一方的な蹂躙だったのだろうと推測は立つ。

 しかしロートスを有するボッシュリード軍に、どうやって共立軍がこうも一方的な勝利を収められたのか分からなかった。


 まっすぐにセオフィラスはカウエル邸を目指し歩き、その屋敷に辿り着く。やはり屋敷もまた少なからぬ損壊があった。玄関は打ち壊されて、エントランスホールには瓦礫が散乱している。

 ここにもやはり人の気配がなく、屋敷の中を慎重にセオフィラスは歩いていく。早くここを後にしてアルブスへ戻るべきか、あるいは朝までここで休むべきかとも考えていた。体調は随分と良くなった気はするが、決して良好とも言えなかった。

 全身が冷えきっている。ろくなものを食べてもいなかった。


 そんな状態でひたすらに歩いてきた。

 イグレシア城ではかつてユーグランドの右腕を務めていたエッセリンクとその部下を相手に1人で挑んで奪還した。エッセリンクのみを殺し、その部下を逃がした。

 城に取り残されて、そのままボッシュリード軍に使われていた戦に随行してきた婦人や官吏には決して西側の吊り橋を下げないようにと命じ、また1人で歩き出したのだ。


 ボッシュリード軍の補給線を辿り、夜襲をし、火をかけながらアルブスを目指した。単独でずっと長い距離を歩くという経験はセオフィラスにはなかった。1人きりだから、食事も睡眠も切り詰めることができたが、体力は日に日に落ちていくのを感じた。ただ歩くだけでも足が痛み、敵の補給拠点を叩く度に傷を負った。

 深く雪に閉ざされた冷たい気候のお陰か、傷が化膿したりすることはなかった。それでも疲労は日増しに蓄積されていく。雪中をただただ1人で、昼も夜もなく歩き続けるとよく寂しさに襲われた。

 すぐにエクトルを思い出した。どこまで行ったのか、何か危険がなかったかと、すぐ不安に苛まれた。

 それから戦がどうなっているのかと恐怖にも苛まれた。今ごろボッシュリード軍がアルブスまで辿り着いて、激しく争っているのではないか。あるいは都市が陥落して火を放たれているのではないか。ゼノヴィオルがまた無茶をして心身を削っているんじゃないか。レクサが敵に捕まり、酷い目に遭わされたりしてはいないか。

 誰のことを考えても心配で、しかし急ごうとするとすぐ足が痛み、雪に取られて転倒することさえあった。新雪に顔から倒れ込むと起き上がるのが億劫になった。そのまま目を閉じ、力を抜いてしまえば安らかに眠れるのではないかと思うこともあったが、自分はすでにアドリオンを、そして東ボッシュリードという地域を巻き込んで独立させたのだという責任を思い出して起き上がった。


 孤独の旅だったが、もうすぐアルブスへ帰れる。

 問題はどういう状況なのか、それが何も分からないことだった。


 カウエル邸の損壊が一部だけに偏り、手つかずになっている部屋が多いことを確かめられてセオフィラスは客間のベッドを間借りすることにした。暖炉に火を入れて万一に備えて剣だけは鞘に納めたままベッドに持ち込む。そうして衣服を横着するように寝転がったまま脱ぎ捨てて、目を閉じた。

 部屋が温まるとすぐ、全身が重くなった。瞼がとろりと落ちかけてきて、剣を片手で握りしめながら目をつむる。

 しかし、ひもじかった。

 お腹だけが外気にさらされているように冷たく感じられ、落ち着かずにベッドを降りる。何か、少しでも食べものが残ってはいないかと邸内の厨房へと向かった。見つけられたのは芽が出かけている芋程度だった。

 皮を剥いて、芽を除いてから芋を丸ごと鍋に入れた。外にあった雪の綺麗なところだけを選んで芋の上からまた鍋に突っ込んで火にかける。雪が溶けてお湯になり、それでぐつぐつとじゃが芋を煮込み、茹で上がったものを食べたが味もなければ泥臭さもあった。食感もぐでぐでになりすぎ、とてもおいしくはない。

 だが温かい食事ではあった。物足りなさはあったが、満足することにして今度こそベッドに戻って眠ることにした。


 うとうとしながらも、無防備に眠ることはせず意識を半覚醒状態に保つ。

 そんな器用でほとんど休まらないような眠り方をセオフィラスは孤独な旅で修得していた。何か物音がすればすぐに目を開いて即応姿勢を取ることができる。緊張状態を保ったままの睡眠という一見、矛盾を感じさせるような睡眠法ではあったが、起きているよりは多少、疲れが取れるというものだ。


