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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期10 変革の刻
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主従の信 ①


 ――イグレシア城、そしてその城下が完全に落ちたのは、ロートスの戦士達による強襲から6日後のことだった。

 ロートスの侵入と火矢による火災で混迷した城内に、1万もの兵が押し寄せたのである。

 市街へ繋がる跳ね橋は上げられて逃げ場がなくなったイグレシア城内にいた兵達は次から次へとロートスに、そして数の暴力によって蹂躙されていった。それでもドーグが少ない兵をまとめ上げて市街への跳ね橋を上げたままに防衛していた敵兵へ攻撃を仕掛けて一時的に奪還した。

 その隙にベアトリス、ドーバントン、そしてパウエルと城内にいた数からは少数の兵は市外へ逃れた。殿を務めたドーグはギリギリまで味方を逃がそうとし、最後に橋を壊すように指示をして自らは城内へ残り――討ち死にをした。


 それからはイグレシアの城下の住民を巻き込んだ市街戦となった。戦えない女子どもは早々に逃がされ、それ以外は全員が戦いに臨んだ。生まれ育った町を焼き、思い出の詰まった家を打ち壊し、そうして敵の進む道を制限しながら分散させたところを攻撃していった。

 しかしその戦法が通じたのはほんの半日だけだった。ロートスが1人いれば10人以上が束になっても容易に薙ぎ払われてしまう。しかし市街戦だけに共立軍が活路を見出したわけでもなかった。それを陽動にしてロートスがイグレシア城から出払い、丁寧に蟻を踏み潰すかのようにイグレシア城下を蹂躙しようとする敵軍に対してまたしても奇襲をかけたのだ。

 少数でイグレシア城へと潜入して電撃作戦でウェスリーを狙うという作戦だった。

 しかしそれも失敗に終わった。まるで来るのを予見していたかのように、ウェスリーが控える一室に伏兵が配されていたのだ。その場で潜入した兵は圧し潰されるように殺されていった。


 それからも共立軍は手を変え、品を変えて抗った。

 補給線を叩きに出たし、市外へ敵兵が出ていったタイミングを見計らって突貫で作られた橋を破壊もした。しかしその悉くが、兵力という数字によって圧殺されてしまっていた。


 共立軍の死者は数千にも上った。

 彼らがここまで必死に抗ったのは、きっとセオフィラスが戻り状況を劇的に変えてくれるはずだという希望によるものだったが――その英雄はイグレシアが落ちても、行方を暗ませたままだった。


 活躍を重ねたのはアルブスからセオフィラスとともに来たカフカだったが、彼の1人きりの活躍では戦況をひっくり返すこともできなかった。


 ボッシュリード軍にも、共立軍にも、セオフィラスの行方は掴めてはいない。

 大河イグレシアへ流されて、もうすでに命を落としているのではないかと考える者も少なくはなかった。











「う、ううわあああっ!?」


 外から聞こえてきたカートの悲鳴を聞いてセオフィラスは膝に手をつきながら立ち上がり、スリングと小石を手に持ちながら洞穴を出る。僅かな傾斜がある森の中。カートは尻餅をついて痛みに耐えるようにただその場で硬直していた。スリングだけをポケットにしまい、小石を捨ててセオフィラスは尻餅をついているカートに歩み寄る。


「滑って転んだ?」

「はい……って、セオフィラス様、お休みになっててくださいっ!」


 手を貸されて起きたカートは自分の尻をさすっていたが、すぐセオフィラスに注意する。が、主の細められた何とも言い難い苦い顔を見てたじろぐ。


「すみません……」

「あーあ、色々こぼしちゃって……何か、カートってこんなに、何か、あれだったっけ?」


 のろま。間抜け。どんくさい。

 そんな言葉をあえて使わずにセオフィラスは滑った拍子に地面に落ちてしまったらしい木の実や果物を拾い集める。カートも膝をついて地面へ這いつくばるようにしながらかき集めた。


「すみません……」

「口を突けばそればっか……。謝るなよ、すぐに。卑屈になってるぞ」

「はい……」


 大河イグレシアを挟んだ西側――ボッシュリード王国サーリア領というところの森の中にセオフィラスとカートは潜んでいた。

 バーレントから逃れるためにカートはセオフィラスを突き落とすように、自分も落ちながら大河イグレシアへ身を投げた。大河の流れに呑まれ、とても自力で岸へ這いあがれないと悟ったセオフィラスはスリングで自分とカートの手首を結び、とにかく必死に水面へ顔を上げて息をすることだけを考えながら夜が明けるまで流され続けた。

