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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
幼少期2 ベアトリス・クラウゼン
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ベアトリスの視察 ⑤



 長い長い木を切り倒すことからベアトリスの指示は始まった。

 それを縦に割るように切って、計6本の木材が用意される。それを潮が引いた夜になってから浅瀬に埋めていく。目安として満潮時に海面から少しだけ木材が頭を見せるような格好だ。


「潮に流されないように深く、しっかりと埋めなさい?」


 篝火に照らされた海で作業するのは、老人か子どもかだ。ちゃっかりその中にヤコブも駆り出されている。6本の木材を簀で繋ぎ、内側へ巻き込んでいくような形でそれぞれが結ばれた。


「こんなので魚が獲れるのか……?」


 作業がようやく終わったヤコブが陸に上がってきてぼやいた。

 何をしているのか見ているようにとセオフィラスがベアトリスに言いつけられてアトスとともに見ていたが、作業が終わるころには普段ならとうに眠っている時間でうとうとしていた。


「さて、結果を見てみなければ分からないでしょう。けれど彼女が自信満々に豪語しているんですから、何かしらの効果はあるのですよ、多分」

「って言っても、海に網張っただけだろ? 入っても出ていくだけだろう……。あーあ、徒労の上に風邪でもひいたらどうするんだ……」


 焚き火に当たりながらヤコブが両腕をさする。

 と、そこに小舟で様子を見てきたベアトリスが来た。



「これだから田舎者はダメね」

「っ……田舎者ですみませんが、山ひとつ向こうのクラウゼンもそうじゃないんですかねぇ?」

「まったくもって違うわね」


 嫌味を言おうとしたヤコブは即答で否定されて舌打ちをする。


「そもそも、クラウゼンは海に面した土地が多いけれどアドリオンでは海に面した村なんて、ここともう一箇所くらいのものでしょう? それよりも内陸方面への土地が広い。クラウゼンは海が広いからこそ、古くから漁業で栄えてきたのです。そして今は海路による大量輸送でボッシュリードの流通を支えていると言っても過言ではありません。それゆえに人が多く集まり、商業活動も活発となって西ボッシュリードでは有数の都市が成立しているのです。わたくしは無論、そのクラウゼン領主を継ぐのですから、それら全てのことは頭の中に焼きつけてあります。この簀立てという漁法も、クラウゼンのある地域で行われていたのです」

「あんた、貴族様が庶民の漁業だか農業だかを知ってると思うか? こういうのが浅知恵の大火傷ってなるんだよな?」


 意地悪そうにヤコブがわざとらしくひそめた声でアトスに問いかける。ベアトリスが目を細めてヤコブとアトスを睨みつけた。しかし、アトスはと言えばうとうとと船を漕いでいるセオフィラスと手を繋いだまま、柔らかくほほえんでこう答えるのだった。


「さて、浅知恵で大火傷をするのは誰なのでしょうね。ベアトリスさんかも知れませんし、もしかすればきみかも知れませんよ、ヤコブくん」

「は?」

「ではもうセオくんが限界のようですし、今夜はここまでにいたしましょう。セオくん、眠るのならきちんと横になってからですよ」

「うん……ん……」


 乗り付けてきた馬車にアトスがセオフィラスを連れていく。

 貴族というものへの警戒心が強いこの村で寝床を用意してもらえるはずもなく、狭い馬車の中でセオフィラスとベアトリスが眠ることに決まっていた。











「さあ、網を投げ入れなさい。大量の獲物がかかっているはずよ」


 翌夕、潮が引き始めたころにベアトリスが指示を出した。

 簀立てなどというもので本当に魚が獲れるのかと村人の誰もが疑問視していたが、そこにようやく答えが出る瞬間だった。骨と皮ばかりのような痩せっぽっちの老漁師が網を投げ入れる。


「おお……」

「何だい、こりゃあ?」

「餌も何も撒いていねえんだぞ?」


 バシャバシャと網の中で魚が撥ねる。西日に照らされ、弾けた水飛沫がキラキラと光りながら人々の目に留まる。浜へ引き上げられた網の中にはたくさんの魚がかかっていたのだ。



「ど、どういうことだっ? お、おい、あんた、意外と物知りなんだろ? 分かるか?」


 このような方法であっさりと大量の魚を獲れるとは露程も信じていなかったヤコブも驚きながら、傍らのアトスに焦ったように問いかける。


「さて、わたしはあまり魚については詳しくはないので……」

「おーっほほほ! これが簀立て漁というものよ! お分かりになったかしら?」


 考え込みかけたアトスの言葉を遮りながらベアトリスが高笑いをする。勝ち誇ったその顔にヤコブは悔しがり、村人達も驚きの色の中に苦いものを混じらせていた。


「魚というものの習性を利用した漁なのです、これは。広く取られた間口から入ってきた魚は壁へ沿うようにして中へと入りこんでいくわ。けれど一度入ってしまえば、巻き込むような形に簀を立てているから外へは出られなくなってしまうのです。あとは潮が引いたタイミングで一網打尽にしてしまうだけ。これならば体力のない老人でも、準備をして設置するだけで魚が獲れる上、収穫だけならば子どもの手でもできてしまうわ。少ない労力に比例するこの収穫量、もうわたくしに文句は言えませんことね? おほほほっ」


