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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期10 変革の刻
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ギリスの提案 ②


「補給線への攻撃ですか……」

「うむ……。伝令が命からがらに伝えてくれたが、いきなり夜襲を受けて焼き討ちらしい」


 朝になって天幕へ積もった雪を中から突いて落としていたギリスのところへ将官が伝えに来た。


「どれほどの人数だったのです? 伝令の者は敵の数について何か言いましたか?」

「姿は見ていないらしい。……少人数か、あるいは単身での襲撃だろう」

「セオフィラス・アドリオン、ということも考えられるのですね?」

「……うむ」

「目的地には辿り着きながら、撤退を余儀なくされ、駐留しようにも補給線が絶たれては待機することもままならないということですね……」

「一か八か、決戦に出るしかあるまいな。攻城兵器の工作を工兵に用意させよう」

「……分かりました。よろしくお願いします。殿下にはわたしからお伝えしますので」


 天幕に1人残ってギリスは椅子へ座る。

 補給線への攻撃は戦であれば常套手段と言える。丁寧に共立軍は見捨てた土地から、食料や民をしっかりと退避させている。時季的に収穫期は過ぎているが、雪の下でも育てられる根菜といった作物まで収穫はされていた。

 あらかじめアルブスでの防衛戦を想定していたというのは、これまでの情報から分かっている。

 それらの策がここにきて活きてきている。ただでさえ食料調達の難しい風節になってしまっている。飢えは簡単に兵の士気を下げ、軍勢を退けるのに十分な効力を発揮せしめる。


(セオフィラスとゼノヴィオルはどこかで連絡を取り合って連携をしているのか……。

 あるいはそれぞれの策が偶然にも効果的に重なっているのか……。

 もしくは打ち合わせることもなく通じてしまっている……?

 事前にセオフィラスがアルブスを発つ前に策を講じ、ゼノヴィオルがその通りに実行をしているだけとも考えられるが、この機にセオフィラスが動き出したのは偶然なのか。偶然であればまだ、いい。だが単身と思っていたところで背後に軍勢を展開されたら前後からこちらの兵が食い尽くされるかも知れない。

 調査のための人員を割けるか……。

 いや、決戦に出るならばそんな兵力を割くことはできない。

 正面からただ前と同じように攻めるだけでは次こそは敗北を喫する。……形勢逆転の策を練らなければならない)


 敵の牙城を目前にして補給線への攻撃を受けているという報せはタイミングとしてギリスには最悪に感じられた。だがそれをどのように実行したのか。あるいは偶然でしかないことであったのか。

 そここそがギリスにとって重要な情報だった。













 正午の鐘が鳴り、しばらく経ってからのことだった。

 ゼノヴィオルは基本的に終日をヴァラリオ坑道入口前の陣で過ごしているが、昼を過ぎたころに屋敷へ戻ることが多かった。着替えとレクサの機嫌取りのための時間である。レクサが屋敷にいなければ着替えだけを済ませて再び戻っていってしまう。

 自分の部屋でゼノヴィオルが1人で着替えていると、ドアがノックされた。返事をせず目だけ向けるとゆっくりと扉が開いてフランセットが顔を見せる。


「ゼノヴィオル様、よろしいでしょうか?」

「手短に済むならいいよ」

「市中へ買い物へ出かけておりましたら、所在ない様子の子がおりましたの。見兼ねて声をかけてみたら、戦で村を焼かれてしまって、ようやく先ほどアルブスまで辿り着いたと、そう言っておりました」

「戦争孤児なら養護院へ案内をしてあげればいいよ」

「ええ……わたくしもそう思ったのですが、その子は敵兵に目の前で両親を殺められたから、仇を討ちたいと。何か戦の役に立つことをしたいと強く言いまして……些事かとも思いましたが、もし、ゼノヴィオル様にお時間があればと考えまして。お会いになっていただけますか?」


 上着へ袖を通そうとしたゼノヴィオルからそれをサッと奪うように取り上げ、フランセットがほほえみ×。ゼノヴィオルが背を向けると彼女はそれをそっと着せた。


「分かった……。執務室に呼んで」

「はい、そのように」


 執務室に向かったゼノヴィオルは、いつものように席へは座らず壁際へ寄せ少しだけ並べられている椅子に腰かけた。そうしてしばらく待っているとまたノックの音がする。

 入ってきた少年――ハンスを見てゼノヴィオルは近くへ寄るように手招きをした。フランセットは恭しく一礼をしてから出ていく。ハンスは戸口に立ったまま、しばらくゼノヴィオルを見る。


