魔物の王アヴァラス ②
松明を振るい、ナイフを繰り出す。
牽制で動きを制し、そしてダメージを与える攻撃を放つ。
そんな単純なコンビネーションでも、反撃を躊躇すれば自然と追い詰められる。
「っ……う、うぅっ、あああああっ!」
叫びながらモニカは松明を上から下へ、さらに斜めに振り上げる。抜いている剣でゼノヴィオルは松明を切り飛ばしたが、すかさず彼女は手に残った松明を投げつけた。それを剣で受ければモニカはナイフを両手で握って腰だめに体当たりするように繰り出してくる。反撃をするのは可能だったが、それではモニカを傷つけかねない。
だからゼノヴィオルは剣を放り捨て、左手をあえてモニカの握るナイフに貫かせた。そのまま手の甲を貫通させてモニカの手を掴み取ってナイフの動きを止めるなり、密着した状態で魔術をかけて眠りにつかせる。
「……意のままに人を操るなんて、すごい魔術だね。アヴァラス」
「つまらんな……。動じることなく、声もかけずに、傷さえつけず制したか。遊興にならんではないか。人の子よ、お前――ああ、そうなのか。クク、随分と遊ばれたらしいな。ああ、実に愉快だ、うむ」
「頭の中も分かるの?」
「むしろ何故、そうも開いている? 閉じておかねば、こうして愉快に――ほおう、ほう? クク、お前は人にしておくには惜しいな……」
魔術で左手の傷を治し、ゼノヴィオルは剣を拾い上げた。
今も頭の中を覗き込まれているらしいが、そうされているような感覚に気づけない。
だがとにかく目の前の魔物の王を倒さなければならない。明らかな格上――規模の違う存在を相手に、片腕だけで戦っても意味はない。ふっと思い浮かんだ考えのために、視線をそっと動かして使えるものがないかと探す。
「ほう、そのない右腕を生やすのか?」
「っ――」
「ならば、ほれ。こいつをくれてやろう。先の約束だ。こいつを使えばいい」
おもむろにアヴァラスが手を動かすと、黄金の山の中から赤い美しい宝石のはめこまれた黄金の短杖が浮かび上がり、ゼノヴィオルの足元まで飛んできて落ちた。
「案ずるな、ゼノヴィオル・アドリオン。お前は……そう、そのドルイドの力を基軸にしているが、その宝石は多くの血をすすってきたものであり、生命に通じる強い力を蓄えている。であればそれを少し転用してやれれば腕の代わりとして十分に機能を果たせるだけ馴染むのだ」
「……ご丁寧にありがとう」
拾い上げた短杖がゼノヴィオルの手の中で形を変えて雫のように足元へ溶け落ちた。それが魔法陣を描いて輝くと、切り落とされたゼノヴィオルの右手へと吸い上げられるように集まっていった。その手に剣をスナップして投げ渡してから、ゼノヴィオルはアヴァラスを見据える。
魔力で満たされた黄金は元のゼノヴィオルの腕そのままの形になっている。しかし熱を持たぬ黄金である。伸縮しても表面は硬く、そして重い黄金。手の甲に当たるところに赤い宝石が浮かび上がっている。アヴァラスの言葉の通りに、体によく馴染んでいるのを感じていた。
「去ね、人の子よ。これは警告だ」
「答えは分かってるはずだよ、アヴァラス」
「……ふむ。では遊興をしよう。退屈凌ぎは大歓迎だ。
かかってくるが良い、ゼノヴィオル・アドリオン。
そう、勝ち目はないに等しいが――あるかも分からんからな?」
駆け出してゼノヴィオルは姿を黒いもやに変じて消えた。
直後にアヴァラスの眼前へ出て剣を振り落とす。
「がんばった魔術だ。褒めて遣わす」
強い衝撃が腕から伝わり、そして剣が半ばから砕けて折れる。
つまらなそうな目をゼノヴィオルに向け、アヴァラスが軽く手を振るうと強い衝撃に打ちのめされてゼノヴィオルの体が吹き飛ばされた。黄金の海にぶつかって中に埋もれ、ゼノヴィオルがもがくように腕を上げる。その手が、何かに掴まれて持ち上げられるとアヴァラスだった。
