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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期6 セオフィラスの結婚
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セオフィラスの結婚 ⑤


「焦土作戦をしなくて良かった……。今年は豊作だ」


 アルブス周辺の麦畑の視察をし、セオフィラスは作物のデキについては満足しながらそう呟いた。だが収穫がこれだと大変だろうとも考えた。先のイグレシアの戦いで少なからぬ農夫が徴兵され、帰れない者もたくさんいた。それゆえに働き手が少なくなってしまっている。

 ただでさえアルブスは都市化した影響で商工業を営む者が増え、農夫が減少している傾向にあった。収穫の時だけでもどうにか人手を集められないかと考えを巡らせ始める。この豊作を祝うという名目で収穫祭でも催してしまおうかと決めかけた時、呼びかけられてそれを中断した。


「坊ちゃん、お久しぶりですねえ」

「あ、おばちゃん。元気?」

「ええ、お蔭様で……」


 声をかけてきたのは昔からの顔馴染みの老婆だった。それこそセオフィラスが生まれるずっと前からアルブスに住んでいる老人で、森に遊びに行くことが禁じられていた幼児期などは野原やら畑やらを駆け回っていたので、その度に世話を焼いてくれた人々の1人でもある。


「すっかり大きくなっちゃって……」

「麦はよく育ってるね。おばちゃんのお陰?」

「孫がね、坊ちゃんががんばっているからって……。でもあの子は、この間の戦いに行っちゃったから……残ってるのは、この麦と、坊ちゃんくらいのもので」

「……じゃあ、この豊作のお祝いをしよう。どんなことしたらいいと思う?」

「いいえ、どんなことでも……」

「何でも言ってよ」

「そうですねえ……。離れた村に嫁いだ娘や、わたしの兄弟に久しぶりに会いたいような……」

「分かった。じゃあ、お祭り、楽しみにしてて」


 老婆の手を取ってセオフィラスが笑いかけると、力なく老婆もくしゃっとした笑みを浮かべた。

 視察を終えてセオフィラスは連れてきた役人だけを馬車で先に帰らせた。城壁を一歩、外に出てしまえばアルブスの周辺は長閑な平原が広がっている。夕焼けには少し早い時間だったが、歩いて帰れば都に帰りつくころには綺麗な夕焼けが見えそうだった。


 その帰り道の途中、アルブスに随分と近づいてきたころには目論見の通り、綺麗な夕焼けの赤い光が世界を染め上げていた。そんな畑の只中に、ぽつんと建っている家を見つけてセオフィラスは何の気なしにそこへ足を向ける。


「こんばんは」

「あら、坊ちゃん。いらっしゃい」


 そこはカタリナの家である。今は彼女とその両親の3人が暮らしている――はずだった。


「セオフィラス? 何でお前がここに?」

「ヨエル? ……すっかり家族になったみたいだね。今朝の稽古は?」

「稽古って、お前の方がすっぽかしてるだろ」

「忙しかったから……。これ、何してるの?」


 家の中にはカタリナの母と、娘婿予定のヨエルがいた。テーブルに2人で座り、たくさんの切り花を並べている。セオフィラスには伏せられている、サプライズ結婚式に使われる花束を作っている最中だった。


