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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期10 変革の刻
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主従の信 ②


 サーリア領は大河イグレシアの河口を挟んでクラウゼンと隣り合っている。

 しかしその海沿いの漁村はヘクスブルグほどの大きな港があるわけでもなく、出ていくのは漁船ばかりだ。獲れた魚も村の人間が食べられるわけではない。税として漁獲量のほとんどを納めなければならず、生活は苦しいものだった。

 ウェスリー王子の名で出された各地の領主への命令は、兵として人員を寄越すこと。そして物資の要求であった。この名もなき漁村はとにかく大量の魚を寄越すようにとサーリア領主の命令を受けた。魚から取れる油が目当てだった。食べるわけでもないのに、食い扶持を減らすかのように魚を取られ続け、漁村はもう活気などとは縁遠い様相を呈していた。――まして、戦争のために働き盛りの男は全て取られてしまっているのである。


 ただただ、活気もなく、寂しい様相を見せる漁村だった。

 換金か、あるいは物々交換をしようと思って手の中にしまいこんでいた指輪を握る拳に思わず力が入るのをカートは感じる。

 これが本当にボッシュリード王国なのか――と今や敵国の、しかも王に直接仕えているというような立場でカートは落胆めいたものを抱いた。貧乏な貴族の五男坊に生まれたカートの生まれ育った町は、確かに裕福ではなかったがこうも活気のないところではなかった。

 心なしか、聞こえてくる波の音さえも寒々と感じてしまう。


 空はどんより曇っていて、吐く息は白くなる。風も冷たく、もう暦では風節なのだと首を竦ませながら思いつつ、カートは漁村を歩いた。

 ここへ来たのはセオフィラスに栄養をつけてもらうために肉を手に入れることと、何か戦のことでこちらの状況が分かる話でも仕入れられないかという考えによるものだ。

 掘っ立て小屋も同然のような家々を眺め、どこかに宿屋でもないかとカートは歩き回った。

 そしてようやく、酒場も兼ねているような宿を見つける。ここがアルブスであったならば、躊躇はしても踏み込みにくいということもなかったが――見知らぬ土地では、どうしても少し勇気が必要だった。しかしこれも全ては主のためと自分に言い聞かせてバタ戸の入口を手で押しながら中へ入る。魚の臭いが強かった。生臭い、潮臭い、そこに酒の臭いまで入り混じって、どうにも不快な悪臭となって立ち込めている。


「……」


 サッと店内を見渡し、カートは身なりの綺麗な男達を見つけた。2人組で退屈そうに話をしながらエールをやっている。

 カートは恐らくは役人だろうと当たりをつける。とてもここの村の人間とは思えない綺麗な身なりであるし、飾りのような剣を腰に吊るしている。

 このような漁村で、村人から詳しい話を聞けるとは思えなかった。しかし役人であれば情報はきっと仕入れているはずと思えた。


 問題はどのようにして情報を仕入れるかという点にあった。

 直接、戦争がどうなっているか知っていますかと尋ねて何の疑問も持たれないとは思えない。何か一芝居打った方が得策だ。どうしようかと考え、パッと浮かんだのが良策とは思えなかったが、まあいいだろうと決める。


「すみません、あのっ! お役人さんですかっ!」

「ん? 何だ、小僧?」

「グリングベール男爵家の五男、カートと申します!」

「グリングベール?」

「実は食い扶持減らしに勘当されてしまいまして……。あてもなくふらふらと歩いていたら、こんな田舎に出てしまったんです。人助けと思って、何か恵んでくれませんか?」


 バカな世間知らずを装ってカートは作った愛想をたっぷりに彼らの間へ割って入る。人懐っこい、愛嬌だけで頭は空っぽなふりをして、きょろきょろと2人の顔色をうかがう。


「人助けなんかしてる余裕があるか」

「どこかへ行け」

「そこをどうにか、肉の一切れでいいんです、お願いしますよ」


 邪見にされてもめげず、カートは手を合わせて弱ったような笑みを浮かべる。

 乞食紛いのことをしても良かった。とにかく栄養のあるものを手に入れて、情報を仕入れられればどんな道化にでもなろうと決めている。


「鬱陶しいな、消えろ」

「じゃあ、せめて何か稼げる話とかありませんか? ほら、お役人さん達も何か急いでるわけじゃないんでしょう?」

「そんなものがあれば自分でやる」

「ええ? こう、何か流行しているものとか、ありませんか? ないんですか?」

「流行なんぞに乗る余裕があるか」

「どうしてですか?」

「知らないのか、小僧?」

「東の辺境貴族どもが独立などと言って国に反旗を翻してるんだ。最初こそ、あのユーグランド卿の軍勢を退けさせたが、第一王子のウェスリー様が率いてロートスの一族を投入したら、イグレシア城がすぐに落ちた」

「イグレシア城が? ……それから、どうなったんですか?」

「どうもこうも、このまま東部を焼き尽くす行軍だ。一度、全て焼け野原にするらしい」


 イグレシア城が落とされたというのは予想こそしていたが、こうして聞かされるとカートにはショックなことだった。セオフィラスをあの戦場から離脱させてしまったのは他ならぬカートだ。主の命を守るための選択ではあったが、それは主が守ろうとしていたものを失わせる行為となってしまった。果たして、どちらを選ぶのが良かったのか――その答えは分かるはずもない。


「それで……お役人様は、物資を集めるとか、そういうことをされてるんですか?」

「ああ、そうだ。とは言え集めるのは魚ばかり……」

「魚油なんかのためにこんなところへ送られて……飲まないとやってられん」


 食料でも運んでいれば、それをどうにか奪って食べ物を手に入れられたかも知れなかった。だが魚油を奪っても腹は膨れないし、ひいてはセオフィラスの栄養の足しにもならない。


「魚油というのは、魚の油ですよね? それはどこで作ってるんですか?」

「どうでもいいだろう、うるさいガキだな」

「いいじゃないですか。何か儲け口がないかって僕も必死なんです」

「だったら軍にでも加わればどうだ。飯も食えるぞ」

「……それって、どこまで行けばいいんですか?」

「さあな。だがでっかい輸送をしてる集団を見つければいいだけだ。追いかけて志願すりゃあいい。補給線の先にゃあ、腹を減らせた軍団だ。やつら、万年、飢えてる豚みてえに何でも食いやがる。下手な貧乏暮らしよか腹は膨れるぞ」


 食べものは手に入らなかったが、とりあえず情報を仕入れることには成功してカートは酒場を出てから頭の中を整理する。

 イグレシア城は落ちた。その後の動きは不明だが、補給が続いているということはイグレシア城の先へと軍は動き出している。早く戻らなければそれこそ取り返しがつかなくなるのだろうという予感が働いた。


 補給線。軍隊を動かすための、生命線ともいえるそれを攻めようというのは戦の基本であるというのをカートも理解はしている。もしも、この補給線を一時的にも途切れさせられたらそれだけ進軍も止まる。


「魚油、か……」


 油にしてしまうより、焼いて食べたい。

 ひもじいお腹をさすりながら、カートは食い下がって教えてもらった魚の集積場へと向かった。辿り着くころには夜だろうかと考え、空っぽの胃を慰めるように何度も腹をさすってとぼとぼと歩いた。

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