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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期10 変革の刻
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ギリスの出生 ②


「わたしはボッシュリード王国の貴族の家に生まれました。

 しかし母は、夫に対して不義を働いていました。

 本当の父は、いえ、父などと呼んで良い御方ではないのですが種は、現ボッシュリード王陛下なのです」

「……よく、分からないよ。じゃあギリスは王子様なの?」

「いいえ。わたしに王位継承権はありません。

 ただそういうようにわたしはこの世へ生まれ落ちたのです」


 ハンスは呑み込めずに分からないとばかりに難しい顔をするばかりだが、ギリスは続けた。


「相手が誰であれ、姦通は許されざる既婚女性の罪です。

 母は全てを夫に打ち明けましたが、罪人としての烙印を押して追放したのです。

 そして……形だけの父、母の夫は、自らの地位を高めるためと、あろうことか国王陛下にゆすりを働きました」

「ゆすり?」

「はい。自分の妻ではない女と性交渉を持った罪を問い、黙っているために更なる高い地位を寄越せと持ち掛けたのです。地位こそが、貴族においては全てなのです。ロートスにとって、力が全てのように」

「……チイって、おいしいの?」

「はい。何よりもおいしいと思われているものです。いかなる蜜よりも甘く、どのような肉よりうまく、そして地位さえあればあらゆる悪さえも容認されます」

「それでどうなったの?」

「母の夫は、その後間もなくして、死にました。

 わたしの生まれた家は爵位という地位を約束したものを剥奪されました。

 残されたわたしや、姉弟はそれぞれに居場所を与えられ、バラバラに引き離されました」

「兄弟がバラバラで暮らすの?」

「はい」

「それは……とても酷い罰だよ」

「はい。その通りです。国王をゆすったのですから、母の夫はあまりにも愚かでした」


 木に寄りかかるようにしながらハンスはギリスの顔を見る。綺麗な、ロートスにはあまりいないタイプの顔だと思ってハンスはじっと見つめる。長い睫毛や、表情こそ穏やかながら瞳には深い憂いの色をたたえている。静かに水の湧き出る泉のようにハンスに見えた。


「わたしは精教会の修道院へ入れられました。6歳までそこにいましたが、ある日、わたしを引き取るという方がいらっしゃいました。その方はクラウディオ様と仰る貴族の方でした。一人息子が病で死に、この際、血は繋がらずとも養子をもらいたいという希望で修道院から子をもらおうと。わたしは物心ついたころから読書ばかりをしていましたので、賢い子をもらいたいというクラウディオ様の目に留まったのです。

 引き取られてからは、勉強漬けの日々でした。古今東西のあらゆる文献を読み、クラウディオ様に課題を収め、机へ向かい、ずっと羽根ペンを書に走らせ続けました。そんな折、クラウディオ様にある日、王城へともに参ると告げられました。

 そうして引き合わされた御方がウェスリー王子殿下でした。

 年はわたしの1つ下。王子殿下ともなれば周囲は世話役の侍女ばかりで、ともに遊べる相手もおらず、それは寂しいだろうという陛下のおはからいでした。クラウディオ様は城内に出入りする高い地位の御方でしたから、殿下の遊び相手として我が子を、とわたしを選んでくださいました。友達役というものです」

「トモダチ?」

「あなたにとっては、同年の兄弟というようなものと考えた方が良いかも知れません。

 それから、わたしは父の登城とともに城へ向かい、殿下とともに時を過ごしました。勉強は好きでしたので、城へ行って殿下と遊べばその時間が取れぬと最初は嫌がったので、よく殿下には叱られました。どうしてもっと面白そうにしないのだと棒でぶたれましたが、殿下に手を出すこともできないので一方的にやられるばかりで……。しかし一方的に、したたかに棒で殴るというのを殿下はお気に召してしまい、何かとすぐに叩かれ、あのころはいつも体中へ痣をこしらえてしまっていました」

