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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期10 変革の刻
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ギリスの提案 ①


「失礼します。薬を持ってきました」


 ロートスが用いている天幕へギリスが来ると、そこには雑用のために随行してきていたロートスの年少の少年達がいた。今の一族で最強であるはずのバーレントが疲労困憊となっただけではなく、ゼノヴィオルが投げ返した槍の一撃で撤退のために殿を務めていたロートスの戦士達――計24人が死んだ。

 それは力こそが絶対的という掟によって生きる彼らには衝撃的な事実だった。


「薬草を煎じたものです。少しずつでも構いませんから、1日かけて、この乳鉢の中を全て飲ませてあげてください」


 土臭い液体の入った乳鉢を渡された少年は、その臭いに顔をしかめる。


「バーレント殿は此度の戦の要とも言える、重要な御方です。

 早期の回復を祈っています。大変でしょうが、ご看病をお願いいたしますね」


 そう告げてギリスは天幕を出る。

 ボッシュリード軍はアルブス壁外の戦いから撤退し、カウエル邸まで戻ってきていた。

 あらかじめ仕込まれていた買収による兵達の腐敗という罠は、寸でのところで食い止めることができていた。

 逆にそれを利用してアルブスこそが邪悪な悪魔の住まう土地だと兵を鼓舞し、士気を高めることもできていた。


 しかし、立ちはだかったのはたったの1人。

 ゼノヴィオル・アドリオンという、戦の引き金にもなった少年である。

 彼はたった1人だけで何十、あるいは百にも迫ろうかという数の駒を作り出し、それだけでボッシュリード軍を退けさせた。ロートスが食い破ろうとしても真正面から受け止めてしまった。

 それだけに留まらず、バーレントと一騎打ちを演じ、引き分けに持ち込んでしまった。


 兄のセオフィラス・アドリオンなど比較にならぬ脅威とギリスは、遠くから眺めて評価した。

 しかし、壁の上で微動だにせず、黄金の骸達を操っていた姿は不思議な印象を抱いた。普通であれば恐怖するような光景だっただろうと自覚はある。実際に戦場で戦うことがないからだろうかと分析もした。

 それらを差し引いても、ゼノヴィオルの姿は脳裏にハッキリと焼きついて、やはり恐怖という感情は微塵も抱かなかった。

 あれは1つの理想の姿を体現しているのではないかとさえ考えてしまっていた。

 意のままに動かせる強力な軍団。そして耳にした話が真実であれば、アルブスというギリスも初めて見た大きな都市を不在の兄に代わって治めているという。短い期間での急速な都市化、発展。ザクザクと発掘される金という資源を持っているとは言え、その手腕には強い興味を抱かざるをえない。


「……ゼノヴィオル・アドリオン」


 あらかじめ、出兵前に人物としての情報は調べ上げている。

 恐らく知性は優れている。しかしあくまでも、平均的なレベルからは抜けているという程度で、とてつもない頭脳の持ち主という印象はなかった。

 ――だが、アルブスの都市化、兵を買収して戦場の最中で無力化しようとする策、単身でボッシュリード兵とロートスの戦士を食い止めた実力。それらを鑑れば傑物と称さるをえない。


 それはあるいは、このボッシュリード東部辺境より、新しい時代が始まるのではないかとギリスに予感をさせた。

 ウェスリーの初陣となる、この東部征伐の内戦が未来を大きく変えてしまう可能性。

 これまでに何度も起きた内戦や内乱であっても、ロートスさえ投入をすれば鎮圧は容易であった。

 が、そのロートスをもってしても鎮圧ができないのであれば、ボッシュリード王家の存亡さえ危ぶまれるものとなってしまう。


「ギリス――」


 声をかけられてギリスはバーレントの天幕から出てきたハンスを見た。


「バーレント殿の容体はいかがですか?」

「分からないよ……。こんなの初めてだ。傷はないのに、弱ってるなんて」

「力の代償とでも呼ぶべきものでしょうか……。あれほどの凄まじい力です、何かしら反動のような危険性があっても不思議ではありません」

「バーレントのアレは……ロートスの一族でも、先祖を含めて数人しかできないことだって聞いたことがある。先祖の霊魂を宿す……とかって聞いた覚えがあるよ。よくは分からないけど」