 高笑いするベアトリスにヤコブとカタリナが顔を見合わせて、兄妹らしく同じような呆れた表情をした。


「ししょー、なんでわらってるの?」

「あれはですね、セオくん。自尊心が満たされたことによって悦に浸って、その喜びが抑えられずに笑ってしまっているんです」

「そこ、分析をしないでくださるかしら?」

「おや、申し訳ありません」

「なんでこんどはおこったの?」

「胸中を見透かされて気持ちが冷めたことで、それを怒りに転化したのでしょう」

「だから分析をするなと仰っているのよ!」

「ははは、申し訳ないです」



 村人達は早速、頭をつき合わせて今度はどこに簀立てをするかという相談をし始めていたが、我に返ってからそれを見たベアトリスがこほんと咳払いをして自分に注意を向けさせた。


「さて、これでわたくしが言うように漁獲量は増えるはずですわ。

 ここからは、あなた達の義務についてのお話をいたします」


 義務という言葉で村人の表情が曇る。


「そう言えば、減税とか言ってたよな? あのお嬢さん……。もうすぐだっていうのに、今年の分を減税なんかしちゃあ間に合わないんじゃ……?」

「きっと何かお考えがあるのでしょう」

「と言うか、考えなしで突きつける条件にはできないんだから、考えがあって当然。そんなのも分からないの?」

「か、カタリナっ……お前なあ、兄に向かってそういう――」

「まあまあ、ヤコブくん。落ち着いて、どうどう」

「俺は馬かっ」


 ひそひそ喋る大人達をセオフィラスは見上げていたが、つまらなくなったのでベアトリスへ視線を向ける。


「まず、乾物を作りなさい。獲れた分だけ、たくさん作りなさい。幸か不幸か、たくさん食べる男性は少なくなっているのだから、余りは出るはずです。それらを全て、定期的にここへやって来るクラウゼンの者へ納めるのです。不漁が続くということも考えられるでしょうからノルマは課しませんが、たくさん納めればその対価として見合うだけの物品と交換させるようにします」


 それが税の代わりになるのだろうとは少し考えれば誰にも分かることだった。

 しかも決められた分だけの納税ではなくなったとなれば心理的な余裕もあって薄い抵抗感で、それくらいならばと受け止められていく。


「その上で――」


 さらにベアトリスが言葉を紡ぐと、次が本題だろうと村人達が、そしてヤコブも身構える。この高慢な口からどんな厳しい条件が突きつけられるか――と。


「よそ者にやさしくしなさい」

「は……? な、何言ってるんだ、あのお嬢さん? なあ、俺の耳がおかしいのか?」

「だから、黙っててくれる、兄ちゃん?」

「お、おう……すまん……」


 ヤコブの見せた反応は村人達の言葉を代弁しているものだった。

 事実、長老が怪訝な顔をしながらベアトリスに質問をする。


「やさしくしろとはどういうことじゃ?」

「ただその言葉通りの意味です。この村には若者が足りません。子どもの数も多いとは言えません。ならばこの村へ通りかかった人にやさしくして、人情を押しつけて、定住させれば労働力になるというものです。よそ者だからと言って仲間外れにすることはしてはいけません。積極的に世話をし、甲斐甲斐しく世話をし、恩を売りつけて、この村から離れたくはないと思わせるのです。若い男や、若い女がそれに引っかかれば良し、そうでなくともいずれ風聞が伝わって行き場のない者が訪れるかも知れませんから。それが、村の再生への第一歩になるのです。お分かりになられましたか?」

「そんなんで、本当に大丈夫かよ……?」


 うそぶいたヤコブだったが、今度は村人達の反応とは違っていた。

 彼らは顔を見合わせては口々に、なるほどとか、それでいいのか、などとほっとしたり、疑問視しながらも自分を納得させようとしているかのように言葉を交わすのだ。


「え、おいおい、何でそうなるんだ……?」

「彼らが目にしたものは、ベアトリスさんが新しい漁法を伝授して大量の魚を獲れるだけの希望です。先入観はまだあるのでしょうが、それを覆せるだけのことをして見せたのですよ。彼女の言葉に説得力が生まれて、一度くらいは言うことを聞いてやろうという気になるのも当たり前と言えば当たり前のことです」

「……マジでか?」

「自分の頭で考えたら?」

「おいこら、カタリナ、いい加減にしろよ? いつもお前は俺のことをそうやって小馬鹿にしてるけどなあ――」

「すごい……」


 ヤコブの言葉またもや遮られる。

 だが、それは遮られたと言うよりは、セオフィラスの漏らした言葉で思わず口を閉ざしたというようなものだった。


「ししょう、すごいね。あんなにこわいかおしてたのに、いまはちがうよ?」

「ええ。彼女にみなぎっている自信は、きちんと裏打ちされたものだったのですね。彼女はわたしにはない、知恵という武器を持っています。それを巧みに活かす手法も備えているのです。学ぶことがたくさんですね、セオくん」

「うん」


 そんな師弟の会話を、ベアトリスは村人達の反応が自分の期待通りだったせいで悦に浸って聞き逃していた。

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