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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
幼少期2 ベアトリス・クラウゼン
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視察の終わり ①



「ようやく終わったとは言え、やっぱりたった7つの村落しかないなんて、アドリオンはしょぼいわね……」

「しょぼいって言うんじゃねえ! アドリオンにはこの雄大な自然が!」

「自然ではなくて、単に切り開かれてない土地が多いだけのド田舎って言うのよ」

「ぐぬっ……!」


 アドリオン領内にある7つの村を巡り終えた夜のことだ。

 すでにボッシュリード全域で主流となりつつある、三圃式農法というものをベアトリスは伝授していた。どうしても収穫までに時間がかかってしまうために、その有用性をその場で見せつけることはできなかったのだが彼女は学のない農夫を説得するだけの話術を持っていた。そして、この三圃式農法を使えば減税をすると言ったのが大きな後押しとなっていた。



「皆さん、食事の用意ができました」


 後にした村で一泊して行けば良いとヤコブは言っていたが、ベアトリスはそれを撥ね除けて日が暮れかけていたにも関わらず馬車で出発をしていった。夜になって、進むのが危ないほどに暗くなってから彼女は馬車を止めさせて食事を用意させていた。


「坊ちゃん、熱いんで気をつけてください」

「うん」

「セオくん、どんなに些細なことでもお礼の言葉を欠かしてはなりませんよ」

「はあい……。ありがと、ヤコブくん」

「あのね、坊ちゃん……だから、ヤコブくんっていうのは……くん、ってつけるのは……」

「やだ?」

「い、いえ、嫌だとは直接的に言いやしませんけどもね……」

「じゃあヤコブくん」

「……もういいですよ、それで……」

「ふふっ……ありがと、ヤコブくん」

「はい、どういたしまして……坊ちゃん……」


 夕食はスープだけだ。具は最後に三圃式農法を教えた村でもらってきた野菜が中心だ。適当に鍋へ放り込んで、適当にぐつぐつと煮て、適当に岩塩を削っただけの料理である。



「ところでベアトリスさん、この視察でずっと疑問に思っていたことがあるのですが質問してもよろしいですか?」

「あら、何でもかんでも見透かしているかのようなあなたが質問だなんて殊勝ね? 許してあげるわ、質問をしなさい」

「恐悦至極にございます。――では、遠慮なく。

 どの村でも、あなたの指示した方法で作物を収穫したり、魚を獲るのであれば税を減らすと約束をしていらっしゃいました。そして、余剰分の食料は別の物品と交換をする、とも。ですが、それでは今年、アドリオンがボッシュリードへ納める分の税が確保されません。前年はミナス殿の喪ということでボッシュリードへの税は免除されたようですが、今年の分はその分も含めて献上しなければならないとうかがっています。あなたが未来のために食料生産率を向上させるのはとても良いのですが、目先の問題をどう解決されるおつもりなのでしょうか? どうか、この学のない剣士にご教授いただけると幸いです」


 ヤコブはアトスの質問にぽかんと口を開ける。セオフィラスも言葉の意味が分からず、首をひねる。カタリナはちらとベアトリスへ視線を向ける。


「この件についてはオルガ様ともお話をしてすでに決めてありますわ。

 今年のボッシュリードへの納税は、クラウゼン家が肩代わりをいたします」

「へ……? じゃ、じゃあ、今年はボッシュリードにアホみたいな量の食料を届けさせなくてもいいっていうのか? ……あ、あんたっ……あ、ああいや、いやいや、ベアトリス様っ、いい人なんじゃねえか!」

「暑苦しいし鬱陶しいから、その愉快な頭で考えたことをすぐ口に出すのはやめてくださる?」

「んなっ……!?」


 冷視されて感激しかけていたヤコブが固まり、セオフィラスがぽんぽんと慰めるように彼の膝を叩いた。


「これは貸しですわ。そして、投資でもあります。

 見返りもなしにこのようなことをするはずがないとよく肝に命じておきなさい」

「貸し……? やっぱあくどいことかっ!? そうなのか!?」

「あくどいもあくどくないもありませんわ。言ったでしょう、投資と。

 ここでアドリオンを助けておけば、遠くない未来で必ずやクラウゼン――ひいては、このわたくしに多大な恩があるという理由で便宜をはかるはずですもの。そうね、セオフィラス」