「霊魂ですか。……天の一式に属するのでしょうか……」


 そうであれば、ゼノヴィオルという強大な敵にバーレントが肉薄できたことをギリスは納得できると考えた。トレーズアークの詩によれば天の一式は地の一式には強い。それゆえ、ゼノヴィオルが魔術を主体にして戦っていたために一矢報いることができた。


「ねえギリス、これからどうなってしまうの?」

「……決して口外しないと、誰にもわたしの口にしたことを伝えないとお約束してくださいますか?」

「うん」

「盗み聞きをされても困ります、少し歩きましょうか」


 占領されたカウエルの邸宅と一帯は、今やボッシュリード軍の前線駐屯地と化している。

 近くの見晴らしが良い雪原までギリスは出た。とうに作物は収穫され、雪が大量に降り積もっている。


「ハンスさん、わたしは……この戦は二つに一つの結末しかないと考えています。

 無論それは勝つか、負けるかという終わり方ですが、恐らく、和平というものはないでしょう。

 そして我々が勝つことは非常に難しい」

「……負けを認めてしまうの?」

「いいえ、それは分かりません。やりようはあるでしょう。

 しかしここで勝利したとて10年後のボッシュリード王国も安泰とは思えないのです。

 アドリオンが周辺の諸卿達とともに反旗を翻した。鎮圧が叶ったとして、ロートスの戦士が出兵のころより考えれば半数以下にまでなってしまっていますし、殿下の威光が今回の戦で酷く鈍くなってしまいました。多くの将兵がそのことに気がついています」

「そんな先のことと王子様のことが、関係あるの?」

「ありますよ。常に先を見据え、今を動かしていかねばならぬのです」


 ピンとくるものは感じられず、ハンスは難しい顔をする。


「もう、怪我は大丈夫? 王子様に刺された時の……」

「痛みはありますが、問題はありません」

「……本当?」

「ええ」


 ちらちらとまた雪が降ってきてハンスが顔を上げた。

 ロートスの一族が住まう土地には雪はほとんど降ったことがない。最初こそはしゃいでいたが、今では寒いし歩きづらいしで、歓迎すべきものではないという認識になってしまっている。