 そしてサーリア領というイグレシアの河口に近いところへ流れ着いた。かろうじて溺れ死ぬのを免れたが、そこでセオフィラスはとうとう限界を超えていた体力の底がついて再び昏睡した。

 カートが目覚めたのは昼過ぎといったころで、起きてすぐにセオフィラスの息があることを確かめて安全なところを探して主を背負って歩き出した。空腹で、ずっと水に浸かって冷え切った体でカートも熱を出していたが必死に歩いて森の中で雨風を凌げそうな洞穴を見つけてそこに避難した。

 カートは独力で火を起こせなかった。色々と試みたが、結局、火打石がないと何もできやしなかった。凍えながら、せめて食料をと森の中をさまよってみたが可食できるものとそうできないものの見分けもつけられなかった。

 結局、2日も絶食状態のままに膝を抱えてセオフィラスが目を覚ますのをずっと待っていた。


 ようやく意識を取り戻したセオフィラスも衰弱していたが、森の知恵というものを彼は知っていた。

 生のまま食べられる野草、木の実、果物をどうにか採取してカートに教えた。それから火を起こした。火打石こそないが、セオフィラスは乾いた木を擦り合わせ、摩擦熱で火を起こした。また火起こしをするのは大変だから火が消えないようにと言いつけた。

 何から何までセオフィラスにしてもらったカートは、がっくりと落ち込んだ。まして体調の戻っていない主人にさせたのだ。

 いかに自分が無能で、無力で、無知かと思い知らされたような心地だった。


 そうして森の中で体調が良くなるのを願いながらカートはセオフィラスの世話をして過ごした。朝から晩まで食料の採取に明け暮れた。しかしたくさんの食料を手に入れることはできず、体力を回復するのに十分な栄養など摂れていない。このままではじり貧で、ずっとこの洞穴に縛られ続けることになるかとも思われていた。


 だからカートは、セオフィラスが僅かな食料をつまむようにもぐもぐ食べ終わるのを待ち、意を決して主人に自分の意見を口にしてみた。


「セオフィラス様……。近くの街か、村かに、行ってきてもいいですか?」

「……何をしに?」

「肉を、もらってきます。それから……戦がどうなっているのか、もし手に入るなら情報も」

「分かった……。気をつけてよ。まだちょっと、遠出するには、体がつらいから、頼むよ」

「は、はいっ。任せてください!」


 何度も何度も、カートはこの数日間で思った。

 セオフィラスはやさしい。思い返せば、やさしくない時などはなかったのではないかとも思った。

 捕虜を解放するために罠の可能性まで考えた上で、たった1人でイグレシア城を出ていった。勝手な判断でイグレシア城を離れることになる選択をしたことに何も触れずにいる。火も起こせず、食料も調達できないことを責めもしなかった。

 だからカートは尚更にセオフィラスの役に立ちたいと思った。

 もっと自分に力があれば命を擲つことも厭わないが――生憎と、そんな働きができるわけではなかった。せめて身を粉にして働き、尽くすしかない。


 朝になってカートが人里を探しに出ていった。随分と早い時間から食料調達に出て、少し多めに食料を確保してから出ていった健気な部下を見送ってからセオフィラスは木の実を口に含む。苦味が強くて、決しておいしいとは思えないそれを一粒咀嚼し、飲み下す。


 それから、はあ、とセオフィラスらしくないため息を漏らした。


「……大丈夫かな、あいつ」


 この数日間――セオフィラスはカートの心配ばかりしている。

 態度に出さぬよう努めていたが、心身がかなり追い詰められていてとてもいつもの働きをしてくれずにいる。それがもどかしいし、火も起こせない、森の中にいて食べられるものも見つけられないという事実を知った時には体調のせいではない眩暈(めまい)さえ感じた。


 このままカートを置き去りにして、1人でイグレシアを渡る方法を見つけて戦へ戻った方がいいのではないかと何度も考えた。きっともうカートはついてこられないだろうと見切りをつけたい自分がいた。

 しかし無能なりに必死にやっているカートを見ていたら、そうできない心情もある。だから迷っていた。


「……置いていくべきか、連れていくべきか……」


 うまくない木の実をまた口へ放り込んで、セオフィラスは呟く。

 いてもいなくても変わらない。それがこの数日で及んだセオフィラスの結論だった。

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