セオフィラスの結婚 ④
「ヤコブくん……。何か、変わってきてるよ、周りが」
見晴らしの良い墓地の一等地にヤコブは埋葬された。
しかしその棺の中は空っぽだった。それでも埋められ、墓標を立てられたところにヤコブがいるような気がしてセオフィラスは度々訪れるようにしていた。墓の前で腰を下ろし、いなくなってしまったヤコブに少年は弟にも話せないことを漏らす。
「師匠が帰ってこないし、先生もヘクスブルグに帰っちゃった。ヤコブくんも、ここだし。カタリナも、少しずつ屋敷のお仕事減らしていくってさ。……お嫁さんになるんだから仕方ないけど。
ゼノが帰ってきて、カートや、ヨエルや、ヤフヤーや、それにビートとカフカがいて……何か、人が入れ替わっていくみたい。ヤコブくんみたいに、もう二度と話ができなくなったわけじゃないのに、寂しいよね。ずっと皆でいられればいいのにさ」
何と返事をしてくれるだろうとセオフィラスは考える。
きっと生きてくれていれば、自分だけはそばにいるとでも答えたんじゃないかと想像した。
いつだってヤコブは一番欲しい答えをくれていたのだから。
「また来るね、ヤコブくん。
もしヨエルがカタリナのこと悲しませたら、俺が代わりにぶちのめすから安心してね」
立ち上がってからセオフィラスは大きく体を伸ばした。
それから屋敷へ帰る前にレクサのご機嫌取りに何か買おうと決めた。しかし物で釣ろうという魂胆にレクサが気づいて、またぷいっとそっぽを向かれてしまうのだった。
早朝、森にアルブス防衛隊の面々が集う。
最早そこで訓練をする理由はなくなっていたが、慣例として集まるようになっていた。元々はセオフィラスがここでアトスと激しく修行をしていて、その後にセオフィラスと手合わせをするのが目的だった。
しかしアトスは数日前から姿を消している上、セオフィラスも無理して早朝から森へ出かけることがなくなっていた。寝坊すれば首根っこを掴んで叩き起こすような師の不在による影響である。もっぱら、修行に費やされていた朝のひと時はエクトルといちゃいちゃする時間になってしまっていた。
が――今日はセオフィラスが朝の森に来た。
「おう、セオフィラス。今日はおせっせしなくていいのか?」
「しっかし、まだまだあの許嫁のお嬢さんは熟してなさそうだけどな」
「具合はどうなんだ? まぁ~、まだまだチビのお前の土筆ちゃんじゃ、大して分からねえかも知れないけど」
「うるさいっ」
茶化されてセオフィラスははねつけるように言い返す。下世話なことほど口にしたがるのが防衛隊の面々である。
「今、バカにしたやつ、まとめて叩きのめしてやるから出ろ」
「上等だよ」
「今日という今日こそ、ガキらしくさせてやる」
そうしてセオフィラスは森に集って訓練をしていた全員を、それぞれ口実は違えどもいつものように下した。ボコボコに、しかし命に別状がない程度にしてからセオフィラスは防衛隊の面々と車座になって潜めた声で会話をする。
「え? く、口? そんなこと……ええっ?」
「いっぺんやってみろ」
「ぶち込む穴には変わらねえんだよ」
「嘘だ、ええ、嘘だあ……? 口で? えええ……?」
「ハハハハッ、こういうとこばっかガキだ、こいつ!」
下世話な知識だけは豊富すぎる大人に、欲望に基づく性教育を受けながら少年は大人の階段を駆け上がっていた。
セオフィラスが森で運動し、それから大人の知識を得ている間、ゼノヴィオルは屋敷の使用人、そして居候、さらにはレクサまで、セオフィラスを除いたほぼ全員を集めていた。不在なのはセオフィラスと、気まぐれにしか屋敷に戻って来なくなったソニアだけである。
全員が揃ったのを確認し、邸内で一番広いエントランスホールでゼノヴィオルは一晩ずっと考え続けていたことを話し始めた。
「実は、今日は……お兄ちゃんに内緒にしたい話があって。屋敷にいる皆にも関係があることだから」
「一体どのようなお話です、ゼノ坊ちゃん?」
「エクトルさん……」
「は、はい? 何でしょうか?」
ガラシモスに促されてゼノヴィオルはエクトルを見た。
「……1日でも早く、兄と結婚してください」