「ハンスさん――もし、殿下ではなくわたしのために命を預けてほしいと頼んだら、あなたは聞き入れてくださいますか?」


 雪を眺め上げていたハンスはギリスにそんな問いかけをされ、目を丸くした。


「どういうこと?」

「長い間、殿下を支え、その善政によって国が栄えることを我が望みとしていました。

 わたしのような愚かで汚らわしい出自の人間には、そんな望みでさえも身に余るものと考えていました。

 しかし……殿下はわたしが思い描く王の器にはなってくださらないでしょう」

「ギリス……?」

「あなたは見ましたか? あの穢れた黄金の骸達を。彼らを操り、バーレント殿と切り結んだゼノヴィオル・アドリオンという少年を」

「……遠くから、見たよ」


 ギリスの言葉にハンスは不思議な怖れを感じた。


「彼はきっと、現在、ボッシュリードにおいて最も強い個人の1人でしょう。

 しかしその武力は彼が備えている資質の1つでしかないと考えています。

 わたしと同じ視点を備えているかも知れない……そう思うのです」

「ギリスと同じ?」

「……彼とわたしは、何か違うのでしょうか。相容れないものがあるでしょうか。

 もしも同じ視点に立ち、同じ未来を共有できるのならば、わたしは彼こそが、わたしの求める王の器ではないかと思うのです」

「な、何言っているの、ギリス? それじゃあギリスは裏切るの、国を?」


 冷たい風が2人の間を吹き抜ける。ギリスはにこやかな笑みを浮かべ、ハンス肩に少しだけ乗っていた雪を手でそっと払い落とす。


「この国はもう、終わるでしょう。

 それが数日後か、数年後か、十数年後かは分かりませんが、きみが年老いるまでには必ず。

 そうなればロートスは駆逐されるか、また飼い殺しにされるかしか道はないでしょう。

 ハンスさん、わたしとともに新しい時代を見てみたくはありませんか」


 老人のようだといつか指摘したはずのギリスの瞳に、光があるのをハンスは見つけた。

 負けそうになっているから寝返り、命を拾おうとしての発言ではない。そんなつまらない嘘ではないとハンスは理解ができた。


「……ロートスで生まれたら、最後までロートスだよ。

 こういう戦がなければ外へ行っちゃいけない決まりがあるから、僕は……」


 言い訳をするようにハンスは掟のことを口にする。それはハンス自身が、自分を納得させるために言い聞かせる言葉だった。ギリスは黙り、ハンスの言葉を待つ。


「ねえギリス……新しい時代に、ロートスの掟は、あるの?」

「それさえも、あなたが望むままに決めることなのですよ。

 あなたがわたしに協力してくれる限り、わたしはあなたにも協力を惜しみません」

「……決められないよ。だって僕はロートスとして生まれたんだ。掟は厳しいけれど、それがあるから僕らはロートスという戦士の一族でいることに誇りを持てているんだ。

 ギリスが……僕を必要としてくれるのは、嬉しいよ。

 だから分からなくなってしまうんだ……。

 バーレントを傷つけたやつなのに、ギリスは手を組みたいと言うし、でも僕はバーレントをあんな風にしたやつを認めたくはないよ。ギリスのことも、バーレントのことも大切だから」

「ロートスは例え己を打ち負かした相手であろうと、その強さに敬意を払うと聞いた覚えがあります。

 ゼノヴィオル・アドリオンがバーレント殿に打ち勝ったとしたら、決着をつけたとしたら、どう思いますか?」

「……バーレントが負けるなんて、想像がつかないよ。……ううん、つかなかった。けど、今のバーレントを見ると、そういうこともあるのかなと、思ってしまう。

 そうか……だからギリスはこんなことを言っているの? これが未来を考えるということ? 賢くなった気がするけれど、嫌な気分にもなってしまうよ」


 素直な言葉を使うハンスにギリスはにこやかにほほえむ。


「……でも、僕は、バーレントを信じたいよ。きっと負けないんだ、バーレントは」

「そうですか」

「もし……もしも、バーレントが負けてしまったら、ロートスの一族が負けることになるんだ。

 だからね、もしも、ロートスが負けてしまったら、僕はもう掟に縛られなくてもいいと思うんだ。

 こんなのズルいかな……? でもバーレントは負けないから、きっと、そうならないんだよ」

「狡くなどはありません。安易に信念を翻す輩の方がよほど信用がなりませんし、あなたのそういう純真さは得難いものですからね」


 雪の降り方が強くなってきてハンスが身震いしてからギリスへ寄り添った。


「早速ですが、あなたにやってもらいたいことがあります」

「何をするの?」

「わたしの個人的な手紙です。これをゼノヴィオル・アドリオンへ届けていただけますか?」

「……どうやって?」

「アルブスへ潜り込むのは難しくはありません。兵隊が来て村を襲われて、どうにかアルブスまで逃げてきたと、そう告げれば入れるでしょう。

 明日の正午、アルブス市中に伽藍という建物ありますから、その前で待ちなさい。あらかじめわたしが送り込んでおいた密偵が、あなたをゼノヴィオル・アドリオンに引き合わせます」

「みってい……?」

「味方です。ゼノヴィオル・アドリオンに会ったら、この手紙を渡してください。

 明日の正午に、アルブスの伽藍です。よろしいですね」

「……うん。でも僕が抜けて大丈夫かな?」

「バーレント殿のための薬草を探してもらっているとわたしから伝えておきます。

 着の身着のまま、その格好で行くのが良いでしょう。寒いかも知れませんが、お気をつけて」

「あっちだったね。行ってくるね」


 寒空を仰いでからハンスは雪の上を踏み出した。

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