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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期10 変革の刻
173/279

ギリスの出生 ①


「まったく……雪のせいで進めないとは、軟弱だ」

「この降り方です。無理に進んでも疲労が溜まるばかりかと」


 カウエル王国を目指している最中の大雪で、ボッシュリードの軍勢は足止めを余儀なくされていた。イグレシア城を出た本隊は、まだ旧デールゼン領を出てはいない。

 東ボッシュリードの浄化を目的としたこの戦は、各地を焼き払うこともその目的となっている。しかし数が多いだけ補給にかなりの時間と手間がかかってしまっている。そこで食糧の豊富なカウエル王国で一気に物資を補充しようという考えがあった。

 残る他のドーバントン、クラウゼンはそれなりに戦への備えがあるので後回し、アドリオンは最東端であるという事情もあった。


「もっと早く進めていれば、こんな何もないばかりの雪原で待つなどということもなかったというのに」

「ええ、殿下の仰られる通りでございます。ワインを温めてお持ちいたしましょうか?」

「いらん。それよりも雪の中を進む方法を考えろ」

「雪の中を、ですか……。工兵長と相談をしてみましょう」

「早くしろ。俺の考えではとうにアドリオンを焼いて暖を取っているところだったんだ」

「はい」


 甘すぎる見立てを指摘せず、ギリスは頭を下げてウェスリーの天幕を出た。

 工兵隊の天幕へ向かう途中、雪を踏みながらギリスは自分の靴を見つめる。


「縄……いえ、蔓、でしょうか。試作が少なく済めばよろしいのですが……」


 工兵長を見つけてギリスは靴に細工する方法について言葉を交わした。

 靴の底へ体重を分散させるような、輪っかと、それを支える軸とをつける。問題はその素材だった。硬さと軽さ、そして加工の容易さを備えたものが必要だ。そして、何より大量に手に入るものが必要だった。

 その話を聞かされた工兵長は無理難題とばかりに苦い顔をしたが、ギリスは近くで採取のできそうないくつかの植物の名と特徴を挙げ、職人のものには及ばないながらも簡素な図面まで引いて見せた。すると工兵長の表情も変わり、すぐに部下の工兵を素材採取の探索へと出した。


 東部浄化の遠征が始まってから、兵達の中ではウェスリーの人気が高まっている。

 些細ながらも画期的なアイデアを出しては軍を率いている将軍という立場で、即座に実行へ移す。その結果として支持が急速に高まっているのである。

 しかし一部の――例えば、今回の提案を受けた工兵長などは、ウェスリーではなくギリスの手腕として見ていた。ギリスの口から伝えられた案というのは全てウェスリーの発想と()()()()いるが、普段の言動を見ていればとても()()()()()()着想するとは思えないのである。

 だがそれをわざわざ口にする者もまたいなかった。ウェスリーが次の国王になったとて、ギリスが変わらずそばに仕えていれば何も問題はないと思わせられるためだ。どころか、強力なトップダウンの命令を下せる賢君とさえなるかも知れない。

 そんな期待まで含み、彼らは何も気づかぬふりをして口をつぐむ。


 工兵長との打ち合わせを終えてギリスはすぐにウェスリーの天幕へ戻った。

 しかしその天幕の入口で足を止める。中から聞こえてきた女の嬌声に気づいたのだ。別の用事を片づけようかとギリスは踵を返し、そこでバーレントが近づいてきているのを見た。背を正して彼を迎えるようにギリスは歩いていく。


「こんにちは。殿下にご用事ですか?」

「やっぱ俺はあの河の方へ戻る。戻らせろ」

「理由をお聞きしてよろしいですか?」

「決着をつける」

「……死亡しているものと思われますが。あれからずっと捜索隊を出していますが、遺体も、目撃情報も上がってはいないそうです。海まで流されてしまったのでしょう」

「構うもんか、死体を見るまで俺は納得ができねえ。俺だけでも行く」


 断固とした口ぶりに止められる余地を見出すのは困難だった。

 戦士と戦士が惹かれ合い、殺し合いを望む。そんな習性めいた心理をギリスは理解することができないが、そうなのであろうということを知識としては得ている。

 この場を口先で諭したとて、セオフィラスという戦士への強い執着心をバーレントは捨てられない。ならば別のことに気を向かせなければならぬだろうとギリスは冷静に思考を巡らせる。


「かしこまりました。殿下にはわたしから、お伝えいたします。

 ですが、この先――アルブスという都には、セオフィラス・アドリオンの実弟がいます」

「弟?」

「ええ。彼もまた、兄と同じ師について剣を学んだと。

 加えて……この戦の発端となった、ユーグランド邸襲撃事件においても、彼はユーグランド卿の私兵をたった1人で何十人と切り殺したと。火打石もなしに、魔法のように火を放ったりしたとも言われています。