「我が宝に手をつけようとした不敬、帰ることを許したにも関わらず立ち向かおうとした罪科を、手ずから罰してやる」
尻尾が動き、ゼノヴィオルを打ちつけてまた吹き飛ばす。翼を広げたアヴァラスが一度羽ばたくと、すぐにゼノヴィオルへと追いついて握り拳で少年を叩き落とした。意識が一瞬、途絶えていた。戻った時はまた手首を掴まれてぶらりと持ち上げられていた。目が合うと悪寒に貫かれて身が竦み、動けなくなる。
「――ああ、そうか。クク、お前は哀れだな。犯され、鞭に打たれ、火に炙られ、同じことをやれと強要され、その時、お前は興奮したのか。虐げられるままであれば己の苦痛のみで済む。別の者を虐げねばならなくなった時、それをすれば己が堕ちると自覚をしていたにも関わらず、お前は罪悪感とともに、その快楽に溺れていたのだな。ああ、そう卑下することはないぞ? お前にはその素質があったのだ。お前は、お前の愛する家族とは異質の存在なのだよ」
「……ち、がう」
「哀れな子だ。一度、そう、お前は我慢をやめるべきだろう。
退屈凌ぎには都合がいい。……うむ、よし、これは良い遊興を思いついたぞ。
このヴァラリオを貸し与えてやろうではないか。掘ることを許す、そしてお前は欲望を膨れさせよ」
「言うこと、なんか……聞かない……」
「いいや。この我の決定は覆らぬのだ。
人の子よ、お前は人であるには惜しい。
ゆえにこの我が祝福をしてやろうではないか。
きっとその方が、お前には生き易かろうよ」
アヴァラスの瞳は縦に細く長い。爬虫類を髣髴とさせるものだ。それが妖しく光を発し、糸のようなものが伸びてゼノヴィオルの右の眼球に飛び込んだ。
「痛――熱、痛いいい、あああああああああああっ! あああっ!」
右目に熱いでは済まない激痛が奔り、叫ぶ。アヴァラスの自分を持ち上げている腕を叩き、引っ掻き、足を使って蹴ろうとしてもそれはやまなかった。永遠にも思える激痛がようやく収まり、落とされる。
「さて、これで終いだ。……励めよ。
今からお前は我が子も同然だ。いつでも視ているのを忘れるな」
「何を……」
「すぐに分かる。さあ、欲望のまま黄金を使うがいい。そして溺れていけ。気分良く、好きなままにな。哀れな子よ、お前は壊れながら転げていくのが相応しい――」
霞む視界でゼノヴィオルはアヴァラスを見上げる。
諦めずに攻撃しようと睨みつけたが、ズキンと強く眼球の奥が痛んで目を押さえる。そして、意識が途絶えた。
「ゼノ坊ちゃん……今まで、どちらにいらっしゃったのですか? それに、そのお姿と、怪我と……手、も、どうされたんですか?」
モニカを抱えて屋敷に帰ってきたゼノヴィオルを最初に発見したのはガラシモスだった。服装はボロボロで、なくなったはずの右手もあった。布を巻いて隠されていたため、ガラシモスには本物の手が生えて戻ったかに見えた。
「モニカを寝かせてあげて、ガラシモス」
「え、ええ、もちろんです。しかし――」
「それから、金が見つかったよ。……すぐに採掘を始めたいから、明日から忙しくなる」
「金ですか?」
「僕は準備があるから、今夜は執務室に入らないでね。年なんだから、早く休むんだよ」
「ですがゼノ坊ちゃんもお疲れではないのですか……?」
気遣って老執事がそう声をかけたが、ゼノヴィオルは冷めた目でガラシモスを見据えた。
「僕の言うことを聞いてればいいんだよ。その年で、家をなくすのは嫌でしょう?」
「……それは、どういう意味で……坊ちゃん……」
「朝一番で人を使って、武器庫にあった使えない武器を全部溶かすんだ。つるはしを量産しておいて。その指示を出しておくんだ。頼んだよ」
もいまだに意識を失っているモニカをガラシモスに預けてゼノヴィオルは屋敷へと入っていく。生まれたころから知っているはずの少年が、どんどん変わっていっているのをガラシモスは殊更に痛感させられた。しかしそれがいやに不安にさせられた。




