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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期6 セオフィラスの結婚
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セオフィラスの結婚 ③


「――お久しぶりですね、ヘクセ。

 大きくなって、立派なレディーに成長したようで」


 アルブスから離れたなだらかな丘の上でアトスは胡坐をかいて座っていた。

 そこに一陣の風が吹き、かと思えばヴィオラが立っていた。黒い髪を揺らし、月光に照らされる姿を見たアトスは柔和にほほえんで彼女に声をかける。


「名は変えた。今はヴィオラ」

「ええ。そう聞いています。しかし……あなたともあろう者が、無様な傷を作ったようですね。セオくんですか?」

「……子犬の、兄弟だ」

「そうでしたか。……また会うとは思っていませんでしたよ」


 ヴィオラは戦いの傷をまだ完全に癒してはいなかった。表面的な傷は治癒しているが、ただ傷口を塞いだだけのような状態である。それをアトスは彼女の立ち姿勢だけで見抜いていた。


「ユーグランドという武将の部下になったと聞いていました」

「食うために」

「なるほど。それは大切ですね」

「だがもう死んだ」

「ほう。それでわたしのところへ来たのですか? 生憎、わたしも居候の身ですから施してあげることはできませんが」

「無用だ。……手合わせを願う」

「よろしいでしょう。あなたがどれほどの使い手になれたか、確かめてあげますとも」


 ゆっくりとアトスは立ち上がり、持参していた魔剣を包みから出そうと布を開いた。それを待たずしてヴィオラはその身体を影に変えてアトスに迫る。アトスは剣を包んでいた布を無造作に振るい、すると斬りかかるべく姿を出していたヴィオラの顔にその布が被さった。バサッと強い音を立てながら布は彼女へまとわりつき、そして鞘に収まったままの剣が彼女の顔面を殴打して吹き飛ばす。

 トンっとアトスは軽く跳ぶようにヴィオラを追いかけた。手足を突きながら勢いを殺したヴィオラが瞬時に剣を振るう。だがそのリーチを読み切ったようにアトスは少しだけ顎を引いて躱し、ヴィオラの首筋へ鞘に入れたままの剣を叩き落とした。


「グ、ギィ――」

「おや、傷口が開きましたか。ではここまでにしましょう」

「っ……本当に、あなたは、アトスなのか」

「もちろんです。あまり容姿に変化はないかと思っていますが……」

「昔の、あなたは……今のあなたのように、腑抜けた笑みを浮かべたりは、しなかった。まるで皮を剥いだ白いパンだ。……それなのに、どうして、まだわたしは届かない」

「どうせ、あなたのことだから怠けていただけのことでしょう」

「あなたと、何が違う……」

「ふむ、違いですか。あなたは弱く、わたしは強かった。その程度の差異だと思いますが」


 剣を抜かせることもなく、明らかな手加減をされて敗北を悟ったヴィオラは肩を押さえながら立ち上がった。


「……あなたは、誰よりも闘争を好んでいた。それが何故、あんな子犬に手ほどきをして、のうのうと一所(ひとところ)に腰を据えているのかが分からない」

「どうせもう、わたしと対等に渡り合ってくれる使い手はいないのですよ。だったら、何をしようとも変わらぬでしょう? それに、セオくんには命を救われたのです」

「……あんなのに?」

「ええ。飢え死にしそうだったのです」

「……それは、大変だ」

「ええ、大変でした」

「理解は、できなくはない。納得はできないが」

「あなたに納得してもらうつもりはありません」

「ずっと、あの子犬とともにいるつもりか」

「いえ……。もう、わたしが何か教えることはないかと思っていまして。またどこかへ、ふらりと行こうかと。そのつもりでここまで出てきました。いやはや、あなたが来るものと思って待っていたのに、なかなか来ないので待ちくたびれました。4日は待ちましたよ。それももう終わりですがね」