「……みっともない」

「ええ、みっともない限りのつまらぬ人間なのですよ、わたしは」


 幻滅したようにぼそりと呟いたハンスを肯定したが、少年はむっとする。

 ロートスの男子であれば、暴力には暴力でやり返さなければならない。喧嘩は肯定されるが、一方的に打ちのめされていいのはあまりにも力の差があるばあいだけの話だ。抵抗をしなければ男ではない。

 だがあっさりとそれをギリスが認めてしまい、面白くなかった。


「ですが、殿下と過ごす内にわたしは知りました。

 殿下が一言、腹が減ったと仰れば侍女がおやつを持ってくる。

 殿下が少し眠たそうに目をこするだけで、侍女が昼寝の支度をする。

 一挙一動でその場の誰もが殿下のために動き始めるのです。

 素晴らしいことだと、天啓を得ました」

「……素晴らしいって何が?」

「己が動かずとも、その存在感を持って人を使う才覚です。

 恩義や、情で動かすのではなく、その方だからと無条件に動くのです。

 殿下をご覧になられていて、ハンス殿はどう感じられます。率直に、素直に」

「……ギリスが王様になればいいのに」

「わたしなどに、そのような大役は務まらないのです」

「だって王子様は…………言っても、いいの?」

「それです」

「え?」

「悪いことを言いかけて、それをあなたは(はば)りましたね」

「違うよ、僕はギリスが……王子様を大切に考えてるから、悪いと思ったんだ」

「ええ。しかし、そうして尊敬を集めているからこそ、悪口も憚れるのです。わたしのような者が大勢いれば誰も悪口を言わぬと思えるでしょう?

 それが王の器なのです」

「……ギリスは、難しいよ」


 足元の小石を爪先でこつんと蹴ってハンスは拗ねたように呟く。


「ギリスの方がすごいんだ。

 ギリスが王様になればいいのに。

 だってギリスも王様の種なんでしょう?

 器だなんていうなら僕が、ギリスの悪口をバーレントにも言わせないようにするよ」

「……まだ、あなたには難しい話だったでしょうか」

「ギリスはどうしてそこまで、王子様のために尽くそうとするの?」

「それは簡単な話ですとも。

 殿下の善政による平穏と発展こそが、わたしの望む未来です」


 ハンスの頭をそっと撫でてギリスがほほえみを浮かべる。

 その穏やかな瞳の奥にある憂いが、ハンスには分からなかった。


「じゃあどうして、ギリスの目は……キラキラしていないの。

 バーレントが言っていたよ。

 瞳に光がないやつは、未来を見ていないんだって。

 そういう瞳をするのは死ぬ前のお年寄りなんだって」

「……存外に」

「何?」

「バーレント殿は良い兄君なのですね。

 さあ、そろそろお戻りなさい。

 バーレント殿がまた荒れるようでしたら、あなたが慰めてあげてくださいね」


 促すようにギリスはハンスの背を叩いたが、一歩踏むだけでハンスは行こうとしなかった。


「ハンス殿」

「……僕はお年寄りが好きなわけじゃないけど、そのギリスの瞳は綺麗だと思う。どうしてだろう」

「……姉が、います。姉にも瞳が綺麗と、今のあなたのように言われた覚えがありますが、彼女もまた、わたしの胸の内を話してもあなたのように聞き分けてはくれませんでした。

 そればかりは、分からないことの1つですね。さあ、戻りなさい」


 ハンスはちらちらとギリスを振り返りながらも、今度は戻っていった。

 小さな歩幅で行きながらハンスは考える。

 王の器というものがあるならば、ギリスが言ったものとは違う気がした。この人にならばついていきたいと、従いたいと思う人間こそがそれに当てはまるのではないか。

 であれば――ギリスは、その王の器を持っている。


 戦が終わるのがハンスはたまらなく寂しかった。

 このままだとギリスとは会えなくなる。ロートスの戦士として成長する将来を望まれていたとしても、別のものになりたいという欲求がハンスの中に生まれていた。


 しかしロートスには前例がない。

 その道へ踏み込むには一族の掟を破らねばならない。


 なりたいものになれないのは、どれほどの苦しみだろうかとハンスは想像した。――思い浮かんだのは、ギリスの憂いのある瞳だった。

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