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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期8 フランセットという女
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憂うつのセオフィラス ①


 朝の森へジョルディに乗って出かける。

 少し前まで、同じ時間にアルブス防衛隊の面々も自主的に集って訓練に励んでいた。

 だがここ最近――セオフィラスはたった1人で、誰と剣を合わせることもなかった。

 防衛隊は一応、他にちゃんとした仕事をするようにという規則がある。しかし隊長のヤフヤーを始め、彼らの多くが大した仕事など持とうとはしなかった。元々、戦うことくらいしか能がないと開き直っていたような人間達なのだからアルシュ、当然の帰結だ。


 しかし金鉱の採掘が始まってからというもの、ゼノヴィオルが折角の体力自慢に働いてもらおうと提案して採掘に従事させた。採掘した金に応じた報酬を支払うという約束をゼノヴィオルは守り、脳みそまで筋肉に浸食させかけているような防衛隊の面々は、自慢の体力をガンガン金に換えていき、毎晩のようにアルブスで飲んだくれては労働に汗を流し――結果として、朝の訓練などはすっぽかし、セオフィラスはたった1人になった。


 アトスが姿を消して、ゼノヴィオルはもう剣の訓練をせず、防衛隊も来ない。

 1人きりでやる稽古はセオフィラスにとって馴れないもので面白くもなかったが、それでもやることがなかった。だからとりあえず剣を振った。


「モォォ」

「……お前は草を食んでれば幸せそうだからいいよな」


 飽きてセオフィラスはジョルディに話しかける。摘んだ草をジョルディの口元へ運ぶと、もそもそとジョルディはそれを食む。


「モォォ」

「何、牛は別に草で幸せにはなれないとか主張するの?」

「ブモッ、モォォ!」

「何だよ、生意気だな……。牛のくせにお前はかっこいいしさ……。俺なんてゼノには軽んじられてるし、レクサにも生意気にされるし……。師匠はどっか行っちゃうし……。皆して、金だ、金だ、ってさ。草で幸せそうなお前の方がよっぽど上等だよな」

「ブモォッ!」

「誉めてるんだからいいじゃんか……」


 尻をつけて座り込んだセオフィラスはそのまま仰向けに寝転んだ。

 ジョルディはわざわざ、セオフィラスの顔のそばの草を食む。愛牛の顔を手で押しのけるようにしてよその草を食べるよう誘導させるが、なかなかジョルディはそれに乗ろうとはしない。しばらく押して押されてをしていたら、ジョルディはセオフィラスのすぐ横でうずくまるようにして座った。


 そうして朝の森で、木漏れ日を浴びながらセオフィラスとジョルディはしばらく仮眠を取った。

 誰かが呼びに来るだろうかとセオフィラスは少し期待をしていたが、そのまま時間はどんどん過ぎていって、目が覚めてからもしばらくごろごろし、帰ろうとがっくりしながら決めるころにはお昼ごろになってしまっていた。


「お帰りなさいませ、セオフィラス様。今日は随分と時間を使いましたのね」

「まあね……」


 屋敷に帰って牛舎にジョルディを戻すとエクトルが来る。ほとんど寝て過ごしたとは言えず、セオフィラスは少し肩をすくめる。


「ジョルディもご苦労様」

「モッ」

「セオフィラス様、少しお話するお時間をいただけませんか?」

「エクトルのためならいつでも時間くらい作るよ」

「まあ、いけませんよ。ちゃんとご自分の立場を見ないと」

「立場的に、俺って午前すっぽかしてても必要ないみたいだから」

「拗ねないでください、セオフィラス様」


 笑いながら軽く叩かれる。裏庭の井戸まで歩いてセオフィラスはその場で上だけ脱いで水を被った。頭を振って飛沫を飛ばし、着ていたシャツで拭き取る。


「……あれ、カタリナがいない?」

「今日はお休みをいただいているそうですわ。新婚さんですからね」

「それも、そっか……」


 いつもならばすぐ拭くものを用意してくれたり、着替えを持ってきてくれるカタリナがいない。仕方なしに上裸のままセオフィラスは屋敷に行き、着替えを持ってくるよう人に言いつけて談話室に入った。