 アトスが歩き出し、ヴィオラもその横へつくように並んで歩き出した。


「ともに行っても」

「構いはしません」

「……こうして、並んで歩くのは幼かったころ以来だ」

「そうですね」

「あなたはいつも歩幅が広くて速かった。横に並ぶのは大変だった」

「ええ、横に来られるのは何だか嫌だったものですからね」

「……衝撃の事実」

「けれど今はどうとも感じません」

「それはそれで嫌だ」

「おや。何故です?」

「わたしの目標は、常にあなただ。あなたを殺したいと、願ってきた。あなたが、対等の相手を望んでいたから」

「ふふ、かわいいことを言ってくれますね。あなたにそんな可愛げがあったとは知りませんでした」

「これでもわたしは、あなたを尊敬している。……兄上」

「尊敬という言葉の意味を知っているんでしょうかね?」

「背中を切りたいという意味だ」

「なるほど……。ともかくお腹が減りましたから、どこか、まともな食事を出せるところへ向かいましょう。しかし、あー、今、何て名前でしたか」

「ヴィオラ」

「そう、ヴィオラ。あんなに小さかった女の子が、こうも背が伸びるというのは何だか不思議な感じですねえ……。いつか、セオくんも大きくなるのでしょうか……」

「その前に死ぬかも知れない」

「ですねえ……。しかし、だからこそ、背が伸びるというのは素晴らしいのだと今は思いますね」

「兄上は変わった」

「そうですねえ……。あなたはあまり変わりないようで」


 遠く、都の光を一度も振り返ることなくアトスは歩いていった。











 禿げた岩山が、一晩の調査で金山となった。

 この調査結果は内密にとセオフィラスは指示していたが、人の口に戸は立てられぬ。

 即座にアルブスの都には尾ひれがついて、大金鉱脈が発見されたとか、アドリオンの独立を促す天啓だとか、そんな話が大いに広まっていった。


「何で喋っちゃうかなあ……」


 執務室で頭を抱えたのはセオフィラスだ。

 ゼノヴィオルも苦い顔をしながらお茶を淹れ、兄の机に置いた。


「これから、どうする?」

「とにかく金は採掘できるなら、採る。けど問題がめちゃくちゃ増える……」

「敵も増えるだろうし、攻め込まれる口実にもなるし、富が増えればトラブルも増えるからね……」


 兄の悩みの種をすぐにゼノヴィオルが口にする。淹れてもらった茶をすすってからセオフィラスは頭を振った。


「師匠、見つかった?」

「ううん、どこにも……。やっぱり何日か前からいなくなってるよ」

「どこ行ったんだろう……? それとも、何か事件に巻き込まれたとか?」

「師匠なら事件なんて何も気にしないだろうけど……」

「だよな。……家出?」

「どんな理由があって?」

「うーん……」

「ない、よねえ……」

「とにかく探してもらおう……。防衛隊もそろそろ仕事に戻らないとね」

「……ヨエル、さん、も?」

「働かざる者、結婚するな」

「……まあ、そうだろうけど。……あ、そう、そう言えば、お兄ちゃん」

「ん?」

「その……え、エクトルさんって、いつまで、屋敷にいるのかなって」

「ずっとに決まってるだろ。何言ってんだよ、ゼノ」

「あ、あはは、そうだよね……ああ、うん……」


 セオフィラスへの苦情は本人には伝えづらいというだけの理由で何故かゼノヴィオルに寄せられてくる。ガラシモス始め、屋敷の使用人4名からセオフィラスがまだ結婚をしていない婚約者と仲が良すぎる件について苦情がきている。


「いつ、式を挙げるの?」

「……ちゃんと形式的に独立をしてから」

「そう……」

「それがタイミングとしてはいいと思うんだけど、待っていたら1年以上かかりそうでしょ?」

「1年……」


 きっと未婚のまま、赤ちゃんが生まれてしまう。

 あるいはもう、すでに身ごもっていてもおかしくないのではないかとそんな噂さえ邸内には広がっていたりもしている。


「だから明日でもいいんだけどさ」

「ええ?」

「むしろ今すぐ?」

「えええっ?」

「でも無理だろ、そんなの。こんなに、山積みで!」


 ゼノヴィオルがまとめたばかりの金鉱調査報告レポート。同盟国憲章の草案練り。デールゼン領の新たな統治者の人選。カタリナとヨエルの結婚に伴い、何かヨエルに今より上の要職を与えるべきかという考え事。それに戦争で働き手が失われた家族への手当て金の財源確保。レクサの機嫌の取り方。その他、大小様々な問題が本当に山のように積み重なっているのである。


「きっと……花嫁のドレス着たエクトルは綺麗なんだろうなあ……。まあエクトルは何を着てても綺麗なことに変わりないし、別に綺麗じゃなかったとしても素敵なことに変わりはないんだけど」

「お兄ちゃん」

「こう、ただやさしいとか、ただ聡明だとか、そういうところじゃない部分なんだよな」

「お兄ちゃんってば」

「何だよ?」

「デールゼン領、先生に任せるのはどうかな?」

「先生に? ……考えとく」

「やっぱり難しい? 嫌?」

「不足なくこなせるとは思うよ。でもやっぱり……クラウゼンの権力が強くなりすぎる気がして。クラウゼン領、それからエクトルがお嫁に来てくれたらアドリオンにも口が利けて、その上、デールゼンまでってなると同盟五国の内、三国で強い力を振るえるようになっちゃう。分かるだろ? それくらい」

「分かってるけど……」

「ただでさえ、クラウゼンは経済的に強い。乗っ取られたら、この同盟は終わりだ。何より、ドーバントン卿とカウエル卿に不信感を持たれてもいけない。こっちにその気がなくっても。だからデールゼン領のことで頭を悩ませてるのは分かってるだろ?」

「……そう、だよね」

「だからできれば、ドーバントンか、カウエルから選出するのがいいんだろうけど……。それか、アドリオンが接収する」


 どうしようかとセオフィラスは椅子を立って、執務室に置かれているソファーへ移動した。足を放り出してそこで横になる。が、すぐに起き上がった。


「ちょっと出てくる……」

「どこに行くの?」

「ヤコブくんのところ」

「……行ってらっしゃい」


 閉まったドアを見て、ゼノヴィオルは兄の机へ座った。山積みになっている問題を少しでも片づけてあげようと手伝いを始めてしばらくすると、カートが執務室にノックをしてから入ってくる。


「セオフィラス様、過去の調査記録が……あれ」

「お兄ちゃんはちょっと散歩。僕が聞くよ。見つかったの?」

「はい。ただ、ハッキリしないことが分かったというか、調べなきゃいけないことが判明したと言いますか……」


 持ち込まれた資料を見てゼノヴィオルは、また問題が増えてしまったことを理解した。

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