 ロートスの一族が、あなたや、セオフィラス・アドリオンの持つ力を何と呼ぶかは存じ上げませんが、我々は人の一式・気力とお呼びしています。セオフィラス・アドリオンの実弟、ゼノヴィオルは人の一式に加えて地の一式というものまで使えるものと想定をしています」

「……ハッ、それがどうした」

「恐らくはセオフィラス・アドリオンよりも腕が立つかと」

「だが、アドリオンの黒狼王じゃあねえ」

「ええ。しかし麗しい兄弟愛があるとも耳にしております。

 弟の窮地となれば、生きていれば必ずや駆けつけるはずではないでしょうか。それはロートスも、他の者も同じであると考えています。

 まずは弟のゼノヴィオルを。

 それから、怒りに燃え、さらなる力を引き出すかも知れぬ本命を。

 そのような順番はいかがでしょうか、バーレント殿」


 ギリスの提案は、当初はもう我慢ならぬと憤懣(ふんまん)していたバーレントを思い止まらせるのに十分な魅力を与えた。何よりバーレントの胸に響いたのは、ゼノヴィオルの存在だった。

 ロートスは兄弟を愛する。兄や弟がいるのが当然であり、男同士であれば誰もが兄弟とも言える。全員が兄弟であり、一族の全てが家族とも言える強い心情的な結びつきを持つ。だからセオフィラスの実弟という標的を殺せば、必ず兄が出てくるという理屈にも納得ができた。


「ゼノヴィオル・アドリオンがいるアルブスは、この戦の最終目的地です。

 あるいはそれより早く出てくることもあるかも知れませんが、兄が外交、弟が内政というように分担をしているように見えますので、最後の最後まで出てこないかも知れませんが……。しかし、いずれは辿り着くはずです。

 それまでどうか、お留めください。必ずや(まみ)えるはずです」


 バーレントを仮設の兵舎へと帰してからギリスは遠回りをするように、ロートス用の仮設兵舎へ回り込んだ。ただ待機を命じられ、兵達は暇を持て余して寝るか遊ぶかをしている。

 だが軍に同行している飯炊きの女達などは休みとはならない。そんな彼女達と同じような働きを、ロートスの戦士達とともに随行している、ロートスの戦士見習いである少年達も担っている。食事の支度こそ、軍の飯炊き女がするが洗濯や、日常のこまごまとした仕事は彼らの仕事となっていた。


 それをギリスは知っていた。

 仮設兵舎とされている天幕の裏で洗濯をしていたハンスを見つけ、ギリスは足元の小石を投げる。

 自分の足元へ転がった小石にハンスが気づいて顔を上げ、周囲を見ると物陰へ立ってにこやかに笑みを浮かべているギリスを見つけた。

 抱えていた洗濯物をやや乱暴に紐へかけるように干してから、同じ年頃の兄弟達に先に遊んでくると声をかけてまっすぐギリスの方へ走っていく。


「ギリス、どうしたの?」

「最近、バーレント殿の様子はどうです? 少し歩きながら話しましょう」

「バーレント? ずっと、決着をつけるって言ってる」

「そうですか……」


 どうしてそうも強い執着をするのかがギリスには分からない。

 ハンスを連れて歩きながらギリスは人気がない林の方へと向かう。


「ギリス、この戦が終わったら、もうギリスとは会えなくなっちゃうの?」

「……そうですね。あなたはバーレント殿のように強く、立派な戦士となってください。それがボッシュリード王国にとって、最善の将来なのですから」

「……また会いたいよ、ギリスと」

「あなたはロートスの一族に生まれ、バーレント殿という立派な兄君もおられるのです。それは幸運なことですよ」

「でも――」

「あまり、この話は他人に聞かせないのですが……わたしの昔話をしましょうか。

 面白いお話ではありませんが、あなたがそれほど純粋に慕ってくれている、お礼のようなものと思って聞いてくださいますか?」


 林の中でギリスは足を止めて足元の白い雪をおもむろに手ですくいあげる。

 それをギュッと握って、何もせずにまたぽとりと落とす。


「わたしはボッシュリード王国の貴族の家に生まれました。

 しかし母は、夫に対して不義を働いていました。

 本当の父は、いえ、父などと呼んで良い御方ではないのですが、種は現ボッシュリード王陛下なのです」


 ハンスには不倫という概念も、姦通という罪も分からなかった。ロートスにはそのようなものがない。しかしギリスの話は少年の胸に重く響いた。


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