 だから明け方近くに、廊下の床板が軋むような音を聞いただけですぐに鞘を握りしめて意識が覚醒した。

 一息で剣を抜けるように柄と鞘を両手でそれぞれ握り、横になったまま気配に備える。床板の軋みが近づいてきて、部屋の前で止まった。


「……」


 呼吸は変えず、目も開かず、しかしじっとセオフィラスは待ち構える。

 ドアが開く。部屋の中に入ってきたのを感じ取る。近づいてくるのを察知し、被っていた毛布を翻して目隠しにしながら一気に剣を抜いて突き込んだ。ばさりと剣に刺し貫かれた毛布が重力に引かれて微動だにしない剣身に引っかかる。


「……お前は」


 毛布の向こうから見えた顔にセオフィラスが息を飲むが、相手は歪んだ、しかし力ない笑みを浮かべるだけだった。


「遅えぞ、セオフィラス・アドリオン……。今さら、のこのこと。遅すぎる……」


 もう興味はないとばかりに、覇気のない声を出したのはバーレントだった。

 イグレシア城で(まみ)えた時の激烈なエネルギーを感じさせないバーレントにセオフィラスはゆっくりと剣を引く。

 ただ一目で、もうこの男に敵意がないということ、戦うことを放棄したのだということが分かってしまったのだ。


「何があった」

「てめえの弟、あれは何だ……」

「ゼノ?」

「ゼノヴィオル・アドリオン。得体が知れねえ。強いだけじゃない。俺はあんなやつを知らなかった。ああいう人間が、存在しているなんて。いや……あれは人間か?」

「……ゼノは俺の弟だ。誰が何と言おうが、人間だ」

「ハッ、そうかよ……。あんなのが人間か……」


 バーレントの身体が小刻みに震えているのを見て取ってセオフィラスは眉根を寄せる。

 恐らくはゼノヴィオルがこの街へ来たのだと理解した。そしてバーレントと何かがあった。彼の戦意を削ぎ落すほどの何かが。あの戦闘意欲の塊としか思えなかった激烈な男を変えてしまうほどのことをした。


「……セオフィラス・アドリオン、俺と戦え」


 顔を上げたバーレントの瞳にはギラついた光などはない。

 ただただ濁った瞳で、戦えと言いながら勝とうという意思をセオフィラスは感じ取れなかった。


「何のために?」

「理由なんざ、どうだっていい。俺と戦え」

「死にたいなら自分で死ねばいいよ。俺は手の込んだ自殺なんかにつき合う余裕はない」


 剣を鞘に納めてセオフィラスはベッドに戻って寝転ぶ。

 最早、バーレントに脅威は感じ取れなかった。もう心が折れてしまっている。元より敵同士で情けをかける必要はないが、積極的に殺したいとも思えない。

 だからセオフィラスはただ突き放すだけにして、また眠ろうと試みた。


「ゼノヴィオル・アドリオンは……その、手の込んだ自殺をしようとしているぞ」

「……どういうこと?」

「あいつが言っていた。軍を引き連れてアルブスを抜け、公衆の面前で自分を殺せと言っていた」

「意味が分からない……。気を惹きたいなら、まともなこと考えられるように水でも被ってくれば?」

「俺だって意味が分からねえよ! だが俺は見た、聞いた! ハンスは生き返って、ギリスは王子を殺して、ゼノヴィオル・アドリオンはてめえを殺せと確かに言いやがったんだ!」


 やつれたように見えるバーレントだったが、その吼えるような言葉は室内に反響した。

 体を起こしてセオフィラスはバーレントを見る。暖炉の火が動く度、バーレントの影が揺らめき動く。


「てめえが来るのも見越してたぞ。

 お前によく見えるようにやれとか言っていやがった」

「仲間はどうしたの?」

「ゼノヴィオル・アドリオンに殺された」

「仇討ちはしないの?」

「……殺してやろうと思った。殺そうとしたのに、できなかった」

「今のあなたが、ボッシュリードに与するロートスの戦士だとは名乗らないなら、俺は味方になってあげてもいい。でもゼノを仇討ちの対象だって言って殺したがるなら、なしだ。

 どうしたい、バーレント?」


 問いかけにバーレントは応えようとはしなかった。

 だが、苦痛に顔を歪めていた。悩むほどに、もうアイデンティティーは揺らいでいた。片膝を立ててセオフィラスはじっとバーレントを見つめ、答えを待ち続けた。

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