「これは……」

「あ、結婚式の、何かの準備?」

「はっ?」

「え? だって、ヨエルとカタリナ――」

「あ、ああ、そうだ……。ほ、ほら、花束は欠かせないからな、結婚式には。その、準備」

「今から準備しても枯れちゃわない?」

「ほ、本番で準備する時にうまく、できるかどうかの、準備だ」

「ふうん……。そんなことまでするんだ……」


 とっさのヨエルの嘘にセオフィラスは疑問も抱かず受け止めた。空いている椅子に座り、テーブルに広げられている花を眺める。


「どうやって作るの?」

「素敵なお花を集めて、それを根元で束ねるだけですよ、坊ちゃん」

「ふうん……。白い花ばっかりに見えるけど」

「このお花は裏で咲いていたんですよ」

「綺麗だね」

「ええ」

「でも白だけじゃ、何か面白くないかも……。ちょっとだけ、こうして別の色とか入れてみたら?」


 端に寄せられていた花の中からセオフィラスは青い花を一輪だけ取る。


「バランスがちょっと良くないかしらねえ……」

「じゃあもう少し足せばいいよ。ええと……これと、ここと、ここもかな。どう?」

「あら、とっても素敵ですよ、坊ちゃん」

「これでカタリナの結婚も完璧だね」

「ふふ、そうですねえ……」

「何がおかしいの?」

「いいえ、坊ちゃんがご立派に大きくなっていたのが嬉しくて」

「俺じゃなくてカタリナのことをさあ……。あ、そうだ。ヨエル」

「何だ?」

「防衛隊のことなんだけど――」

「仕事の話をするな、ここで。……さっさと帰れ」

「何で? いいでしょ、別に。カタリナはいつも俺のこと出迎えてくれるから、たまには俺からって思って」

「そんな気紛れは別の日にしろ」

「何で?」

「何でもだ。帰れ、ほら早く!」


 そうでなければ段取りが狂ってしまう。ヨエルに追い立てられてセオフィラスは渋々、帰ることにした。何だか邪見にされたようで面白くなかったが、カタリナに言いつけてやろうと決めながら屋敷まで今度こそまっすぐ帰った。


 緩やかに弧を描く坂になっているジョルディロードを歩き、屋敷の門が少年の目につく。いつになく明るい光が見え、何事かと眉根を寄せて少し早足になった。屋敷の裏庭で火が上がっているようだった。門の前にも、屋敷の前庭にも誰もいない。屋敷を回り込むよりも、屋敷の中を突っ切った方が早かったのでセオフィラスが大股で屋敷の戸へ近づいて、両手を使ってその扉を開いた。


 途端、音楽が鳴り出した。

 楽器を鳴らす楽士がホールの階段の片側を陣取っていた。


「はっ……?」

「お兄様、結婚式しましょう」


 綺麗なドレスで身を飾っているレクサが兄の手を掴む。


「何、おままごと?」

「いいから、こっち!」


 怒られながらセオフィラスはレクサに引っ張られてホールに用意されていたアーチの前へ立たされる。花で飾られたアーチを振り返りながら見て、セオフィラスがまだ理解が追いつかずにいると扉が開いてエクトルが登場をした。

 穢れのない、白いドレスで身を飾ったエクトルを一目見てセオフィラスは魂が抜け出たかのようにただ茫然とした。想像以上の美しさに魅了され、見惚れたまま何の反応もできなくなったのである。


「セオフィラス様……やはり、突然で戸惑っていらっしゃいますか?」


 アーチの前まで進み出たエクトルが尋ね、ようやく少年は我に返る。

 だが気の利いた言葉が出てこず、その代わりに彼女の手を取って引き、自分の腕の中に抱き込んだ。


「綺麗だよ、エクトル……。もう、言葉がそれ以上、出てこないくらい」


 額を当ててセオフィラスが囁くと、エクトルがほんのりと頬を蒸気させながらはにかんで頷いた。

 式の陣頭指揮を執ったゼノヴィオルはずっとホールの隅で進行を眺めているばかりだった。そんなゼノヴィオルの様子を観察していたモニカが、横へついて口を開く。


「ねえ。あんた、バカなことしか考えられない病気か何かに罹っているの?」

「……そんなこと、ないよ。今は祝ってあげて」

「あんたこそ、祝福してるような顔じゃないわよ」


 指摘されてゼノヴィオルは自分の顔に触れ、それからモニカを見る。


「……ごめん」

「何であたしに謝るわけ?」

「何だか、そんな気がして……」

「ほんっとに、あんたってバカ」


 式が終わり、裏庭へ全員が移動をして宴が始まった。

 隣り合わせに座らせられたセオフィラスとエクトルのところに、報せてもいない人々が勝手に集まってきて祝福したり冷やかしたりした。

 ヨエルは最初から参列していたが、途中から防衛隊の面々が聞きつけて宴目当てに押しかけてくるとどんちゃん騒ぎになり、セオフィラスまでしこたまに酒を飲まされた。


 しかし、突然のことではあったが新郎の少年は幸福だった。

 大好きな人達が近くにいて、誰より愛している少女との式を挙げられた。頭の中で山積みになっている様々な問題も忘れていた。翌日にはヘクスブルグへ発たねばならないという直近の予定にさえ頭は回っていなかったが、それでも幸福な夜の宴であったと彼の記憶には刻み込まれた。



 そして同時に――このささやかな幸福はすぐに終わりを迎えるのであった。

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