「……はい?」
奇妙な沈黙が生じる。
結婚するということはもう決まりきっている。本人達の知らないところで決まっていた許嫁ではあったが、当の両人も相思相愛であることはこの場にいる誰もが理解をしているのだ。
今さらその婚約が破棄されるような問題も起きてはいない。
「つまりその、ちゃんと。婚約じゃなくて、結婚を。式を挙げてほしいんです」
「けれどそれは……そうしたいとは、わたくしも思いますけれど」
「タイミングだとか、支度だとか、そういうことがたくさんあるのは理解しています。
だけど、もう、その……そう、そんなつまらない事情は必要ないと思うんです。
だって2人とも愛し合っているし、これから、アドリオンは1つの国となりますから。
兄はもう、早い分には今日でも明日でも、結婚をしたいってずっと言ってるんです。
だからあとはエクトルさんが、それでもいいかというのを知りたくて」
「……わたくしも、セオフィラス様と同じ気持ちです」
やや頬を赤らめながらエクトルが口にすると、誰からともなく集められた面々があまり音を立てないように拍手をした。さらに彼女は赤くなりながらはにかむ。
「そう言ってくれると思ったので、こうして集めました。
今夜、挙式をしようと思います。お兄ちゃんには内緒で、そのために協力してください」
一晩だけの時間だが、練りに練られ、あらゆることが計算されたプランをゼノヴィオルは発表した。1人ずつに役割を振り、そして兄には内緒で、あとは行動あるのみと解散させる。
エクトルは幸せそうにはにかみながら、そして素直に祝福して協力的な姿勢を見せてくれる使用人にお礼を伝えた。
「どういうつもりなの? いきなりじゃない?」
時間のない結婚式の支度のために使用人が慌ただしく働き始めるのを見ながら、モニカがひとまずの説明を終えたゼノヴィオルに声をかける。
「苦情がすごいから……」
「それだけの理由?」
「ち、違うよ。それだけじゃない」
一瞬、とてつもない軽蔑の念を込めた視線を向けられてゼノヴィオルは慌てて否定する。
「そんなことはないけど……。それに本当は師匠がいないから、悩んだんだよ。でも明日には協議でクラウゼンに行かなくちゃいけないし、いつ、何が起きるかも分からないから……」
「そう……。にしても今日って、突然すぎない? もっと早くからとか……。何で今朝になって。昨日とかじゃダメだったの?」
「最近ずっと、お兄ちゃんが朝のおでかけをしなかったから……」
「……あっそ」
「ね、ねえ、何かその目……」
「でもまだ、年齢としては大人じゃないでしょ? いいの? それにクラウゼンの家からは誰も来ていないし」
「その目、軽蔑してる……?」
「いいから」
「あ、うん……。ええと、うん、どうせ明日にはお兄ちゃんがクラウゼンに行くから、そこで報告してもらえばいいかなって」
「そんな後出しでいいと思ってるの?」
「今日やるのは、さっきも話したけど屋敷の人間で祝うささやかな挙式だよ。ちゃんとした儀式に則った式はまた別に挙げる」
「そんなのだったらいつにしても変わらないじゃない」
「だって、ほら……僕は、見届けてあげたいから。じゃ、じゃあ、僕も準備しなくちゃだから、また」
何か妙なことを口走ったとモニカは見抜き、そそくさと行ってしまったゼノヴィオルの背中を睨みつけた。
「見届けてあげたい、ねえ……?」
今度はどんな自己犠牲をするのかとモニカは腕を組んだ。
ゼノヴィオルを追いかけるように早足で向かうカートを見つけ、彼女はその肩を掴んで止める。
「な、何です?」
「セオフィラスに内緒で、ゼノだけ知ってること、何かある? できれば、昨日くらいに」
「え? ……ああ、あれ――あ、いえ、知ってても、教えられませんから」
何かあると確信し、モニカはこっそり執務室に忍び込んだ。
ゼノヴィオルが使っている机の下に、その資料はまとめられていた。――4代前のアドリオン卿が金鉱調査をした際の記録である。3度に渡り、49名が調査に向かって誰も帰ってこなかった。そして古い言い伝えで、邪悪な黄金が埋まっているという話があったのだという記述もモニカは見た。