秤 ①
「……景色、悪くなっちゃった」
アドリオン邸の屋根でレクサは1人、膝を抱えて座っていた。
セオフィラスと一緒に市中を眺めたことのある、レクサにもお気に入りの場所だった。市中のみならず、アルブスから広がるなだらかな草原の丘を眺めることもできていた。
だが、少し久しぶりに来てみれば外壁のせいで景色は遮られてしまっていた。まるでアルブスが閉じ込められてしまったような閉塞感を与えてくる壁だ。
「お兄ちゃん、いつ帰ってくるんだろう――」
ゼノヴィオルはレクサのために時間を作ってはくれるが、雰囲気が違うことを感じ取れていた。表面上は変わらずに接してくれようとしているのだとレクサにも分かる。だが、大好きだったゼノ兄様とは何か違う気がしてレクサの方から何となく避けるようになっていた。
その軍団は突如として、ボッシュリード軍の駐留地付近に姿を現した。
黄金の骸骨の軍団である。見張りが見つけた時、彼らの姿はすでに地平線の向こうを埋め尽くすかのような数になっていた。雄叫びはなく、身につけた黄金の鎧や武器の音を響かせながら軍団は駆足で突撃してきていたのだ。
「て、敵襲、敵襲だっ!」
ようやく日が昇り始めた朝方の時間帯だった。最初に気づいた兵は叫んだ直後に黄金の大槍の投擲で胸を刺し貫かれて倒れ絶命する。寝起き同然だった兵達は武器を手にしたり、すぐに逃げ出そうとしたが黄金の兵達は容赦なく襲いかかり、次々と殺戮を開始する。
「また来やがったか、ゼノヴィオル!」
前日にようやく槍を振り回せるほどまでに回復をしていたバーレントが異変を察知するなり天幕を飛び出す。天幕の表に立てかけていた槍を掴んで、続々とボッシュリード軍の駐留地に踏み込んできていた黄金の骸骨へと襲いかかる。
「バーレント!」
「ハンス、俺の後ろにつけ! 守ってやる!」
バーレントを追うように出てきたハンスはそう指示され、自分の槍を掴む。黄金の骸は砕かれようがへし折られようがすぐに再生してしまうが、それまでの僅かな時間は動きを止められる。バーレントは猛り狂うかのように次々と黄金の骸を粉砕しながらボッシュリード兵を蹴散らしながら、大群が殺到をしているカウエル邸へと走る。ずっとウェスリーが入りびたって利用をしている場所だ。
その屋敷の前の広場はすでに衛兵が死んで倒れていた。広場前の門も閉ざされていたらしいが破壊された痕がある。屋敷の戸もまた、黄金の武器が突き刺さり押し破られている。表や邸内の敵を薙ぎ倒しながらバーレントは屋敷の中を駆けた。
「ねえ、バーレント、こんなに人がやられてたら王子様ももう……!」
「黙ってろ、こんな卑怯な策でやられてたまるか!」
いつもウェスリーが過ごしているはずの部屋にはいなかったが、悲鳴のような声を聞きつけてバーレントは部屋の壁をいきなりぶち抜いた。屋敷の裏の温室へ黄金の骸達が集まってきており、温室の外で今まさに衛兵が1人、顔面を大斧で切り飛ばされているところだった。
「お前はすぐ中に入って守れ。表は俺がぶち壊す!」
「う、うん、分かった」
「行くぞ!」
バーレントが大股で駆け出し、ハンスを引き離して槍を思い切り繰り出す。振り返った黄金の骸が振るった大斧を弾き、バーレントは一気に骸の肩口へ槍を叩き落として粉砕してしまう。そのまま温室へ押し入ろうとしていた骸を一掃する。再生される前に残骸を蹴って遠くへやってからバーレントはハンスを中に入れた。
「籠城は潰される、外に出るから来いと王子様に伝えろ!」
「うん!」
すぐにハンスはウェスリーとギリス、それから数人の傷ついた兵とともに温室の出入り口まで来たが再生した骸とバーレントは派手に戦っていた。細かく砕かれた破片の一欠片ごとが元の姿に戻り、増殖を繰り返してしまっている。
「バーレント、早くそいつらを蹴散らせ! お前ならできるだろう、ロートスだろう!」
その夥しい数の敵を見たウェスリーがヒステリックに叫ぶ。
言われるまでもなくバーレントは群がってくる骸を次から次へと倒しているが増えすぎたせいで一向に数が減らないどころか際限なく増える一方でもあった。
ウェスリーのヒステリーを聞くまでもなく、すでにバーレントは動いていた。気力を漲らせ繰り出した槍の一撃で押し寄せていた骸をまとめて吹き飛ばしたのだ。
「今の内だ! ハンス、連れて逃げろ! 殿は俺がやる!」
敵を散らしてもすぐに増殖して群がってくる。
それでも一所に留まることもできない。その程度の判断はついてウェスリーは一目散に走っていた。馬にさえ乗れれば鈍重な黄金の骸達から逃れられるという計算があった。
「お待ちください、殿下! そちらは!」