「……そうなの?」

「ええ、あなたがもう少ししたら嫌でも思い知るから首を洗っていなさい?」

「くび?」

「ですが、あなたの独断でクラウゼンはそれほどの食料を用意できるのですか? 栄えているとは聞いていますが、アドリオンの分のみならず、ご自分のところも納めなければならないのでしょう?」

「無論です。備蓄は全て消え去ることでしょう。

 だからこそ、交換が活きてくるのですわ。一時的にクラウゼンが所有している財産は激減するでしょうが、その代わりに定期的にアドリオンからは大量の食料が届くようになるのです。こんな田舎では貨幣がまだ浸透していないのでしょうが、クラウゼンに物資が届くようになればそれらは金銭に変化します。それに先のオーバエルとの戦でクラウゼンの小麦畑も随分と荒れてしまって食料生産率は落ちてしまっていますから、大量の供給を得られればそれも凌げるというものなのです。お分かりになられましたか?」

「ええ、とても参考になりました。どうもありがとうございます」


 にこりとアトスはほほえみながら礼を言って、スープを一口飲んだ。


「そういうわけで、明日からはアドリオンの屋敷ではなくクラウゼンにある、わたくしの屋敷へ向かいます。お母様に話を通さなければなりませんから」

「ま、また、あの屋敷に行くのか……」

「嫌ならばあなたは徒歩で帰ることね」

「無茶言わんでくださいよ、ったく……」


 それで一旦、会話は途切れることとなった。

 視察は16日。そのほとんどを野宿で過ごしている彼らには程度の差はあれ、疲れがあった。夕食が済めば早く休みたいというのが本音だ。早々にヤコブがスープを完食すると、馬の世話を始める。馬具を外してから飼料を馬車から引っ張り出して食べさせ、その間にブラッシングをしていく。


 途中でセオフィラスが食事を終え、その手伝いを始めた。視察を通じてセオフィラスは馬の世話というものを教わり始めている。最初は単に馬がかわいかっただけなのだが、ヤコブが世話している様子を見て自分から始めたことだ。



「そうだわ、すっかり忘れていたけれど……セオフィラス、セオフィラス、こちらへいらっしゃい」

「はあーい」


 ベアトリスが眠るために馬車へ乗りかけ、途中でセオフィラスを呼んだ。返事をしながらセオフィラスは馬車の方へ走る。


「わたくしの屋敷へ来たら、あなたが会わなくてはならない娘がいます」

「だれ? ……ですか?」

「エクトル。あなたの婚約者よ。年齢は同じだったはずだわ。いずれ、あの娘を娶るのだから、今の内からよく肝に命じておきなさい。あの娘を傷つけることは絶対に許しません。そして、常に紳士的でなければなりません。分かりますか?」

「……あんまり」

「……では理解しておきなさい。以上です」


 先に馬車へ乗り込んでベアトリスが戸を閉める。


「……ええー?」


 理解しておけなどと言われてもセオフィラスには分からなかった。戸が閉まってから困ったように声を上げる。


「ふふ……。婚約者だなんてすごいですね、セオくんは」

「ししょー、どうすればいいの?」

「あなたが、あなたのお母さんにするようにしてあげればいいんですよ」

「そうなの?」

「ええ。けれどお母さんがしてくれることを相手はしてくれないかも知れません。けれどそれが当然だと思っていれば良いだけです。大丈夫、きみはやさしくて紳士的ですから」

「うんっ」











 3日をかけて一行はクラウゼン領のヘクトブルグへ辿り着いた。

 ヘクトブルグは海に面した巨大な都市だ。地平線の向こうから見えてきた巨大な建物群にセオフィラスは目を大きくし、ヤコブもすでに一度訪れているにも関わらず、やはり思わず唸らざるをえなかった。