「どうかした?」

「あまり年が変わらないと思って……」

「改めて目の当たりにすると、そう感じる?」

「……うん」

「そう。でもどうでもいいよ。戦でボッシュリード軍に親を殺されたと聞いたよ。敵討ちをしたいんだって?」

「違う」

「……違う?」


 静かに聞き返してゼノヴィオルは未だ、戸口に立つハンスを見つめる。


「手紙を持ってきた。……渡すようにって頼まれて」


 懐をまさぐるようにしてハンスはよれた便箋を取り出した。折り畳まれてはいるが蝋印で封はされている。それを差し出しながらハンスは近づき、ゼノヴィオルがそっと受け取って封を破る。


 ギリスのしたためた手紙を一読して、ゼノヴィオルは元の通りに折り畳んだ。

 それから何か考え込むように折り畳んだ手紙を挟んだ指の間でしばらく弄ぶ。


「きみはロートスの一族だね。そう書いてあった」

「他には……? 何て?」

「内容を知らないの?」

「字は読めないよ。教わっていないんだ」

「……ギリス・クラウディオという人からの手紙だね。

 きみをロートスの一族に生まれた、まだ見習いの戦士だと書いてある。

 手紙の内容は、こうだ。

 ボッシュリード軍は率いているウェスリー第一王子ではなく、自分が統率して動かしている。

 この手紙が定刻通りに届けられているのであれば3日後に再び進軍を開始する。そうしてアルブスを陥落させる。

 この戦を制した者が、新たな時代を築く偉大なる指導者になることを予感している。

 しかし敗者もまた新たな時代を切り開くに足る資質を備えていると信じている。

 勝利した暁には貴君を配下として迎え入れたい。

 貴君が勝利した暁には、貴君の望む未来のために我が手腕を振るいたい。

 ……そう書いてあった。要するに、彼が勝てば僕は彼のために、僕が勝てば彼は僕のために、今後、仕えようという提案だ」


 かいつまんだ内容をゼノヴィオルが説明する間、ハンスは少しだけ険しい顔をしていた。言葉が難しくいまいちハンスには理解しづらかった。


「自信家なのか、そうでないのかが分からない。

 僕を手に入れたいがために、こんな提案をしているのか……。

 あるいは僕の配下にただつきたくて、こんな伝え方をしているのか……」

「ギリスは……やっと目が覚めたんだ。老人のような濁った眼じゃなくなった。

 ずっと王子様が王様にふさわしいって言っていたのに、そうじゃないって気がついた」

「……そんなことを言っていいの?」

「知らない……まずかったかも」


 素直にハンスは苦い顔をしている。ゼノヴィオルは立ち上がって手紙を卓上の蝋燭の火へかけた。燃え移った炎が手紙を燃やす。半分ほどが燃えたところでそれを暖炉の中へ放り入れてから、ハンスに向き直る。


「きみは一度、彼のところへ戻るかい? それとも、ここで全てを眺める? 選ばせてあげるよ」

「……僕はお前の敵なのに、帰っていいの?」

「どちらでもいい」


 言葉を交わしながらハンスはゼノヴィオルを観察していた。

 一目見た時の印象はギリスに似ているとも思えたが、決定的に違うものがあると気がついている。

 ギリスは自身で抑圧をしていた何かがずっと溜め込まれているようなものを感じられた。だがゼノヴィオルはそれがない。一言一句に嘘や偽りはないが、胡乱な瞳の奥に何かどす黒いものを垂れ流している。それがハンスには不気味だった。


「……帰るよ。同じ空気を吸いたくはない」

「どうぞ」


 強大な敵に恐怖するのはロートスにとって恥である。

 それでもハンスは、ゼノヴィオル・アドリオンという男にはそれが賢明と思えた。腕力でも、武力でもなく。魔術でもなく、智謀でもなく。

 冷たさがあった。

 死んだ人間に触れて失われてしまった熱を知り、その死を理解するような冷たさ。

 心臓がないのに動く人間や、羽根もなく飛ぶ蜻蛉(とんぼ)や、剥がれた鱗だけで泳ぐ魚を見ているような気味の悪さと言えた。それは自然のものではない。嵐や疫病と同じ、抵抗の術なく耐え凌ぐべき災害と同じものとしか思えなかった。


 あれは人の姿に押し留められたおぞましい何かだと、アドリオンの屋敷を出たハンスは歩調を早くする。どこまでも行動を見られているような気さえして屋敷を振り返りながらアルブスを出た。

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