「うるさい! 馬だ、馬を持ってこい!」
馬屋へと走るウェスリーをギリスが止めようとしたが、聞く耳を持たずにただ走っていく。低い斜面を服が汚れるのも構わず滑り降りて馬小屋にまっすぐとウェスリーは駆けていく。それを見て、ギリスが足を止めた。
「ギリスっ?」
「これほどの規模で奇襲を仕掛けてきておいて、馬をそのまま繋いでおくはずがない」
「でも王子様は守らなきゃ……!」
一度は踏み止まったギリスを見て足を止めたハンスだったが、すぐウェスリーの後を追うように走っていく。大人と子どもとは言え、見習いなりにも鍛えられているハンスの足は速かった。
「おやめなさい! 無駄死にするだけです!」
声をかけてもすでにハンスの耳には届いていなかった。
「バーレント殿っ! 殿下とハンスがあちらに! お願いします!」
「ああっ!? ――どうして敵の多い方へ行かせた!? クソがっ!」
呼びかけられたバーレントが4体ものひと際大きな敵の攻撃を受けながら怒鳴る。敵の巨躯の隙を縫うように強引に突破してバーレントもウェスリーの方へと駆け出す。ギリスも走り出していたがとてもバーレントには追いつけなかった。
「どう、いうことだぁっ!?」
馬小屋まで辿り着いたウェスリーはその惨状に声を裏返らせて叫ぶ。
繋がれていたと思しき馬は全て首を刈り取られていた。撒き散らされた血が赤く馬小屋を汚し、むわりと鼻にその臭いを告げる。ウェスリーの愛馬もまた同じように首をなくして倒れていた。苦しみもがいたのか、足を折り曲げて息絶えている。
「王子様危ない!」
ハンスの声を聞いてウェスリーが振り返ると、黄金の骸が群がろうとしていた。追いついたハンスが飛び出て、大きな斧を持った骸に槍を繰り出したが、竿がしなって押し返される。その重すぎる手応えにハンスは歯が立つような相手ではないと瞬時に実感してしまった。
無造作に斧が振り下ろされて槍が断ち切られ先端が弾け飛ぶ。
「何をしてる、ロートスなら食い止めろ!」
背後からの怒声を聞いてハンスは壊れた槍を握り直して奥歯を噛みしめた。ロートスはボッシュリード王国のためにある。見習いだとか、子どもということは関係がない。それは分かっていた。
「うあああああっ!」
先がなくなった槍を突き出してハンスは果敢に攻撃を試みる。だが黄金の骸にはビクともしない。無言で骸が振り上げた斧を槍で受け止めようとしたが力ずくでかち上げられる。ロートス得意の槍投げをしようと肩まで振りかぶった時、脇から別の骸が黄金の剣を振り下ろしていた。
「っ――あ、ぎ、いいいっ!?」
自分にかかった血にウェスリーは顔をしかめ、地に伏したハンスを見下ろす。
左肩から叩き切られ、痙攣しながら呻き身をよじって苦痛に耐えている。
「使えないガキめ……! く、来るな、この……!?」
倒れたハンスを雑草のように踏みながら黄金の骸はウェスリーに迫り、その黄金の大きな武器を振り上げる。ウェスリーに向けて鋭い刃が振り下ろされると同時に、その長大武器に槍が直撃して弾いた。
「遅いぞバーレント、何をしている!!」
駆けつけたバーレントはウェスリーの叱責など耳に入っていない。素手で黄金の骸を殴って叩き壊し、槍を拾い上げるなり大きく体を使いながら振り回して群がっていた敵を一度に薙ぎ倒す。
「ハンス! っ……ハンス……」
「おい! そんなガキはどうでもいい、さっさと安全なところまで連れていけ! 捨てていけ、そんなものは! 早くしろバーレント! バーレントぉっ!!」
虫の息でぐったりとしているハンスを腕に抱くバーレントにウェスリーが荒げた言葉をぶつける。
「そんなものだと――」
首だけで振り返ったバーレントの鋭い視線にウェスリーはおぞましい寒気と圧を感じ、息を飲んで腰を抜かした。惨殺された馬の血の中へ尻餅をつく。
「な、何だその目はっ!? 俺は王子だぞ、お前らの主だ! ロートス、言うことを聞けぇっ!」
「っ……!」
ハンスを抱いたままバーレントは立ち上がって、片手で槍を構える。
フゥフゥと息を荒げながら黄金の骸達と向き合い、数を一時的に減らしてから撤退するという意図があった。だがいきなり、黄金の骸達が武器を下ろして道を開けるように左右へどく。
「――その子、今なら僕だけが救ってあげられるけれど、どうしたい?」
「て、めえ……」
奥から歩いてきたのはゼノヴィオルだった。
「放置すれば、もうじきに死ぬ。どうしたい、バーレント?」
問いかけられてバーレントは青白い顔のハンスと、すぐ近く――ほんの一息で心臓を貫けるほどにまで歩いてきたゼノヴィオルを交互に見る。
バーレントの呼吸はさらに荒くなり、脂汗までがにじみ出ていた。