 都市に入ればさらに驚きの数々が待ち受けていた。

 壁は美しい白に塗り染められ、屋根は青く塗られている。行き交う人々は100人や200人では足りずにセオフィラスは目を回しそうになった。そして、そこかしこにいる商人が行き交う人々を呼び寄せているのだ。


「これ、おまつり?」

「俺も最初はそう思いましたがねえ、坊ちゃん。実はこれがヘクトブルグの都じゃあ毎日だそうですよ」

「まいにち!? あしたも!?」

「らしいっすよ」

「すごいね!」

「人が多すぎて馬車も遅々として進まないのが悩みの種ですけどね……やれやれ……」

「それならば」

「ん?」


 アトスが御者台で腰を上げる。それから、のろのろと進む馬車をひょいと飛び降りてからセオフィラスに片手を差し伸べた。


「セオくん、一緒にこの都の見物でもいかがです?」

「いいのっ?」

「ちょっ、おい、待てってあんた! これからクラウゼンの屋敷に行かなきゃならないってのに、セオ坊ちゃんがいないなんて……!」

「まあまあ、ちゃんと頃合いを見て屋敷へ伺いますから。それに、セオくんはアドリオンを出たことがなかったんでしょうから、社会勉強ということでひとつ。それとも、このセオくんにダメと言えます?」


 ヤコブがセオフィラスへ目を向けると目を輝かせながら少年は彼を見上げていた。その純粋な眼差しに思わず目を逸らしかけ、ヤコブはがっくりとうなだれる。


「坊ちゃん、迷子になっちゃ大変ですから気をつけてくださいね……」

「うんっ! ありがと、ヤコブくん! ししょー、いこ!」

「はい。それでは行きましょうか」


 セオフィラスも飛び降り、2人が雑踏の中へ消えていく。


「ちぇ……。俺だって都市をゆっくり見てみたいってのに、何であいつだけ……羨ましい……。しかも坊ちゃんと一緒とか……。あーあ、やっぱ俺の癒しはゼノ坊ちゃんくらいのもんか……。早く帰りてえなあ……あーあー……あーあーあー!」

「うるさいわよ、御者台!」

「っ……壁越しに蹴るのがお嬢様かっての!」

「蹴ったのはカタリナよ」

「こら、カタリナぁっ!」

「うるさい、バカ兄」

「そもそもっ!」


 バンッと馬車の戸が開いてベアトリスが石畳の地面へ降り立つ。


「もう屋敷は目と鼻の先だというのに、こうも進まないなんて苛立ってしまって仕方がありませんわ。ヤコブ、あなたは馬車とともにそのままのろのろと屋敷まで来なさい。わたくし達は一足先に行きますわ。ついでだからセオフィラスに……って、あら、セオフィラスはどこへいるのかしら?」

「アトスと一緒に都を見てしゃかいべんきょーとかのたまってましたよ」

「なっ!? このわたくしを差し置いて……! やはり許せませんわ、あの男! ついて来なさい、カタリナ!」

「……はい」

「って、俺は置いてけぼりかよ!? ちょっと、おい!」


 取り残されたヤコブが叫んだがベアトリスはずんずんと人混みを掻き分けて歩いていく。カタリナがそれについて行きかけ、途中でヤコブを振り返ると何かを投げた。


「っと……カタリナ?」

「以前、アトス様にいただいた銀貨。お金の使い方でも知って、その田舎臭いところをちょっとは治したら? それじゃ」

「あ、待てっ……って、早いな、あいつ……。実はあいつも都に浮かれてんのか……?」


 投げ渡されたものへヤコブが目を向ける。

 それから、何ともなしに軽く前歯でかじった。


「…………これがどうしてパンや酒に変わるのか意味が分からん……」



 アドリオンではまだ、貨幣制度がほとんど広まっていない。

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