「で、何の話?」


 談話室のソファーへ腰かけたセオフィラスは、エクトルを抱き寄せながら尋ねる。


「最近、何だかセオフィラス様の元気がないように見えまして」

「体は元気だよ」

「お体以外は?」

「エクトルがいれば幸せ」

「茶化さないでくださいっ」

「……だって」

「だってじゃありません」


 手を突っ張ってエクトルはセオフィラスを押しやる。

 仕方なく離れてから、セオフィラスは困ったような、弱々しい顔をする。


「ゼノさんがグラッドストーンに使者を派遣するとわたくしも耳にしました」

「……それが何? あいつの好きにさせてやればいいよ、今は」

「わたくしもグラッドストーンへ参れたらと思いまして」

「え? ダメ」

「ダメではありません。考えてください、ちゃんと」


 反射的に答えたセオフィラスにエクトルがふくれっ面を見せてたしなめる。

 顎を引いてセオフィラスは愛する妻を見て、少し目を逸らし、また見て、口を開く。


「使者としてゼノさんが擁立したのは、精教会の聖名タルモ様。

 グラッドストーンとアドリオンが国交を結ぶべく、国という枠組みに囚われぬ精教会を利用するのは道理です。けれどタルモ様がその任を果たせばアドリオンは彼女に頭が上がらなくなってしまいますわ。

 わたくしは精教会の教えは道徳的であると思いますし、彼らを嫌う理由はありません。けれど一つの国に深く根差した精教会の権力者は脅威であり、アドリオンには不要であると考えています」

「……それで?」

「タルモ様には精教会として案内をしていただき、わたくしが使者として交渉ができれば貸しを作らずに済むと思うのです。ゼノさんも理解してくださると思いますわ」

「今さらタルモさんは後に退かないよ。ヴラスタに逆らってアドリオンに与したんだから、精教会に居場所がない。だからゼノはタルモさんに使者としての役目を与えたんだ。絶対に成功させるカードとして。アドリオンが莫大な金を生み出してグラッドストーンも潤えば、タルモさんの精教会での地位は上がる。彼女が、今、一番欲しいはずのものだ。だからエクトルを使者にして道案内だけだなんて、元々のプライドも高くて許容できやしないよ」

「はい。わたくしも、そこまでは考えていますわ」

「じゃあ、どうするつもり?」

「出し抜けばよろしいのではないかと思いましたの」


 やっぱりクラウゼンなんだなあ、とセオフィラスはぱちぱちとまばたきしながら、そう思った。

 クラウゼンの淑女はしたたかである。そして自分が負けるという想像をしないのだ。それゆえに発想は大胆で、しかし緻密に計算され尽くした算段を備えている。


「……相手は聖名だよ」

「ええ。けれど、わたくしはあなたのところに嫁いでも、クラウゼンの娘として生まれましたわ。

 クラウゼンにおいては、妻の役目は家を守ることだけではありませんもの。

 勇敢に剣を振るうことはできませんけれど、同道しておいしいところをいただくくらいならば役に立って見せますわ」

「悪くはない、と思うけど」

「ええ」

「……本当にエクトルがそれをできるって信じてもさ」

「……はい」

「そばにいてくれないのは、寂しいよ」


 エクトルの手を取ってセオフィラスが言うと、彼女は呆気に取られてから、一輪の花が咲くように微笑んだ。


「セオフィラス様は寂しさなんかに負けず、乗り越えられますわ」

「……そうだといいけど、最近、何か自信なくて……」

「大丈夫ですわ、セオフィラス様なら。少しの間だけですから、辛抱してくれますね?」

「……」


 黙ってセオフィラスはエクトルに甘えるように抱き着く。

 そうして頭を撫でられると落ち着いた。情けなくて、みっともないと思いながらも離れたくなくて少年はずっと甘えていた。

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